孫戸妍歌人生誕100周年記念
国際文学フォーラ ム
恩田英明
今回のフォーラムのテーマ〈孫戸妍歌人の平和と和解〉における「平和と 和解」を希求する精神は、言うまでもなく世界的に戦乱の絶えない現代に最 も必要なものである。
孫さんの歌は、ひと言で言えば、現代に必要な《寛容》の精神に満ちてい る。もちろん、そのための時代の意識や人の思いを感受し、動かす力を兼ね 備えているから言えることだ。
時代や境遇に共通して人の心を動かす文学としての力を信じて、私は歌わ れた内容と同時に短歌の言葉の調べにも注目し、楽しみながら、孫戸妍さん の作品を選んだ。
アーチ飾る崇禮門の花無窮花この時をしも慎ましく咲く
もろともに同じ祖先を持ちながら銃剣とれりここの境に
興亡の絶え間なかりし祖国なり又書き添えむ三八線(サムパルソン)と
隣いて胸にも近き国なれと無窮花を愛でてさくらも愛でて
目鼻口変る事なき友と吾れただ違うのは国籍のみなり
チマチョゴリ装いながら一人嗅ぐ百済時代のその残り香を
君よ吾が愛の深さをためさむとかりそめに目を閉ぢたまひしや
ふりかえり又ふりかえり山降りる淋しき山に君のみ残し
子らの前涙をみせぬ母吾れは独りの夜の枕を濡らす
計らずもタンポポの穂が空に舞い汝が文机に降りて静まる
* * * * * *
アーチ飾る崇禮門の花無窮花この時をしも慎ましく咲く『孫戸妍歌集』
「」は南大門。李朝時代の歴史的建造物で韓国の誇る国宝である。
「無窮花」は、韓国の国花で「ムグンファ」と読まれ、日本語では「ムクゲ」と読まれる。
この短歌では「ムクゲ」と読む。
同じ漢字文化圏でも中国から朝鮮半島に渡ってきたといわれる読み方と、日本に直接渡ってきた読み方の違いなのかと、言葉というものの不思議さに驚かされる。
「この時をしも」とは、日本の敗戦と同時に挙がった韓国民の歓喜の声と熱気に満ちたちょうどその時のこと。国内に満ちる熱気にも関わらず崇禮門を飾る無窮花の花はしずかに咲いている、という。
ここに咲いている無窮花の花は作者の心の有りようを表して、静かな言葉の調べが読む者の心に染みてくる。
もろともに同じ祖先を持ちながら銃剣とれりここの境に
この作品は、朝鮮動乱のときの38度線をモチーフとしている。
実際に作者が銃剣を持って戦ってはいないが、言わずにはいられない思いがあふれ出たのだ。同じ祖先を持つ者同士が戦っている。事実だけのようだが、最も近い者同士ではないか、分かり合えないのか? という問いかけだ。
興亡の絶え間なかりし祖国なり又書き添えむと
歴史をはるかに思い返すと、高句麗、百済、新羅などがあり、国々はそれぞれ栄えたが、すで滅び、人々の一部は日本への渡来人となった歴史がある。日本文化はそうした渡来人文化も取り込んで、現在に続いている。
作者には現在、同じ民族で38度線を挟んで対立している祖国がある。日本よりずっと近い。事実だけを述べながら歴史を振り返る確かなまなざしがあり、前作同様の問いかけがある。
隣いて胸にも近き国なれと無窮花を愛でてさくらも愛でて
目鼻口変る事なき友と吾れただ違うのは国籍のみなり
最初の作品は、韓国と日本の理解のもととなるそれぞれの国花をめでる愛の心をお互いに持っているという作品。「国なれと」は、意味として「国であると(思う)」として読んだ。
「無窮花を愛でてさくらも愛でて」が生き生きと記憶に刻み込まれる調べを持った作品である。私はどちらも愛でているよ、という真意が隠れている。
ほかに、「国と国なれ」という表現の作品があるが、その場合は意味が分かり難いようだ。
チマチョゴリ装いながら一人嗅ぐ百済時代のその残り香を
1998年、日本の高岡市で開かれた「万葉祭り」の際の作品。
日本の『古今和歌集』139番の作品〈五月まつのをかげば昔の人のの香ぞする〉が思い浮かぶ作品。『伊勢物語』六十段にも出てくる。
実際の「残り香」では無く心で感じる、こうした感覚を体得し、詩句に書き出すことで、いっそう短歌は捨てることができなかったのではなかったか。
同じ年に宮中の歌会始の陪聴人として招請もされている。
孫さんは、韓国に居て孤独に短歌を続けながら、仕合わせな歌人であったと言うことができる。
君よ吾が愛の深さをためさむとかりそめに目を閉ぢたまひしや
これは、1997年、青森県六ヶ所村の尾駮沼(おぶちぬま)に建てられた歌碑に刻まれた作品。「君」は夫のリ・ユンモさん。
通常は「ためさむ」とは、私を信じていないのか、ということだ。ただ、本当に試すなどということをするわけがないのは分かっている。
キーとなるのは「かりそめに」という言葉で、本当はまだ生きていて、すこしの間だけ目を閉じられたのですか、と問いかける。永遠に目を閉じたなんて、冗談でしょう? と。情愛の深さが伝わってくる。
心から分かりあっている間柄だからそのように言うことができるのだ。孫さんの夫は冗談をよく言って、孫さんをからかったとのことだが、その人柄を踏まえている。
