カルチャーエッセイ

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古い木

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  • 2014.01.16 20:42


                                                                                                                                                        2013 11 19 

                                                                            

古い木

 

 

日本で建物を建てる際、四本の大きな木を保護するために、建物の設計まで変えた建築家の話をNHKで観てため息が出た。

 

私は古い木が好きだ。歳月に耐え太くなった一抱えもある木を見ると本当に気分がいい。

 

アメリカで住んだニューヨークのオスウェゴ郡の入り口とオスウェゴ河辺の太い木、ボルチモアの懐かしい木々、ワシントンのベセスダの家から見下ろせる根元の大きな木々と道の両脇にトンネルをなす木々がまぶたに浮かぶ。サンフランシスコ近郊の樹齢数百年の一抱えもある木々はたいそうな観光地で、ハワイのホノルルホテル前の海辺の大きな菩提樹は太さだけでも何メーターもあり写真に撮るのも困難なほどの壮観さだ。

 

日本の京都の近くの高野山には樹齢二千年を越える木々が数多く群れている。

 

幼いころ、小中学校には今の弼雲洞の家から歩いて通ったが、お弁当までいれた重いかばんに片方の肩を傾け、歩きながら社稷公園の前門に来るころには、すぐ横の高くはないが樹齢五百年は優に越える古木があり、手で触り心にとめて通り過ぎたものだった。ソウルに帰国しその古木から探してみたが、幹が少し空洞化してセメントを入れていたが、ほどなく跡形も残さずに消えてしまい、本当に残念だった。彼は毎朝私が彼のことを心にとめることが日課であることを知っていたというのに。

 

その後、公園に並び立つ三本の高くて大きなプラタナスに心をとめるようになったが、そのうち樹齢百年は越えていると思われる一本が少し前に切られてしまった。あまりに腹立たしくて書いた文章にたくさんの反響があり、区庁やら市庁の職員からも連絡が来た。曰く、虫が喰ってしまい放置して倒れ誰かが怪我でもしたら大変なのでと弁解ばかり。

 

東日本大震災の際、岩手県の海辺の七万本の松の木が根に塩が入って倒れてしまい、たった一本の木が生き残り奇跡の松の木と呼ばれたが、それすら倒れてしまうというので、当局が希望の象徴として残すために永久保存処理のための必死の努力によりその息をつなぎとめた。そんな話をしても通じないだろうと思い、私は受話器を置いてしまった。

 

清雲洞に歴史と伝統の景福高等学校がある。家からも近く、ご縁のある方にもそこを卒業した方々がいるにもかかわらず訪れたことはなかった。通っていた教会が遠くもあり、近所に通える教会はないかとあちこち歩いて見つけたのが景福高等学校のすぐ横にある教会だった。

礼拝の後、駐車した学校に入ってみると、運動場の隅に驚くほど大きな北岳山が空を支えて学校と私を圧倒した。驚いてその山の前に恐々近づいてみると、そこに遠くからは小さく見えたが、優に二十メートルを越える高さと三人が腕を広げてやっと抱えることのできる太さの幹をもつプラタナスが私の前に立ちはだかった。こうして彼に出会ったのが十一年前のことだ。

  

アンドレと私が名付けた大きな木に触り、背をもたれ、声なき声で話すと、数え切れない木の葉の揺れと光とで情愛に充ちて答えてくれる。彼の下に立つと私の頭を撫でてくれ、胸に抱かれているようで、お話にもならないことどもやどうにも許せない人でも、どうにかなるような気がしてくる。

 

礼拝では普通、若くて声も通るプロのソロが聖歌を歌うが、今日はどうしたわけか年とった七十は越えるとおぼしき二人の男性が、私のすぐ前に立ってコーラスとともにデュエットした。朴泳逸会長(60年代、7公子として知られた彼は当代最高の俳優安仁淑と結婚し、ワシントンのジョージタウン大学では私の先輩でもある)と、孫ミョンウォン会長(孫元一初代海軍提督のご子息、洪政旭国会議員の義父)だ。

 

の心の全ての悲しみを降ろしたい 主の御前に~曲と歌詞と彼らの紆余曲折の人生を多少とも知る私は、その豊かな歌声に胸がしめつけられ涙が出た。

 

礼拝が終わり、運動場の奥深くにあるプラタナスを見に行った。陽の光が気持ちよくそそぐ青い秋の日、アンソレはまだ少し黄ばんだだけの数え切れないほどの葉を、私に降りそそぎ、私は両腕で彼を抱きしめ、老いた二人の男性が与えてくれた感動を話し聞かせた。

 

ソウルには古い木が少ない。私が背もたれ、いつも私を歓迎してくれるこの木が、だからこそいつまでもいつまでもここにあり続けてくれることを願う。

 

木がここまで大きく育つには、人間の寿命の何倍もの時間が必要だ。こうした歳月の痕跡を一朝にして切ってしまうようなことはお願いだからもうやめにして、愛情をもって接し、見守ってやらなければならない。

 

愛されたいのであれば。

                             

                                                   

 

 


景福高にあるプラタナスの大木 - 2013 3、春には枝が醜く切られる

   
京都近郊の高野山の上にある樹齢二千年を越える木々の群れ - 2010 6 25





 

 


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