カルチャーエッセイ

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Chinon

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  • 2014.08.14 20:40

 


 

 

 

Chinonの林                                                                                     2014   7  13 

                          

シノンの風

                     Le Vent de Chinon

 

 

シノンの風の音は格別だ。

静けさの中に6世紀前の喊声が聞こえてくる。

 

フランスのシノンとの縁は、ピーター・ヒョン先生とのご縁による。

私の知る韓国人の中でおそらく最もglobal mindを持った先生は、1949年にアメリカに留学し、1950年代の初めアメリカにマッカーシズムの風が吹き荒れたころ、咸興からきた共産主義者と見なされて国外に追放され、やっとの思いでスペインを経てフランスに行くことになり、苦労という苦労をすべてなめてニューヨーク、フランス、ソウルにて新聞社と出版社を舞台に文章を書くようになった。

 

シンガポールでファンド会社を経営するご子息が、フランスのクリセに十六世紀の城(Chateau)を買い、春や夏になると先生はそこでお過ごしになるが、そのすぐ横がシノンだ。

 

ロワールベリー一帯の地域は、肥えた沃土を川がめぐる風光明媚なところで、パリ以前には中世の首都であり、フランス王家と姻戚関係を結びこの地を欲しがったイギリスとの熾烈な百年戦争まであったにもかかわらず、いくつかの小さな村々が中世フィレンツェに影響されたかのように、ルネサンス風の建築と美しい城が殊にたくさんある。

 

クリセは人口102人、その他の村々も大小の家々が寄り集まった小さな村だが、シノンはそれに比べて大きい方で、美術館、ギャラリー、レストラン、アンティークショップ、書店等で路地ごとに趣があり、まるでタイムカプセルに乗って異なる世界に迷い込んだようだ。

 

2008年にシノンにたった一つのホテルに泊まった。二階の部屋の窓から見下ろす丘の上のシノン城は夢のようだが、夜、その上に月がのぼり黄色い光に輝く姿は神秘的だった。

 

ソウルから来れば、普通パリやニースのような大都市ばかりを見て、このような小さな田舎町を見ずに帰ってしまうことはもったいない。

 

ピーター・ヒョン先生が夏の間過ごす家に、今回六日間泊まった。毎朝ニューヨークタイムズを買いに二十分の距離を走る。走りながら見る田舎道や花咲く草原、広々とした空もいいが、人口七千万人のシノン市内も人間臭くてまたよいものだ。

 

規模は小さいがシノン城は、1337年~1453年までの116年間にわたるイギリスとフランスの百年戦争の末期に、ジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc 1412 – 1431)が夢で天使の啓示を受けて戦争に出征した城として有名だ。

 

忌々しい戦争に疲れ果てた農民たち、イングランド軍に比べてフランスの王家や軍は、か弱いながらも「起て、フランスを救え」という神の声を聞いたといって懇願する平凡な少女の言葉を無視していたが、その言葉は最後には農民たちの心から消えそうになってた愛国心を呼び覚まし、フランスに勝利をもたらし、祖国を救いだした。

 

その後ジャンヌ・ダルクの人気が上がると、彼女によって王となったシャルル7世は、彼女への嫉妬から彼女を魔女にしたてたあげく火あぶりの刑に処した。その時ジャンヌ・ダルクは十九才だった。

 

後年ジャンヌ・ダルクの名は数百年間世界中で女性の英雄の代名詞となる。この小さな村に歴史とともに長く語り伝えられる少女の英雄が登場したのである。

 

城が見える反対側の川の方には、シノン出身でシェイクスピアに次ぐ十六世紀のフランス詩人フランソワ・ラブレー(Francois Rablelais 1483 – 1553)の銅像が見える。市内中心部の食堂ラブレジエンヌ(A La Pause Rablelaisiennes ラブレーを愛する人々の憩いの場)の屋外コーナーでエスプレッソを飲みつつ先生がニューヨークタイムズで今日の世界を眺めている間に、私は歩いて新しく作られたエレベーターに乗ってシノン城に上り、眼下の十五世紀の村と川とその歴史を見下ろした。

 

