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孫戸妍歌人100周年 - 恩田英明朗読とスピーチ

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  • 2024.05.23 14:53
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戸妍歌人生誕100周年記念 

 

際文フォ 

 

                                                     恩田英明

 

 

 

今回のフォラムのテマ〈孫戸妍歌人の平和と和解〉における「平和と 和解」を希求する精神は、言うまでもなく世界的に戦乱の絶えない現代に最 も必要なものである。 

 

孫さんの歌は、ひと言で言えば、現代に必要な《容》の精神にちてい る。もちろん、そのための時代の意識や人の思いを感受し、動かす力を兼ね 備えているから言えることだ。 

 

時代や境遇に共通して人の心を動かす文としての力を信じて、私は歌わ れた容と同時に短歌の言葉の調べにも注目し、しみながら、孫戸妍さん の作品を選んだ。

 

チ飾る崇禮門の花無窮花この時をしもましく

 

もろともに同じ祖先を持ちながら銃とれりここの境に

 

興亡の絶え間なかりし祖なり又書き添えむ三八線(サムパルソン)

 

隣いて胸にも近きなれと無窮花を愛でてさくらも愛でて

目鼻口る事なき友と吾れただ違うのは籍のみなり

 

チマチョゴリ装いながら一人嗅ぐ百時代のそのり香を

 

君よ吾が愛の深さをためさむとかりそめに目を閉ぢたまひしや

 

ふりかえり又ふりかえり山降りる淋しき山に君のみ

 

子らの前をみせぬ母吾れはりの夜の枕を濡らす

 

計らずもタンポポのが空に舞い汝が文机に降りてまる

 

 

*          *               *     

 

アーチ飾る崇禮門の花無窮花この時をしも慎ましく咲く『孫戸妍歌集』

「」は南大門。李朝時代の歴史的建造物で韓国の誇る国宝である。

「無窮花」は、韓花で「ムグンファ」とまれ、日本語では「ムクゲ」とまれる。

この短歌では「ムクゲ」とむ。

 

同じ漢字文化でも中から朝鮮半島に渡ってきたといわれるみ方と、日本に直接渡ってきたみ方の違いなのかと、言葉というものの不思議さに驚かされる。

「この時をしも」とは、日本の敗と同時にがった韓民の喜のと熱ちたちょうどその時のこと。国内ちる熱にもわらず崇禮門を飾る無窮花の花はしずかにいている、という。

ここにいている無窮花の花は作者の心の有りようを表して、かな言葉の調べがむ者の心に染みてくる。

もろともに同じ祖先を持ちながら銃とれりここの境に 

この作品は、朝鮮動のときの38度線をモチフとしている。

際に作者が銃を持ってってはいないが、言わずにはいられない思いがあふれ出たのだ。同じ祖先を持つ者同士がっている。事だけのようだが、最も近い者同士ではないか、分かり合えないのか? という問いかけだ。

興亡の絶え間なかりし祖なり又書き添えむ 

史をはるかに思い返すと、高句麗、百、新羅などがあり、はそれぞれえたが、すで滅び、人の一部は日本への渡人となった史がある。日本文化はそうした渡人文化も取りんで、現在にいている。

作者には現在、同じ民族で38度線をんで立している祖がある。日本よりずっと近い。事だけを述べながら史を振り返る確かなまなざしがあり、前作同の問いかけがある。

 

隣いて胸にも近きなれと無窮花を愛でてさくらも愛でて 

目鼻口る事なき友と吾れただ違うのは籍のみなり 

 

最初の作品は、韓と日本の理解のもととなるそれぞれの花をめでる愛の心をお互いに持っているという作品。「なれと」は、意味として「であると(思う)」としてんだ。

「無窮花を愛でてさくらも愛でて」が生き生きと記憶に刻みまれる調べを持った作品である。私はどちらも愛でているよ、という意がれている。

ほかに、「なれ」という表現の作品があるが、その場合は意味が分かり難いようだ。

チマチョゴリ装いながら一人嗅ぐ百時代のそのり香を 

1998年、日本の高岡市で開かれた「万葉祭り」の際の作品。

日本の『古今和歌集』139番の作品〈五月まつのをかげば昔の人のの香ぞする〉が思い浮かぶ作品。『伊勢物語』六十段にも出てくる。

際の「り香」では無く心で感じる、こうした感を体得し、詩句に書き出すことで、いっそう短歌は捨てることができなかったのではなかったか。

同じ年に宮中の歌始の陪人として招請もされている。

孫さんは、韓に居て孤に短歌をけながら、仕合わせな歌人であったと言うことができる。

君よ吾が愛の深さをためさむとかりそめに目を閉ぢたまひしや 

これは、1997年、森県六ヶ所村の尾駮沼(おぶちぬま)に建てられた歌碑に刻まれた作品。「君」は夫のリユンモさん。

通常は「ためさむ」とは、私を信じていないのか、ということだ。ただ、本に試すなどということをするわけがないのは分かっている。

となるのは「かりそめに」という言葉で、本はまだ生きていて、すこしの間だけ目を閉じられたのですか、と問いかける。永遠に目を閉じたなんて、冗談でしょう? と。情愛の深さがわってくる。

