カルチャーエッセイ

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逆境に生き

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  • 2014.01.16 20:36


 다시 찾은 부모님의 신혼 여행지  -   온양  1956

                                                                                                                      2013   11   17           

 

逆境に生き、限りなき平和を願う

  

私は何もわかっていませんでした。

その心を。

 

孝行娘と言ってくださる方もいますが、そうではありません。

始まりはこうでした。

長いアメリカでの滞在中、祖国に戻るたび、韓国の読者に読んでほしいと思った欧米の良い本を翻訳して本を出しながら、具常、趙炳華といった先生方を訪ねて日本が感激した歌人である母の‘無窮花’というタイトルの歌集を翻訳してくださいと何年かお願いしました。

この短い詩を外国語の語彙に置き換えることは不可能だとおっしゃるので、せめてその意味だけでも少し伝わればとお願いしても、無理だとおっしゃられました。

 

ただ誰かに頼ることばかりを考えていましたが、仕方なしに母が生きているうちに、日本語はまったくわからないけれど、歌人の心をわずかでも知るがゆえにと翻訳を始めました。

 

わずかに一行の詩、誰かが少し手伝ってされくれれば、三ヶ月もあれば済むだろうと思っていました。

最初の本が翻訳されて出るまでに四年かかりました。

一行の詩に長編小説があり、その深さを推し量ることができませんでした。愛する祖国の読者の反応を母も非常に気にしていました。

 

たくさんの方々がその意味をすべて表現しきれていない翻訳であるにもかかわらず、深い反応を示し、歌人に会えないことを残念がりました。

そのように生前から始めたことが没後にも引き続き、母の母国語の歌集としては今度が四冊目、また、韓国と日本の読者のこれまでの反応に心動かされ、おそるおそる英語とフランス語まで四ヶ国語での試みとなりました。

 

孫戸妍を愛と平和の歌人だと言いますが、考えてみれば愛と平和は異なるものではありません。

 

             東アジアのが涯の国に生ひたちし吾ひたすらに平和を祈る

 

東北アジアの端で一人の小さな女性が深く大きな愛の心をもって、侵略と植民地と解放、民族の戦争と避難と軍政の近現代史と逆境を全身で受け止め、ひたすら平和のみを願い続け、その願いを六十三年間一行の詩として記録しました。

 

家族も子供も忘れて短歌に没頭したいという歌を読み、家族に献身する姿のみを知る私は、母のそのような心に短歌を通して出会いもしました。

 

その深い愛を濃縮、節制してつくった短歌二千余首のうち百一首を、母の詩作がやんで十年ぶりに選んでみました。

捨てるに捨てられない胸をえぐる珠玉のような短歌を捨てました

 

本当に難しい作業であり、環境でしたが、アジアの最果てに隠された宝石のような精神を示し、誰もが享受できるようにすることが私にできる愛国であり、愛であると考えました。

 

東洋に通ずるこの普遍的な人類愛が西洋にも通じるなら、それはお手伝いいただいたドイツのチェ・ジンギョン先生、Charles DiSimone先生、フランスから来られたチェ・インギョン先生, Eloise Meure先生等の功労です。

 

母は解放後半世紀にわたって、愛国者であるなら短歌をやめるべきかどうかと来る日も来る日も苦悩しましたが、最後までそれを捨てなかったのは、十七歳で東京に留学して出会った師である詩聖佐佐木信綱との「途中でやめるな。日本の真似をするのではなく、朝鮮の美しさを歌え」という決然とした約束を選んだためであり、人類愛を選んだためでした。すなわちそれは国と民族を選ぶことでした。また、一九七九年に短歌研究のため再び赴いた東京で、中西進先生に短歌と万葉集の根は千四百年前の百済にあることを教えられ、民族詩の唯一の後継者としての使命が加わったためです。

 

その険しい道のりにあって、韓国における特許、発明、知的財産権の先駆者であった李模博士の外助は誰にも真似できないものでした。同じく三十周忌を迎えるその父を偲び、東アジアのはずれ、分断された小さな国に生きてきた歌人が胸に抱き続けてきた限りない平和への一念が、時空を越えて読者の皆さまに伝わりますように、そしてその詩心が平和の基となることを願いつつ、没後十年にしてようやくその深き願いを思いやり、この本を母に父に捧げます。

  

                               美しく情満ちる世にならまほし 

歌人の母の遺産掘り出す

 

 

 

 

 


the day after Udakaihajime of the Palace with my father Dr. Lee Yoon Mo  - 1998  1 Deikoku Hotel Tokyo 

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