カルチャーエッセイ

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流れる音楽のように

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  • 2014.09.13 13:18

정명화 경화                                                  2014 8 7

 

流れる音楽のように

 

 

大關嶺は思っていたより近かった。

高速道路のおかげだろうか。長いアメリカ生活で長旅に慣れたせいで実際よりも近く感じたのだろうか。

 

ニューヨーク州シラキュースから少し北側に行くと、五大湖のすぐ前オスウィーゴにニューヨーク州立大学(SUNY)がある。そこに住んでいた頃はまだアメリカにキムチのなかった時代だが、白菜もないのでキャベツでキムチを漬けて食べ、冷麺が食べたくなると時間の道のりを走りマンハッタンの又来屋に出かけた。いつだったか石油危機真っ盛りのときには、ニューヨーク行きの路上のガソリンスタンドで立ち往生してしまったこともある。

 

近くなった大關嶺を走りながら、そのときのことが思い出された。

江原道といえば旌善アリラン、休暇で行くところ程度といった印象だが、それだけにそうした無色無臭の純粋な背景に国際音楽祭がよく似合うと思う。

 

鄭明和鄭京和が芸術監督を務める第11大關嶺国際音楽祭がそこで開かれた。江原道が龍坪のすぐ横にアルペンシア(Alpensia)スキー場とリゾートを建て、何年か前にはそこにコンサートホールとアメリカのアスペン式ミュージックテントを建てた。

 

ニューヨークのタングルウッドとコロラドのロッキー高地のアスペン、日本の軽井沢、長野のことや、知り合いの何人かが今ザルツブルク音楽祭に行っていることが思い出されたが、韓国にも音楽祭にそのようなコンサートホールがあれば、それほどひがむこともないのに と思いながら胸をはって入場した。

 

音楽祭の常任顧問である鄭明和監督の夫である具三悦先生と、前外交部長官である金星国際音楽祭理事長が出迎えてくださった。ソウルではなかなか会えない懐かしい顔たちも見える。初日から全12回の公演をすべて見るという。遠い外国まで荷物をひきづりながら行く必要もなしに、大關嶺の涼気と新鮮な空気の中で毎日最上級のコンサートを見ることができるのだから、これにまさる喜びはないという。

 

 

O Sole MIo’のタイトルで始まった今年の夏の音楽祭には、マスタークラスの個人教習等の教育プログラム、巨匠の人生と音楽の話を聞くアーティストとの対話と公演が開かれる。音楽祭のハイライトである‘著名演奏家シリーズ’には、若き英才たちと世界中から招聘されてきた名のある演奏家たちが登場する。

 

感動的な中国のチェリストジャン・ワン(王健康、Jian Wang)、バイオリンのスヴェトリンルセフ (Svetlin Roussev)、ロンドンフィルハーモニーのビオラ主席ポール・シルバーソーン(Paul Silverthorne)、イスラエルのシャロン・ベザリー(Sharon Bezaly)のフルート、日本のベーシスト文屋玄徳、ソン・ヨルムとキム・テヒョンのピアノ、八十歳の老練のピアニストーター・フランクル等が目につく。

 

彼らの特徴は、皆一様にその力の抜けたタッチから、柔らかく自然で深みのある洗練された響きが滲み出てくることだ。その成熟が私たちを和ませる。そうなるまでの血の滲むような努力、よき演奏のための三大秘訣がpracticepracticepracticeであることを想像してみる。多くのことを放棄して犠牲にしてきた歴史がそこにはあるはずだ。

 

少し前に見た映画“25年目の弦楽四重奏”を思い出す。ひとりではできない楽器演奏にはチームが必要であり、その調和の音楽の後ろに愛と葛藤と矛盾の人生が隠されていた。

 

鄭明和、鄭京和の二人は今回の音楽祭の観客を失望させはしなかった。鄭明和の成熟は平穏そのものであり熟し切ったそのトーンは若い演奏者には及びもつかないものだった。鄭京和の声の魅力と素晴らしい身振りに聴衆の心は魅せられた。オベーション、鳴り止まない拍手はついに奏者をしてアンコールに応えざるを得なくさせた。

 

鄭明和も京和も世にふり、今や彼女たちも七十の声を聞く歳になった。鄭明和監督自身の言葉によれば、自分は世界最高齢のチェリストだろうという。しかし、その熱情は少しも衰えていない。

 

六十年代の幼い私は梨花女子中学校に入学し、十六科目で全校一位だったが、近くには信仰教育とともに、できて間もないソウル芸術高校があり、勉強を強制するよりも自身の個性と才能をおもいきり活かし伸ばしていくという雰囲気だった。その代表的な例が当時既にアメリカに行っていた鄭明和と京和だった。顔も知らないそれら先輩の例を聞きながら、私たちはそれぞれの才能を開発していった。

 

彼女たちの母、李元淑女史の教育熱もよく知られた話だ。十一歳の長女にお前は歌が好きだからチェロ、お前はバイオリン、お前はピアノと子どもたちの楽器までいちいち決めていった。ソウルで高麗亭という食堂をしながら教え、子どもたちをワシントンに連れて行ってからも韓国食堂を開き、手が足りないと幼い鄭明勲が厨房の手伝いをした。そのせいで鄭明勲は今でも料理が好きで、音楽家にならなかったら料理師になっていただろうという言葉もよく知られている。

 

その母親に初めて会ったのが1980年の夏のことだった。

オスウィーゴから車で時間ほどのシラキュース教会に行くと、シラキュース大学病院でインターンをしていた末息子に会いに来た李元淑女史もときどき顔を出した。礼拝後にはアメリカでの私の車第1号である赤いフィアットに乗せてドライブもした。そんなとき、助手席でまだ一歳にもならない私の息子アンドリューをその膝の上に乗せて抱いてくださった。

そこには海のような五大湖のオンタリオ湖もあるが、緑色をたたえた数多くの湖と滝、そして川と小さな流れがあった。冷たいその流れに足をひたし、一年のうち八か月は雪が降るこの地の短いけれど眩しい夏の日々を私たちは享受した。

 

子育ての話や音楽の話をし、最近の若者たちはテンポの早い激しい音楽に心酔してクラシックは眠気を誘うと言っていると言うと、声のトーンも変わり「京和のバイオリンを聞けば絶対にそんなはずがない」と語ったことを覚えている。

 

鄭明和、京和の姉妹を見ると、その母李元淑女史の三十余年前の表情と声が、アンドリューをぎゅっと抱きしめてくれた姿とともにはっきりと思い浮かぶ。

 

 

その熱情的な演奏に聴き入りしばし目を閉じるとあの真夏の一場面が映画のように流れる。波打つ海のように大きくエメラルド色をたたえた湖、その美しい湖を神の指のように吹き抜ける風の音、若き日の我が家の前のオスウィーゴの川の流れ、その岩の間を流れる水の音が耳もとに重なり蘇る。 

 

 

 

 

嶺国際音楽祭   -  music tent   2014  8  1 

Great Mountains Music Festival  -  tent  2014    3

 

嶺国際音楽祭quartet  -  concert hall  2014  8  3

    鄭京和監督は詩人になるのが夢だという -  2014  8  4

   

Pianist ソン・ヨルムは文章も上手い -  2014  8  4 大關嶺 finale party

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 


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