心から分かりあっている間柄だからそのように言うことができるのだ。孫さんの夫は冗談をよく言って、孫さんをからかったとのことだが、その人柄を踏まえている。

この作品、よくぞ「かりそめ」といううるわしい言葉を使ったものだ。丈高く、調べが美しい優れた短歌。孫さんの代表作でもある。

師事し、孫さんをましけた歌人の佐佐木信綱に〈ゆく秋の大和の師寺の塔の上なるひとひらの雲〉という端正な調べでよく知られている作品がある。

そのうえ、すぐれた万葉者の中西進先生を師とすることで日本の古典文をより深くぶという出いがあった。

そうした、よき仕合わせの蓄積から生まれた貴い一首だ。

ふりかえり又ふりかえり山降りる淋しき山に君のみ

この一首、(北出明『風雪の歌人戸研(ソンホヨン)の半世紀』に孫さんの希望で載した作品の中の「愛しき日」にまる。

『万葉集』212番の作品〈ぢをの山にを置きてを行けば生けりともなし〉のモチフを反映しているような作品だ。

212番の作品の意味は、引手の山に、いとしい人をして(葬って)置いて山路をってくるそのとき、生きているもしない、という。

孫さんの作品の「ふりかえり又ふりかえり」と「淋しき山」という心中の表白は、日本の統の中ではここまで、直接的に言葉で書かないところだ。

ただ、この部分が孫さんの祖の民族性を表したところであり、ゆずれないところだろう。韓で短歌を作りける意味もこうしたことで生きたのだ。

子らの前をみせぬ母吾れはりの夜の枕を濡らす 

のあいだは、子供たちの相手などでを流すようなことはしない。ただし、夜は妻であって、もう夫のいないひとりの夜は悲しみに堪えず、床の中でを流しているというのだ。

」が先に出てくるので第五句目で「濡らす」はが濡らすのだということが分かる。

もともと、日本には「袖を濡らす」という慣用句があって、「泣く」ことを表す。孫さんが日本の言葉をよく理解している証しと思って、膝を打った。ついでに言うと、「膝を打った」は、納得した、感心したという意味である。

計らずもタンポポのが空に舞い汝が文机に降りてまる

家の中に外から持ちんだタンポポのから、絮毛のついた種子が思いがけず空中に舞い上がった、その幾つかが、かつてあなたが使った文机の上に降りてきてまったという。作者はそれがうれしく、かなしいのである。

「計らずも」に意味的に近い「ゆくりなく」という言い方もあるが、それだと外的な要因でタンポポの絮が空中に舞い上がった意味合いがくなってしまう。

「計らずも」は、作者の吐息というか、溜め息が感じられる言葉である。それで、作者がタンポポの絮毛を吹き散らすほどの溜め息を吐いたことになる。永遠に不在の「君」をいまさら思ってもどうすることもできないことなのに、という、複な思いを裏に秘めたすぐれた作品である。

ここで、李承信(ー・スンシン)さんの作品をげてみたい。

101首の『孫戸研歌集』の最後のメッセジに添えてある。

美しく情ちる世にならまほし歌人の母の遺産掘り出す 

お母さんの短歌に見つからない作品があって、それを探し出してこの世の光をてようというのではなく、の作品から母親の情深い思いを深く理解してめ、この濁った世の役に立てようと言う意味の「掘り出す」だ。

「ならまほし」もが綺麗な言葉。「なって欲しい」という願望である。

母のこころざしをぐという仕事はエネルギが要る。日本の最澄の言葉の「一隅を照らす」を思い出させる。世の一隅を照らすことは、く世の全体に光を照らすところにつながるという重要な意味を持つ。それがこの世の中を救うことになる。李さんは、もう分とく世の中に光をけている。

戸研(ソンホヨン)さんが生きたのは、まさに時代の換期、激動のときだった。日本の支配が突如終って立したときの混があり、その後の朝鮮動に翻弄され、父親は行方不明のままである。

北朝鮮とは休しているだけで、いまだに戦争中である。しかも、夫の李允模(ユンモ)さんはその北朝鮮生まれである。孫さんは、その夫に先立たれるという不幸も背負った。

孫さんの短歌をみ、北出明氏の孫さんの生涯をまとめた著作をんだだけだが、日本の敗を知って、周の人喜に沸いていても孫さんは心中は複だったということがよく分かる。

の韓に抱くと同に、短歌を通じて日本のをも愛する心の持ち主になっていたからである。このような複な胸中を映し出す短歌という形式の詩の妙味を存分に味わった。

現代の韓況を考えると、統治者が反勢力に替わるたびに日本では考えられないほど、値基準の換があり、前の統治者側には必ず過酷な運命が待ち受けているという印象がい。

そういう柄も思いながらんだが、孫さんは自らの運命を直視して、誰かを恨むというようなルサンチマンにっていないことが、一番嬉しいことだった。作品には上質な精神のあり方が自ずから表れている。

私たちの地球は相変わらず戦乱の空間をどこかに持ちながら時間が過ぎている。時代を超えて、孫戸研さんの短歌を私たちが引き継いでゆく意味はそこにある。

 

 

 

 

 

 

 

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