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“韓国社会の’眼目の向上’に力を尽したい”

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  • 2013.09.15 22:11

  

文化日報    2010-07-27


“韓国社会の’眼目の向上’に力を尽したい”


三冊目の詩集‘沖縄に染まる’を出した李承信氏


 
▲ 詩人の李承信氏が、ソウル鐘路区弼雲洞の芸術空間‘SOHO’にて、この日初めて本

物を展示したというマルク・シャガールの絵画‘画家とモデル’の前で自身の詩集をも

ちポーズをとっている。                                                        

イム・ジョンヒョン記者                        


三十余年間散文を書き続け、二〇〇八年からは毎年詩集を出している李承信氏。三冊目

の詩集『沖縄に染まる』(ソウル発行)を出した詩人であり、二十冊の本を出した著述家

でもある。


しかし、彼女は詩人や著述家という一つの規定を超えた総合芸術家だ。「韓国社会の芸

術に対する眼目を高めることに寄与したいという思いで、これまで渾身の努力を傾けて

きました。美術と音楽、そしてTV映像、著述、翻訳、出版、舞踊に料理に至るまで、全

方位的に活動してきました  “わたしはヨーロッパの料理がそうであるように、韓国で

も料理が単に空腹を満たすものという次元を超えて、芸術になりえるということを具体

的に示そうと、過去十二年間努力してきました”

先月二十三日、李氏の新刊詩集について話を聞くためにソウル鐘路洞弼雲洞の芸術空間

“THE SOHO”を訪ね、彼女がなぜ“総合芸術運動”をせざるをえなかったのかについて

話を聞くことになった。


「三百五十余年が経つ古家に私たち家族が五十余年間住んでいましたが、一九九六年の

都市計画で百余坪近くが切り取られてしまいました。その後新しく建物を建てましたが

、ちょうど外貨危機の時で賃貸することすらできませんでした。この家は朝鮮時代から

の由緒ある古家であるばかりか、日本の皇室と読者たちが認めた母であり歌人の孫戸妍

が、長年にわたって短歌を書いてきたところです。そういう歴史と文化の一切が無視さ

れる韓国社会の文化風土に直面し、私が韓国社会のためにできることは果たして何だろ

うと悩んだ末に。この社会の眼目を向上させるために寄与しようという結論を出しまし

た」


彼女は一九九九年、孫戸妍歌人が数十年間短歌を書き続け、韓屋が切り取られ新たに建

て直しても賃貸がままならない、景福宮に近いこの江北の中心にある家の敷地を利用し

て芸術空間“THE SOHO”を建てた。梨大の英文科を卒業した後、アメリカに留学して社

会言語学及びTVジャーナリズムの修士学位を得、TVのアンカー、新聞コラムニストとし

て活躍した彼女は、帰国後、放送委員会国際協力委員、TVドキュメンタリー製作者等と

して活動してきた。

留学中からピカソら有名作家の絵画を収集してきた彼女は、“THE SOHO”のギャラリー

空間に自身が収集した世界の名画をかざる一方、国内外の画家の展示会も開いてきた。

‘芸術志向の’料理が作られ、イム・ウンギュン(声楽家)、キム・インヘ(声楽家)、ノ

・ヨンシム(歌手)、ドイツのサルタチェロ(saltacello)等、国内外の音楽家、芸術家た

ちが公演するサロンコンサートを百余回以上開き、海外有名舞踊家とナンタ(NANTA=乱

打:韓国を代表するNon-verbal performance)の公演も開催した。観客の積極的な参与

を督励するために、彼女自身が“李承信ロマンチック独唱会”を開くかと思えば、絵を

描きながらいつかは展示会を開くことまで企画している。


「ご存知のとおり、わたしは母で歌人の孫戸妍の短歌を韓国語に企画翻訳して出版して

います。一行の詩を他の外国語へ移すのは不可能なことだとも言われています。母の短

歌作品もわたしが訪ねて回った国内の有名詩人たちは、とても翻訳できない、お手上げ

だと言うのです。実力がないのでいつもあと少し、あと少しと先延ばしにしてきました

が、それでも母が逝ってしまう前に国内の読者に知らせなくてはという思いで仕方なく

、母の解説を聞きながらわたしが韓国語に訳したのです。母の没後にもさらに二冊出版

しました。本当に難しいことでした。無知なるがゆえの勇敢さとでもいうか、ハハ」


孫戸妍歌人は日本の定型詩である和歌を書く国内唯一の歌人だった(文化日報2003年11

月25日付参照)。日本の文壇から“和歌の名手”として認められながらも、国内の文壇

と読者にはあまり知られていなかったが、長女である詩人の李氏が翻訳詩集を出し、“

THE SOHO”を通して、また海外では“孫戸妍の愛と平和の夜”という孫戸妍歌人の短歌

と歌心をこめた芸術行事を何度か開きながら、次第にその存在が知られるようになった


李氏が二〇〇八、二〇〇九年に出した詩集『癒しと悟りの旅路より』及び『息をとめて

』は短詩形式であり、生涯を一行の短歌にかけた母の影響が無意識に反映されている。

日本の沖縄を旅行した感想を込めた今回の詩集『沖縄に染まる』も同様だ。


“目に見えずとも 私とともに息をする 短歌の中の母”‘息をする’

今回の詩集で李氏は歌人であった母が生涯愛し続けた夫、即ち自身の父(故李允模弁理

士会長)に対する恋しさも切々と表現している。


“父が恋しいとき私は私の手を見る 父のそれに似てきたその手 ぎゅっと握り締めた

いその手”‘手’

“もしも私によいところがあるとしたら、それは父に似たためだ 私に不足なものがあ

るとしたら、それはその父に長く会っていないためだ”‘わたしにもし’

肉親に対する切ない情は、社会と歴史に対する省察をもとにしている。

“国を守れなければ/こうなるのだ/突然われに返る/沖縄”‘国を’


今回の詩集はたった一行の文章に人生と社会、自然の理を込める短詩の特徴を生かしな

がらも、百十九編の詩がすべて連結され、一つの巨大な叙事詩をなす形態を帯びている

。芸術空間“SOHO”を背景に文学、音楽、美術、映像、著述活動を全方位的に繰り広げ

、それらが一つに合わさり韓国社会の眼目を向上させ、芸術の香りをふりまくことを願

う詩人李承信の祈りがそこに集約されているのである。

 


ジャン・ジェソン記者 jeijei@munhwa.com                        

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