カルチャーエッセイ

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崔銀姫

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  • 2013.08.28 18:37

 

 

1954年駐韓米軍慰問公演で韓国を訪れたマリリン・モンローを迎える当代韓国最高の女優

                                                

                                                                  2013   6   22  

         

  運  命

          
 

崔銀姫のことを考えると‘運命’という単語が思い浮かぶ。申相玉と運命の如く出会い我らが映画時代を築いた。分断の時代、香港から北朝鮮に拉致され、自身に遅れて拉致されてきた当時他人の男だった相玉監督と5年間の投獄後に再会し、そこで再び映画を作ることになったその愛と運命。

 

‘映画のような人生、崔銀姫をふりかえる’崔銀姫特別展

‘a Life like a Film  Choi Eun Hee Retrospective’が今韓国映像資料院にて開かれている。韓国映画史の一時代を築いた俳優崔銀姫は1947年に‘新たな盟誓’でデビューしているので映画人として間もなく66年になる。

 

申相玉という巨人と切り離して語ることのできない崔銀姫が出演した数多くの映画のうち、直接選んだ25編を通し、彼女の映画世界と映画よりさらに映画のような彼女の人生を振り返り理解する場を設けたものだ。

 

金洙容、林權澤のような有名監督、申榮均、南宮遠のような一世を風靡した共演俳優たち、そして、崔銀姫の声の吹替えをしたコ・ウンジョン、映画監督としてデビューしたばかりのキム・ドンホとファンたちが集まった。崔銀姫は車椅子に座ってはいたが、80代中盤とは思えないほど若々しく健康そうだった。

 

50年代、60年代をトップスターとして、韓国三人目の女性映画監督として、安養芸術学校校長として、韓国映画界のために最も力を尽くしていた最中の1978年に北朝鮮に拉致され、その後に拉致されてきた申相玉とともに、北朝鮮で金正日の全幅的な支持のもと作品を作りながら、1986年にウィーンからアメリカに亡命した。

 

私が彼女を最初に見たのは、幼くして‘離れの客とお母さん’を観た後の1966年。当時最高の学生雑誌として列をなして待った雑誌‘学園’が、私の通う女学校に表紙モデルを依頼し、教頭先生に選ばれて翌日雑誌社を訪れたとき、同じ部屋で当時人気の女性雑誌‘主婦生活’の表紙モデルとして派手な化粧をしていた崔銀姫を見た。彼女が偏平な顔の幼い私に挨拶してくれたかは記憶にない。

 

その後、正式に互いに会うことになったのは1994年9月。私がアメリカから帰国し第一企画の製作顧問としていたころ、ヒットの見込めるテレビドキュメンタリーシリーズを企画制作する必要があり、そこで北に拉致されながら劇的な脱出を遂げ、韓国に帰ることもなくアメリカに亡命して住んでいる申相玉と崔銀姫のことを思いついた。彼らは暗殺の危険からアメリカのCIAの保護下にあったが、私の直撃インタビューを身辺保護を理由に一言のもとに拒絶した。

 

それでも諦めきれずに説得し続け、ついにPDとADを伴ってハリウッドを訪ねた。一週間を共に過ごし、映画会社に行き、カトリック教会に通う彼らの日常を撮り、最終日のインタビューは彼らのアパートの居間で行うことを望んだが、一挙手一投足が録音される危険が状況だからと応じないのを、何とか説得してついに彼らの応接室でのインタビューが実現した。

 

申相玉は格好良く知的で中身があった。現代とは異なり困難だった過去の韓国映画製作のあらゆる面倒を見てきたはずの崔銀姫は巨大な人物の影に隠れ、二人に向けた私の6時間を超えるはばかりのない質問の大部分には申相玉が応え、崔銀姫は静かな内助者のようだった。 その時申相玉が俳優崔銀姫を一言で表現した言葉も‘良妻賢母’だった。インタビューの後で女優が作ってくれた料理もおいしかった。

 

韓国の映画時代を素手で作り出し、崔銀姫が申監督と味わった多くの苦労と韓国映画のために捧げた犠牲を思い、それゆえにこそ韓服の似合う韓国的な女性像のイメージが構築されたのだと考えた。

 

その後二人が故国に戻ってきてからも時々会ったが、何年か前申監督の葬儀における憔悴しきった崔銀姫を見るのはつらかった。

 

今回の特別展で崔銀姫に会うと、私たちだけのハリウッドでの思い出もありして本当に喜んでくれた。誰かが写真を撮ろうとするので私が少し後ろに引くと、それじゃあ自分の顔が大きく映ってしまうからと囁き、笑いながら私の体を押し出した。

 

若いときの美しい姿が全部記録されているので女優になって本当によかったと繰り返し言うのを見ると、俳優として蔑視された時代もあったはずだと思われた。物質万能、人気万能のこの時代に俳優になりたがらない人がいるだろうか。

 

昔私たちが二つの雑誌の表紙を同時にモデルとして飾ったことを、今度も口にすることができなかった。

 

 

               人の人生を生きる俳優

               分断の時代

               南と北の人生までを生きた女優

               の運命的な愛

       

               尋ねても尋ねても知りようのない

               彼女だけの人生

               彼女だけの愛

 

               ああ

               彼女だけの懐かしさ 懐かしさ

         

  

 

 

  

 


亡命後ハリウッドの申相玉・崔銀姫のアパート応接室における李承信インタビュ ー  1994 9

 

 


 波乱万丈の大韓民国代表的女優、左は俳優の南宮遠  -  2013  6  13 

 

  

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