2014 6 27
戦略の創造
1976年、初めてフランスに行った。 留学先のアメリカの大学のキャンパスのあちこちの掲示板に、ベルギー往復飛行機セール300ドルと貼り出されていた。パリへの直行便は高いのでブリュッセルが経由地だった。 そこにはド・ゴールの政治的同志だった作家のアンドレ・マルローの功が大きい。初代文化部長官となった彼は美術を選択してモネ、ピカソ、マティス、シャガール、ルノアール、レジェのようなフランスの当代最高の画家たちを説得し、パリと南仏バンス、サン・ポール・ド・ヴァンス等に彼らの美術館を意欲的に作るようになった。
私の好きなモネの‘睡蓮’1891 – オランジュリー美術館 2014 5 8
ギョームの死後その未亡人はジャン・ウォルターと結婚した
銅像の後ろに花とともに「フランスの偉大さと世界の自由の間に20世紀の契約が成される。 パリは分裂し迫害されたが、パリは自由を得た」と書かれている。 世界中の銅像の中で私が一番好きなド・ゴールの銅像 – パリ グラン・パレの前 2014 5 20
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