孫戶姸詩人の短歌、混種性の美学
PAK Jaesup(流通経済大学客員教授. 比較文学) 孫戶姸詩人が生きてきた80年、そして没後今日に至るまでの過去100年間は韓国史上類を見ない時代的変化と屈折の連続に満ちた一世紀でした。 日帝植民地下の正体性の混沌、解放とともに訪れたイデオロギー的な葛藤と対立、続く朝鮮戦争の勃発と同族相殘の悲劇、戦後の貧困と精神的な傷など繰り返される痛みを31文字の短歌に昇華させました。 孫戶姸詩人生誕100周年を迎えるにあたり、今後孫戶姸短歌文学を称え、またその研究がさらに広がることを願ってこの文章を始めます。
最初に申し上げたいのは、孫詩人の作品は日本の代表的な伝統詩歌の形式をとっていますが、その根底には怨恨/解恨という韓民族特有の情緒があることです。中西進先生が「日本人が真似できない韓国人の感情が込められている」と言われたのも、まさにそのような感情を指しての言葉ではないかと思います。
日暮れゆき雨戸を締める後幾度繰り返すなら君に会うらむ
31文字の圧縮された詩の中には、去った`あなた'への憧れと恨みが染み込んでいます。 日が暮れて網戸を閉めると、再び孤独と向き合う時間が訪れるでしょう。 その時間が繰り返されても再び'あなた'が戻ってくるのが難しい現実であることを知っているので詩人の恨みはさらに深まっていきます。 しかし歌の後半, 疑問の終結形式は妙な余韻を残します。`君に会うらむ'というフレーズには、会えないかもしれないという不安の心理と、忍耐の時間が尽きれば'あなた'と再会できるという希望と意志が入り混じています。夜明けを待ちながら漆黒の夜をひたすら耐え忍ぶ姿とでも言うのでしょうか。 耐え難い歴史的重圧から生まれた恨の情緒と、その恨を超えようとする超越意識あるいは克服意志の間の緊張が孫戶姸文学を一貫する美的構造を形成しています。
興亡の絶え間ながり祖国なりまた書き添えむ三八線
38線は韓国戦争から始まった南北分断の地理的境界を意味しますが、聞いた瞬間恨の感情が浮かぶ言葉です。 しかしこの詩は悲壮感や重苦しさだけが感じられるわけではありません。 その逆の情調がバランスを取っています。まるで詩的自我は神の全知的な視点から歴史を眺めるような姿勢をとっています。 ‘また書き添えむ`という淡々とした口調には、「亡」から「興」に反転させてきた歴史的経験から生まれた楽観的な意識があるようです。 哀而不悲、恨の克服という韓国文学の伝統的なテーマは、民謡「アリラン」から高麗歌謡「カシリ」、そして金素月の詩まで続いていますが、孫詩人の作品もこのような韓国文学の精神的な源泉に繋がっていると思います
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