カルチャーエッセイ

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青森りんご

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  • 2019.11.21 21:53

 

 

   青森産 紅玉1個 120円                                                                                        2019  11 22

 

 

 

李承信の詩で書くカルチャーエッセイ

 

青森りんご



果物のうち一番親しまれているのはりんごではないだろうか。

One apple a day keeps a doctor away. アメリカの言葉だ。私もリンゴには親しみがあって、朝さくっと一口齧ると、アメリカで食べたりんごや、京都の森産のりんごのことも思い出す。

 

2015年に勇気を出して京都での勉強を始めた。その前に部屋を見つけなければならなかったが、時間もないのに見る部屋見る部屋がみな似たりよったりで決められずにいると、一緒に部屋探しを手伝ってくれた人が、大学にも近くて市場もすぐ横にあるからここがいいと言ってくたので、これ以上時間をとらせるのもすまなくて、6番目にみた部屋を選んだ。

 

思ったとおりちょっと狭かったが、これも日本の文化と思い、勉強しに来たのだから寝られさえすればいいと自らを慰めた。しかし、いいところがないわけではなく、三歩歩けば市場なので、ソウルで通っていた市場を思い出した。食べ物が豊富で満足した。

 

市場の中にはきれいで品揃えのよいスーパーが二つあり、私の好きな果物屋もあった。

 

何日間かの滞在ではなく、生活するのであれば三食は基本だ。学校にはいくつか食堂があり助かったが、部屋のすぐ横の市場でも新鮮な刺身や絹豆腐や乳製品が安くてありがたかった。よく日本の物価は高いというが、その中で暮らしてみるとそれほどでもない。

 

そうしてみずみずしい果物も買えることが分かったが、ある日その市場のはずれの向かいに別の果物屋を一軒見つけた。りんごとみかん、柿など種類は多くないが、店頭に青森産りんごという札が見えたので道を渡ってみた。店のおかみさんに「青森産ですね」と聞くと、そうだという。店の奥が居住空間になっているのが窓越しに少し見え、そこで食事の後片付けをしているのが98歳になる母親だという。

 

青森は日本の本土の北端にある県だが、まれに見る清浄な地域で自然と空気がこれでもかというほど澄んでいるが、りんごが特に有名で、全国どこにいっても青森りんごが並んでいる。

 

母は十七歳のとき、五七五七七の三十一音からなる短歌を東京で学び、韓国で生涯短歌をつくり続けたにもかかわらず、それほど知られることはなかったが、後日日本の天皇から短歌の大家として親しくも宮中に招待されてからは、あちこちから講演要請が殺到するようになった。そのうちの一つの原稿にこんなエピソードがある。

 

私の歌碑が日本に建てられるという大それた日韓の親善もありますが、ごく些細なことが両国の親善になりもします。東京の宮中新年歌会始めの儀を賠聴した次の日、一緒に来た娘の息子が水を求めるので小さな店に入ると、店の夫婦が「ご旅行中ですか」「どちらから来られましたか」と聞くので、韓国だと答えた後、「お二人はどちらのご出身ですか」と聞き返すと、青森だと言いました。

 

「私も行ったことがあります。私の歌碑が青森にあるんです」と言うと、理解できないといった表情なので、発音に気をつけてもう一度そう言うと、店のご主人は突然言葉をあらためて「そんなにすごい方でしたとは」と言いながら丁寧にお辞儀をしてくださいました。店を出ようとすると「お孫さんに」とお金も受け取らずにポテトチップをくれました。そのまま別れるのも何なので、包装紙をもらってその裏に短歌を書いて渡しました。

 

‘故国はるか吾が歌碑建ちぬ隣あい 肩を寄せあい睦みあえよと'

 

‘切実な望みが一つ吾れにあり 諍いのなき国と国なれ'

 

奥さんが涙ぐんで「お隣同士仲良くしないと」と言ってずっとうつむいていると、「とても感動して泣いてしまいました」と黙って横に立っていた旦那さんの目も赤くなっていました。店を出るとき、一枚しかないという汚れた名刺をいただいてきました。

 

帰国後、私はその感動がさめてしまう前に、すぐ手紙を書きました。「いただいたポテトチップは私の手にわたった瞬間から、ただの物ではなく私の短歌一首とともに日韓親善の架け橋の役割をしました。この美談は私の胸に永く残るでしょう。今後とも仲良くいたしましょう」

 

母のこのエピソードが思い浮かび、京都の市場の果物屋のおかみさんに「このりんどをいくつか包んで下さい。私の母の歌碑が青森にあるんです」と言うと、わけがわからないという表情なので、私も短歌を一首紙に書いて渡した。

 

‘外国の土に慣じみて歌碑よ建て ふたつの国を繋ぐ掛橋’

 

感激したようだった。

こうした瞬間を味わうたびごとに理解できないことがある。80年が過ぎようとする過去の歴史と、私たちの日常とは何の関係もない目に見える小さな島をめぐって、なにかにつけて葛藤、矛盾、争い、報復といって疲労する両国政府のことだ。民間レベルではひとつのりんごと短歌一首でこんなにも容易に暖かい心が開き合うというのに。

 

私は京都にいたときにも、市場の向かいのその果物屋によくいったが、同志社大学を卒業後も京都に行くとそこを訪れ、おかみさんである木村さんと再会を喜び合っては、りんごを買ってホテルにもってゆく。

 

日韓友好のために生涯を捧げた父と母から学んだやり方だ。

 

 

 

 

 

木村果物店  - 京都  2018  12  5

  岩手県の紅玉りんごと柿

                                            隣の市場でられている野菜

 

市場の八百屋の顔ほどもある丸い大根

 

木村フルーツのおかみさん 木村さん 京都  2018  12  5

 

 

 


   

 

 

 

 

 

 

 






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