カルチャーエッセイ

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気仙沼

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  • 2014.04.14 17:03

 

 

                                                                                                      2014    3   10

 

                                               気仙沼

世界は忘れようとしているが、3年前、東日本を大地震が襲い、津波は人間が緻密

に計算して世界最高の高さに積み上げた堤防までをやすやすと越えて、和江切れな

い人命被害が出て、韓国でもそれまでの感情のしこりをほどいて封筒に入れた寄付

金をもって列を作ったものでした。

 

私もニュースを見て驚き、封筒だけを出すのもどうかと迷っていた瞬間、母のこと

が思い出され、母ならばどうするだろうかと考えた。朝ごはんを食べて家を出た伴

侶を青天の霹靂のように失い、登校中だった子どもが永遠に帰ってこなくなってし

まった参事に見舞われながらも、悲しみを飲み下し静かに長い列をつくる日本人の

姿を母が見たなら、何よりも先にその心に寄り添おうとしないだろうか。韓国人が

千年前に伝えた一行の詩を日本人は“心の故郷”だと言っているが、その日本人の心

をつなぎ止める一行の詩が湧き出わしないだろうかと考えました。

 

母の歌碑が雪に中に立っている青森に電話をしてもつながらず、高い津波が依然と

して押し寄せている中、一首また一首と書き留めたものがやがて二百余首となりま

した。その一部が日韓両国の新聞に出ると、日本から残りの詩もみせてほしいとい

う連絡が来ました。

 

そのような手紙が積もり、何とかして翻訳した詩が日韓両国で本として出版されま

した。読者の中には88首もの詩を手帳に書き写し暗唱しているという方もいらっし

ゃいました。

 

そして、誰も行こうとしない東日本で雪に覆われた堤防と真っ青な海を言葉なく見

つめました。都市が火の海となった最大の被害地である気仙沼では詩の朗読会を開

きもしました。

 

後ほどそれを伝え聞いた方が私を探し出して連絡を下さり、3・11大震災の3周忌に

再度かの地を訪問してほしいとおっしゃいまいた。日常の鎖を絶ち、再び訪れるべ

きだろうか。これまでしてきたことで十分ではなかろうかとも考えました。

 

連絡をくださった方々は誰もが、これまで日本が韓国に対しあまりにも罪深かった

ことを深くお詫びするとおっしゃってくださいます。ある記事では、宮城のある男

性がついにスキューバーダイビングの資格をとり、15キロの酸素ボンベを背負って

6メーターの水深を毎日潜り続けているといいます。死体であったとしても妻を家

に連れ帰りたいと。3年でそのような傷が癒されるわけもありません。

 

お隣の国と互いに話し合うべきことは山積みなのに、双方の首脳は未だに会おうと

していません。その影響が両国民の文化と経済に大きくのしかかっています。

 

そこが何の葛藤もなく、ただ平和で、互いに行き交うことができ、愛する者を失っ

た人の心も癒えるのであれば、私は行く必要がありません。ですが、今はまったく

そうではないので、私だけでも暖かな心をしめすべきではないかと思います。

日本に義理があってのことではありません。

 

この狭くなった世界で、祖国だからといって韓国の、隣国だからといって日本の、

大きくなったからといって中国の、いえ、世界のどのような国の味方をするよりも、

私は生命の味方、愛の味方を選びます。

 

そうでなければ、生涯一行の詩に託した母である歌人孫戸妍の平和精神と私の詩芸

術に託した人生の意味がないからです。

 

街も家族もなくなってしまった気仙沼市の近現代短歌の先駆者であられる落合直文

歌人の生家にて‘李承信、詩の朗読会’のために今朝早くに東日本に向かいます 

 


 


 




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