城を眺めていると、その重い石を動かし積み上げるために腰が曲がった農民たちと、長年に渡る戦争に倒れていった人々のことを考えざるをえない。

 

1189年に十字軍戦争で死んだ総司令官の言葉も壁に書かれている。

 

もう少しそばへ。我は墓の彼方より語るがゆえ。イギリス王ヘンリー2世が城をいくつか奪い取ろうと我らを用い、この城で王は死んだ。我が墓もここに移されたが、天よ、どのような魂もこのようにして逝った我を非難することのないようにし給え

 

十字軍とその三百年後の十六世紀の勇敢なジャンヌ・ダルクの叫び声が聞こえてくるようだ。彼らが夢にもみれなかった二十一世紀の最新式エレベーターに乗る私に、風がその魂の話を聞かせてくれる。日差しはまぶしく、名も知らぬ濃いピンク色の花が、数世紀前に彼らが流した血のように城壁の隙間に咲いている。

 

落ち着いた気持ちでゆっくりと城を下りて、私の好きなプラタナスの森に続く道に向う。人もいないその土の道をとぼとぼと歩いていくと、腰がまっすぐに伸びて頭も冴え、いろいろな思いが整理されるような気がする。やはり環境というものは無視できないようだ。

 

三十余メートルの高いプラタナスが両脇に立ち並び空に向かって葉をゆらし、右側に流れる小川よりもちょっと大きなビエンヌ川にふりそそぐ日差しがきらきらと光り何かしらサインを送っているようだ。耳と目がより深く開かれることを願わずにいられない。

 

森で半日ほど風の音を聞いていられればいいのだが、咸鏡道気質の先生に怒られはしないかとラブレジエンヌに急いで引き返すと、案の定先生の雷が落ちた。お腹の出たドイツ人の主人に私を指さしながら、「この人は詩人なんだ。今日ここで食事をしたから、このラブレジエンヌの憩いの場がいつか李承信ジエンヌの憩いの場変わるかもしれない」とおどけてほのめかす。

 

どこにでも歩いていけるここに、フランスの代表作家バルザック、フローベール等に大きな影響を及ぼした詩人の誕生により村が完成した。戦争英雄の銅像はないが、市内中央には詩人の銅像が立っていることが、シノンに住む人々の水準を物語っている。

 

先進国の基準とは、市民の心が成熟し、戦争の英雄や富裕へと導いてくれたリーダーよりも、心を豊かにしてくれた詩人の精神を胸にきざもうとする心の在り方ではないかと思わせるシノンの朝だ。 

 

 

              ビエンヌ川にそい

              プラタナスの長い森の道を歩けば

 

              十二世紀 十字軍の鉄兜と

             十五世紀 ジャンヌ・ダルクの白い鎧が

              見えるよう

 

              わあわあと シノンを包む風に

              荒々しい喊声が聞こえ

 

              九世紀前に神のために戦い

              六世紀前に幼い少女が祖国のために戦ったのだが

 

             せいぜいが過去数十年間の思いと

             今日の出来事に溺れているだけではないかと自省しつつ

             音もなく私の横を流れる川を見つめると

 

              数えきれない命を奪っていった血の色水の色

             枝葉の間にこぼれる日差しに透明になり

             きらめくような物語を果てしなくそそぐ

 

             千年前はこうだったと

             千年後はこうだろうと

             その間の隙間は一世代ほど

             たんに瞬きする間の出来事だと

 

             せいぜいが目の前の二一世紀のことに思い煩い

             手の甲にささったとげに見入り

             三十世紀 四十世紀のことを思って我に返り 

 

             遠く行く手を見通せば

             そこには億千万の風が立ち

             いまさらながら日差しは眩しく

 

             千年の時が層をなして織り込まれた

             シノンの森に

 

             この朝

             風はまた吹き過ぎて

 

 

 

 

 

 



ホテルの部屋の窓から見える丘の上のシノン城 -  2008  7


15世紀の村, 丘の上の城に行くには21世紀のエレベーターに乗らねばならない
村の中心にあるシノン出身のフランスの有名詩人'フランソワ・ラブレー  


ビエンヌ川にそって走るプラタナスの森の道、そして風 - 2014  5  26

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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