孫戸妍の歌集‘無窮花’を読む金南祚詩人 - 2023 晩夏 李承信の詩で書くカルチャーエッセイ 金南祚の‘君あるがゆえ'
金南祚詩人の詩画展をみながら、2024年の新年、文化の年が明けます。 金南祚詩人とは何ものでしょうか。 深みのある愛の詩にカリスマを兼ね備え、新聞等のメディアでことあるごとに取り沙汰される詩人であり、その詩を知らなくてもたくさんの人々がその名を知っている素晴らしい方です。 自ら‘植民地のこどもから老人詩人’になったと詠い、生涯現代詩の地平を押し広げ、韓国詩の大きな流れをなしました。 96歳で逝かれるまでに出した19冊の詩集をみると、そのどれもに深い愛と本当のカトリック信者としての霊性が盛り込まれています。 ‘手紙’の最初の一節。あなたほど愛しい人はみたことがない~ チョ・スミの歌でよく知られる‘君あるがゆえ’、教科書にも載った‘冬の海’‘愛さん、愛せよ’‘満ちる愛’‘人よ人よ’‘心臓が痛い’、いずれも持ち重りのする愛が込められた有名な詩句です。 よく「文才あれば口下手、口達者に文才なし」という言葉がありますが、私の知る中で例外は金南祚先生と李御寧先生です。お二方とも両面に抜きんでていますが、感性までを併せると金南祚先生が一歩先んじているでしょうか。独特な語彙による即興の演説は圧巻です。 愛の深い方なので、40年間教えた弟子や文人たちにその愛を分け与えたことでしょうが、思えば私と先生との思い出もたくさんあります。 初めてお会いしたのは 2002年11月1日。 政府の招聘でアメリカから帰国し、母の歌集の日韓出版記念会を行ったところ、特に日本からの反響が大きいことを知ったとき、ちょうど国内新聞に‘詩人の日’の 行事のことが出ていました。当時、母は病気で臥せり勝ちだったので、国内の文人たちとの交流が慰めになりはしないかと思い、私が作った母の本を両腕に抱えて世宗会館に向いました。 名前だけは知っている詩人たちがあちこちにいて、母の初めての韓国語版詩集を渡しましたが、受けとろうとはしませんでした。知られていない詩人の詩集ゆえなのかどうかはわかりませんが残念でした。病に臥せる母のためにも、母がソウルで生涯つくりつづけてきた詩を国内詩人に見てもらいたかったのに、どうしたものかと思案に暮れていたいたとき、前方の列にいた金南祚詩人の姿が目にとまりました。後ろにいる詩人たちも声をかけるのを憚る雰囲気だったので、名声の高い詩人に声をかける勇気が出ませんでした。 ですが、歴史のある出版社を説得し、4年もかけてつくった詩集なのにここを出てしまえば再びこのような機会はないと思い、前に進み出て金南祚先生にご挨拶すると、嬉しがってくださり詩集も喜んで受け取ってくださいました。 すると次の日から「孫戸妍詩人と会えますか」「今はちょっと難しいです」「ではいつごろなら会えますか」といった調子で連絡が来て、南山文学の家などで行われる文学の集いにも呼ばれるようになり、そうした集いでは先生の横に座るようになりました。 アメリカからチョ・ビョンファ先生に手紙を書いて母を紹介したところ、母と会ったというお手紙をいただきました。他の詩人たちとは付き合いもありませんでしたが、代表詩人である金南祚先生との出会いを切に願っていたので、会えなかったのは残念ではありますが、ようやく母が韓国文人たちから認められたような気がしてありがたかったです。 日本で認められた詩人逝くという報が新聞で伝えられると、「同じソウルに住み、年齢も近いもの同士だったのにこうして会えないまま逝かれてしまうとは、とても残念だ」と言ってくださいました。 今は夫の名をつけて金世中美術館となった孝昌洞自宅の2階で、食事をご馳走になるときには、何かプレゼントをしようと引き出しを開けるのが常で、服もいただいたことがありますが、傍らにある昔の雑誌の中の先生の姿はそれはもうとても魅力的なものでした。 母の没後には毎年その忌日に‘孫戸妍詩人の家’でマルチアートの集いを催してきましたが、金南祚先生はそのたびに「挨拶は私がするわ」といって、詩人たちも連れてきてくださいました。ある年には諸外国の大使と文化院長が母の詩を朗読し、母の詩をモチーフとして日韓米仏の画家たちが絵を描き、チェ・ヨンソプ、ファン・ビョンギなどの有名な作曲家たちが曲をつくって公演をしましたが、なにより金南祚先生の名スピーチは母、孫戸妍詩人の慰めとなったはずです。 最近にも金世中美術館の後ろにあるご自宅で五回ほどお会いしました。 「私は女王のもてなしを受けて来たけれど、独り詩を書き続けてきた孫戸妍先生のことを思うと心が痛い。こんなにも素晴らしい詩人がいたことを書き伝え、後輩文人たちに知らせようと思う」電話越しに、あるいは面と向かい合って何度も聞いた言葉です。 こちらが恐縮してしまうほど褒めてくださる先生、歌曲の動画を楽しみ、誰かが置いていったパンケーキをお裾分けしてくださり、昔通った日本の九州女子高に行けないのが心残りだとおっしゃる先生が、母の詩集に感激してくださったのは何よりありがたかったです。少し前に私が撮った最後の写真も、母の歌集『無窮花』を初めてみるように大きなルーペですみずみまで読まれるお姿でした。 母の生誕100周年国際フォーラムにて、先生から祝辞をいただいた後に差し上げるつもりだった“孫戸妍特別賞”は、ご息女であるキム・ジョンアさんに受けてもらいました。 母の逝去はいまなお惜しまれますが、素晴らしい文章をのこし、電話で二三時間も休みなく宝石のような言葉を紡がれた金南祚先生のことを思い出すと、先生の突然の逝去も本当に残念でなりません。 最後まで衰えることのなかったその記憶力で聞かせてくださったお話の数々を、先生の教えとして胸に刻むようにします。
君あるがゆえ 君の憂いのある場所へ 吾を呼び手をつながせて 大きな喜びと静かな渇望が 君あるがゆえ 吾が心にて育つゆえ おお 懐かしさよ 君あるがゆえ吾もあり 吾を呼び手をつながせて 君の愛の門を開くとき 吾ありて その光に生きさせて 生きることの侘しさ寄る辺なさ 君あるがゆえ 人生の意味をまなぶ おお 懐かしさよ 君あるがゆえ吾もあり 吾を呼びその光に生きさせて
金南祚の'君あるがゆえ' 絵:ジョン・イル
金南祚の'冬の海' 絵:ノ・テウン
3冊の詩集に書いてくださった先生の文字 - 孝昌洞 2023 5 2
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