カルチャーエッセイ

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戦略の創造

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  • 2014.07.16 22:12

 

 

 

 

 

                                                                                                 2014   6   27 

 

 

                          戦略の創造

 

 

1976年、初めてフランスに行った。

留学先のアメリカの大学のキャンパスのあちこちの掲示板に、ベルギー往復飛行機セール300ドルと貼り出されていた。パリへの直行便は高いのでブリュッセルが経由地だった。
 
ソウルの母にも知らせずに行ったのは怖いもの知らずだったからで、わずかなお金でどのようにして持ちこたえたのかよく思い出せない。
 
そのようにして恍惚としたフランス文化芸術との縁を結び、ニューヨークやワシントンから6時間の距離も遠くはないと感じながら行くことになった。ひと夏をソルボンヌの寄宿舎で過ごしたこともあるが、大部分は短な滞在だった。
 
韓国から西洋文化のアメリカへ行き、たくさんのことが新しく感じられたが、そこで高級文化だと感じたものは、フランスへ行ってみるとアメリカではなくフランスのものだった。芸術と文化を私が深く愛するようになったのはその影響が大きい。育った文化の感覚でさまざまな分野の文化を眺めた。
 
6時間の距離は韓国からは12時間になる。飛行機の中は退屈だが、フランス訪問は常に心が弾む。
 
空港に降りると風が冷たかった。ほの暗い夕方ではあるが、市内に向かいながらも以前に見たパリではなく、どこか色褪せて見えた。
 
なぜだろう。
目新しくないせいだろうか。
多少世にふりたせいだろうか。
韓国の力が少しは大きくなったためだろうか。
 
空港を出て最初に目に入ってきたのは、建物の屋上に見えるサムスンとLGの広告板だ。そういうことも関係がないわけでもないだろうが、都市に流れる空気が同じ色ではなく、シャンゼリゼに隙間なく並んでいた世界最高級商店たちは、どこでもありふれて見ることのできる H&M Zara Gaps Banana Republic Mark & Spenser に代わっていた。
 
肌寒いばかりの5月。観光客訪問世界1位のフランスは、まだ観光客が押し寄せる本格的な観光期ではなく、道行くパリジェンヌたちの肩が重そうだった。最近何年間か下降気味のヨーロッパ経済のせいでもあり、サルコジがいやで無条件に社会主義のオーランドを選んでみたものの、福祉、移民、経済政策等、支持率は5%にしかならず、もう一度サルコジを呼び戻したい雰囲気で政治的にも落ち込んでいた。
 
ソウルの朝からパリの夜まで31時間の長い誕生日を迎え、さまざまな思い出が脳裏をよぎる。明日はもう一日パリで過ごし、その後は南仏ニースに行かなければならない。
 
一日のスケジュールとして16区にあるマルモッタン美術館とオランジュリー美術館を選んだ。パリの最高級住宅街にあるマルモッタンには、早くから人々が列をなしていた。まるで我が家の向いの土俗村参鶏湯屋にできる列のように長いが、案内してくださったシン・ヨンソク先生が昔新聞社のパリ特派員だったころのパスを見せでもしたのか、すぐにチケットを手に入れることができた。
 
コレクターであるマルモッタンが作品と家を寄贈したこの美術館には、モネ(Claude Monet 1840 – 1926)の歴史的な絵‘印象・日の出(Impression, Sunrise)’がかけられている。
 
写真で撮ったような写実画が主流だった世の中に、モネ等の何人かが瞬間の印象を自身が受けた感じのままに個性的に描くことを始めたが、当時としては破格的で批判にさらされるが、モネの‘印象・日の出’というタイトルはそれをあざ笑うように印象派と呼ばれて100年を超えて世界中の人々から愛されるようになる。
 
ルーブルとオルセー、大きく代表的な美術館を過ぎ、それより小さなオランジュリーに行く。モネの大作、睡蓮(Water Lily)の連作8点の広さは合わせると91メートルにもなるが、その作品のために建てられた美術館内の二つの楕円形の部屋がいっぱいになる。いつ見ても傑作だ。
 
モネの常設展とともに、ギョームとジャン・ウォルターのコレクション展示も行われていた。二人のコレクターが時を異にして同じ夫人と結婚したことも興味深いが、二人のコレクティングの原因が夫人の影響ではなかったかと考えると、モネ、ルノワール、ピカソ等の見なれた作品たちが、まるで昨日のものであるかのように目の前で繰り広げられる。
 
慌ただしいソウルと長時間の飛行に疲れ、降り立ったパリに落ち込んでいたが、突然やる気が出た。そこにしかない偉大な芸術と文化の力に力を得たのだ。もうすっかり色褪せたと考えたパリは、古いその美術の力で今なお光輝き、私の考えも変わらざるを得ない。ヨーロッパももうたいしたことないなあと言いかけて、打ちのめされる。
 
「私が望んでやまないものは文化の力」だと言った白凡金九の言葉を思い出す。
 
1950年の初め、フランスで勉強したピーター・ヒョン先生やジョン・イクサン先生の話しを聞くと、当時のフランスは取るに足らなかったという。戦争の後、アメリカの助けで再興し、70年代近くになってやっと今日のフランスの姿になったというのだ。

そこにはド・ゴールの政治的同志だった作家のアンドレ・マルローの功が大きい。初代文化部長官となった彼は美術を選択してモネ、ピカソ、マティス、シャガール、ルノアール、レジェのようなフランスの当代最高の画家たちを説得し、パリと南仏バンス、サン・ポール・ド・ヴァンス等に彼らの美術館を意欲的に作るようになった。
 
フランスにのみあるコンテンツとソフトウェアを見抜く見識と、珠も糸繋ぎすれば宝になることに気付いたアンドレ・マルローは、自らの祖国をその後数十年間に渡り観光大国として築き上げる最高の功労者となった。
 
彼がたてた文化政策と宝石を繋ぎ合わせた文化戦略、その文化リーダーシップは偉大である。積極的に説得して推進し、彼が作り上げた世紀の美術館を改めてながめると、芸術家たちの苦悩の創造とマルローの洞察力と戦略の創造は羨ましいばかりだ。
 
私たちも世界が共感する私たちの芸術の中から、文学、美術、音楽、演劇、何でもいいから選択して特化させ優秀な戦略と政策をもって育てていかなければならないという思いが今さらながら切実になる。
 
事あるごとに予算不足を言い訳にするが、アンドレ・マルローの未来を見る目と文化戦略の創造的発想が当然先立たなければならない。

 

 

 

 



モネ‘印象・日の出 Impression, Sunrise1891 – マルモッタン美術館 2014  5  8


    モネの睡蓮 Water Lily 1891 – パリ オランジュリー美術館 2014  5  8


私の好きなモネの‘睡蓮’1891 – オランジュリー美術館  2014  5  8


画商ジャン・ウォルターとギョームのコレクション、

ギョームの死後その未亡人はジャン・ウォルターと結婚した


  フランス最大の画商として多くの名画を美術館に寄贈したギョームの肖像画

  
                                   ルノワール オランジュリー美術館  パリ  2014  5  8       


    家具、絵画とインテリアの超ミニ作品 – オランジュリー美術館 2014  5  8


   アンドレ・マルローの名はこの私立図書館のように通りのところどころに刻まれている - 2014  5

銅像の後ろに花とともに「フランスの偉大さと世界の自由の間に20世紀の契約が成される。

パリは分裂し迫害されたが、パリは自由を得た」と書かれている。

世界中の銅像の中で私が一番好きなド・ゴールの銅像 – パリ グラン・パレの前  2014  5  20

 

 

 

 

                                

 

          






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