この作品、よくぞ「かりそめ」といううるわしい言葉を使ったものだ。丈高く、調べが美しい優れた短歌。孫さんの代表作でもある。
師事し、孫さんを励まし続けた歌人の佐佐木信綱に〈ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲〉という端正な調べでよく知られている作品がある。
そのうえ、すぐれた万葉学者の中西進先生を師とすることで日本の古典文学をより深く学ぶという出会いがあった。
そうした、よき仕合わせの蓄積から生まれた貴い一首だ。
ふりかえり又ふりかえり山降りる淋しき山に君のみ残し
この一首、(北出明『風雪の歌人―孫戸研の(ソンホヨン)の半世紀―』に孫さんの希望で掲載した作品の中の「愛しき日々」に収まる。
『万葉集』212番の作品〈ぢをの山にを置きてを行けば生けりともなし〉のモチーフを反映しているような作品だ。
212番の作品の意味は、引手の山に、いとしい人を残して(葬って)置いて山路を帰ってくるそのとき、生きている気もしない、という。
孫さんの作品の「ふりかえり又ふりかえり」と「淋しき山」という心中の表白は、日本の伝統の中ではここまで、直接的に言葉で書かないところだ。
ただ、この部分が孫さんの祖国の民族性を表したところであり、ゆずれないところだろう。韓国で短歌を作り続ける意味もこうしたことで生きたのだ。
子らの前涙をみせぬ母吾れは独りの夜の枕を濡らす
昼のあいだは、子供たちの相手などで涙を流すようなことはしない。ただし、夜は妻であって、もう夫のいないひとりの夜は悲しみに堪えず、寝床の中で涙を流しているというのだ。
「涙」が先に出てくるので第五句目で「濡らす」は涙が濡らすのだということが分かる。
もともと、日本には「袖を濡らす」という慣用句があって、「泣く」ことを表す。孫さんが日本の言葉をよく理解している証しと思って、膝を打った。ついでに言うと、「膝を打った」は、納得した、感心したという意味である。
計らずもタンポポの穂が空に舞い汝が文机に降りて静まる
家の中に外から持ち込んだタンポポの穂から、絮毛のついた種子が思いがけず空中に舞い上がった、その幾つかが、かつてあなたが使った文机の上に降りてきて静まったという。作者はそれがうれしく、かなしいのである。
「計らずも」に意味的に近い「ゆくりなく」という言い方もあるが、それだと外的な要因でタンポポの穂絮が空中に舞い上がった意味合いが強くなってしまう。
「計らずも」は、作者の吐息というか、溜め息が感じられる言葉である。それで、作者がタンポポの絮毛を吹き散らすほどの溜め息を吐いたことになる。永遠に不在の「君」をいまさら思ってもどうすることもできないことなのに、という、複雑な思いを裏に秘めたすぐれた作品である。
ここで、李承信(リー・スンシン)さんの作品を挙げてみたい。
101首の『孫戸研歌集』の最後のメッセージに添えてある。
美しく情満ちる世にならまほし歌人の母の遺産掘り出す
お母さんの短歌に見つからない作品があって、それを探し出してこの世の光を当てようというのではなく、数々の作品から母親の情深い思いを深く理解して広め、この濁った世の役に立てようと言う意味の「掘り出す」だ。
「ならまほし」もが綺麗な言葉。「なって欲しい」という願望である。
母のこころざしを継ぐという仕事はエネルギーが要る。日本の最澄の言葉の「一隅を照らす」を思い出させる。世の一隅を照らすことは、広く世の全体に光を照らすところにつながるという重要な意味を持つ。それがこの世の中を救うことになる。李さんは、もう随分と広く世の中に光を届けている。
孫戸研(ソン・ホヨン)さんが生きたのは、まさに時代の転換期、激動のときだった。日本の支配が突如終って独立したときの混乱があり、その後の朝鮮動乱に翻弄され、父親は行方不明のままである。
北朝鮮とは休戦しているだけで、いまだに戦争中である。しかも、夫の李允模(リ・ユンモ)さんはその北朝鮮生まれである。孫さんは、その夫に先立たれるという不幸も背負った。
孫さんの短歌を読み、北出明氏の孫さんの生涯をまとめた著作を読んだだけだが、日本の敗戦を知って、周囲の人々が歓喜に沸いていても孫さんは心中は複雑だったということがよく分かる。
祖国の韓国に抱くと同様に、短歌を通じて日本の国をも愛する心の持ち主になっていたからである。このような複雑な胸中を映し出す短歌という形式の詩の妙味を存分に味わった。
現代の韓国の状況を考えると、統治者が反対勢力に替わるたびに日本では考えられないほど、価値基準の転換があり、前の統治者側には必ず過酷な運命が待ち受けているという印象が強い。
そういう国柄も思いながら読んだが、孫さんは自らの運命を直視して、誰かを恨むというようなルサンチマンに陥っていないことが、一番嬉しいことだった。作品には上質な精神のあり方が自ずから表れている。
私たちの地球は相変わらず戦乱の空間をどこかに持ちながら時間が過ぎている。時代を超えて、孫戸研さんの短歌を私たちが引き継いでゆく意味はそこにある。