カルチャーエッセイ

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父母の日

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  • 2013.08.28 17:45

 

 


鐘路区 弼雲洞 "孫戸妍・李承信親子詩人の家"にて 2002

                                                                                                                                2013  5  17  

  

父母の日



  

 

アメリカに住んでいたときには、5月の第二日曜日が mother's day6月の第三日曜日が father's dayだった。 インターネットもなかった時代、一年に二度ほどしか会えない両親

ことが本当に懐かしかった。

 

 

韓国でもそうだったが、アメリカでの20余年間も、父の日、母の日がくると価格は安くてもそれなりの見てくれのあるプレゼントを探し求めたものだった。今にして思えばその時間のなんという尊さか。

 

 

先に逝ったのは父だったが、与えられた愛に比べれば微々たるものでしかなくとも、それを買い求めてプレゼントした瞬間がどれほどの幸せであったかが骨身に染みた。父亡き後、韓国に一時帰国した際に、父の形見の品々を手にとっては、ああもういないのだなと気づかされた瞬間のことを思うと今でも涙がでる。母が逝ってからもそうだった。ショウウィンドウ越しに見える白や薄紫色のブラウス、ロマンチックな帽子を手にして、ため息をついたのは一度や二度ではない。

 

 

その後韓国に戻ってきたが、今なお耳慣れない父の日と母の日が合わさった父母の日をまた迎える。私が成功したら、素敵な家を、かっこいい自動車を買ってあげよう、どこかへ連れて行ってあげようとは思うことはあった、しかし、それ以前に両親の心を喜ばせ楽にさせてあげようという気持ちを持ったことがあったろうか。 

 

 

「親は待ってはくれない」という昔の人の言葉は正しかった。

 

 

花屋の外まで埋め尽くしたカーネーションを立ち止まって眺めると、遠く離れ離れだったというそれらしい理由で、思いのすべてを伝えることの叶わなかった三十年前に逝った美しい父と十年前にその感性を譲り渡して逝った母を思い、この父母の日に心は咽ぶ。

 

 

悟りはつねに一足遅い 

 

 

にもしよいがあるとすれば

それはに、ったからです

 

 

りないものがあるとすれば

その母と父に、もうずっとっていないからです

 

 

 

 

 

 

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