カルチャーエッセイ

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6 25 英雄、白善燁将軍

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  • 2022.07.15 21:07


今日白善将軍周忌です

 

将軍の後半生の10年以上にわたりよくお会いする機会があったことは幸運でした。最晩年の6ヶ月間はソウル大病院に入院されていましたが、パンデミックにより対面はできず、病棟の建物の前でお祈りを捧げました。

 

将軍と向かい合うと、その心と精神力が私にも伝わってきます。この時代には大人がいないと思っていましたが、勇気百倍、元気百倍を百年間変わることなく持ち続けた方がこの地にいらっしゃいました。その姿勢に接すると、大勢の人々が求める所有や権力が人生になんの意味があるのか、その存在がすべてだと自然に思わされました。

将軍に接すると、軍人だ、戦争だという以前に、‘人間的だ’と思いました。ほんとうに人間的な温かい心の持ち主でした。戦場では部下たちに対してもそうだったのでしょう。

戦争記念館の事務所から追い出されそうになった冷遇のときもありました。そのときの悲しい心を私は見ました。

葬儀は当然国葬とすべきでしたが、そうはなりませんでした。人々が光化門に設けた焼香所に毎日歩いて行きもしました。

「軍人として私が成功できたのは、軍事戦略に長けていたからではない。ヒューマニズム、人間に対しより真実により深く理解しようとしたからだ。平壌師範に通っている間、ほんとうによく読書をし、新聞もたくさんみた。そうしながら、どうやって生きるべきか、どう生きることが正しく生きることなのかを深く考えた。すると、世界をみる目が深くなり、広くなるのを感じた。大韓民国の未来と後裔もそうした自覚と世界観をもってほしい」

それは将軍との一対一の人生授業でした。

「生きてきたことのほとんどが心残りだ」胸襟をひらいたこんな言葉も聞こえてきます。何年か心塞いでいたときの将軍の心です。

 

時代がかわり、大統領の花輪と哀悼の心が伝えられたので、これを国民の心を受けとめ、休む間もなく国の行く末だけを心配し続けたその重荷をおろし、どうか安らかにお休みください。

 

 

将軍の二周忌に

 

李 承 信


 

 


 625 英雄 白善燁将軍                                                                2019 6 25 

 

 

 李承信ので書くカルチャーエッセイ

 

6 25 英雄、白善燁将軍 

 

 

6 25(朝鮮戦争)の英雄、白善燁将軍が百歳でもお元気でおられることが嬉しい。毎日来てもいいとおっしゃってくださっても、あちこち飛び回ってばかりで、たまにしかお会いできないが、6 25が近づいてくると自然と足と心が龍山の戦争記念館にある将軍の事務室に向かう。

 

その年の625日、北朝鮮が突然韓国に侵攻するや、二十代の将軍として東江の多富洞戦闘の先鋒に立ち、平壤まで昼夜歩き通して勇敢に進撃していったという何度も聞いたその話をまた聞くためだ。

 

父のDNAを内に感じている私は、常に亡き父に会いたい思いでいるが、父の知人や同期といえる人も崔奎夏元大統領を最後にもう誰もいないようで残念でならない。そうしたある日、戦争記念館に事務室があるジョン・イルファ博士が白善燁将軍は父の卒業した平壤師範の出身だといって私を連れて行った。

 

戦争経験もなく、同期でもないので父のことは知らないとでも言われたらどうしようと心配が先立った。

ところが、父の2年後輩にあたる将軍は私を楽にしてくださり、あれこれと父のことを仔細にお話してくださるので、懐かしさがこみ上げてきた。将軍の記憶力はあきれるばかりで、言葉で表現することはできない。平壤師範時代、その後各自それぞれの道をゆくことになっても、父の歴史を全てご存知だった。

 

こちらから聞きもしないのに、李先生のお父さんは平壤師範のころから多方面にわたる秀才で、満州での教育と教職、ソウルでの官職、事業など、すべてに頭角をあらわしと決して私の機嫌をとるためだけではないようすで語られた。90余年も前の話を今なお生きておられる方から聞くと、物悲しくも慕わしい父の思い出につかってしまう。

 

今回お目にかかったときには、とても残念そうなお姿だった。言葉でそうとは言わないけれど、最近の金元鳳事件のためか、一部の誹謗中傷のせいか意気消沈してみえた。ただ心でそう感じた。日本帝国主義時代に生まれて勉強し、仕事もしてきたことに難癖をつける手合いは相手にする価値もないが、自らが送ってきた人生と戦闘をかえりみてのことだろうか。

「私は生涯をかけて人と国を助けてきました」私はうなずいた。

 

マッカーサー将軍とともに撮った写真はもちろん、軍出身の新アメリカ大使ハリスが将軍の誕生日に膝をついて礼をつくした写真のある事務室を出て、龍山のドラゴンヒルロッジの食堂に場所を移した。

 

お話の途中でまた「李允模先生は秀才中の秀才で、同じく秀才の夫人と出会い、その愛の結実が李先生だ。よいこともあるだろうが、大変なことの方が多いだろう。しかし、神様がおられるからきっと報われる。そうでないとしてもそれが人生だ。それが人生だ。」とおっしゃられた。百年間の自身の人生を振り返っての言葉だろうが、父になだめられているようで、ありがたさに胸がつまった。

 

韓米同盟は強固であるべきですか ?

 

70年の私の経験によればそれしかない。安保だけでなくアメリカの支えなくして世界を相手取って貿易投資経済をすることはできない。

 

日本とも近づくべきですか ?

 

日本とは近すぎてもだめだが遠すぎるのはもっとだめだ。(そういいながら日本の歴史について長くお話しされた。)日本と一時陸軍はドイツのように強く、海軍はイギリスのようにすごかった。あのとき、アメリカに攻撃さえしなかったら、今はもっとすごいことになっていただろうに。しかし、今やアメリカとは切っても切れないチームとなり、これからの太平洋を治めるだろう。

 

中国はどうですか ?

 

中国はあまりに大きいので永遠に追いつくことはできないだろう。

 

将軍は戦争のあらゆる経験、作戦、軍事戦略を知り抜いているが、それを国の安保と国防に役立てられないことがただただ残念だと繰り返しおっしゃった。将軍にお会いするたびに、頭脳、記憶力、心、精神力、愛国心というものは、百歳という年齢とは何の関係もないことを知らされる。

 

「尊敬する先輩のお嬢様に、こんなにささやかなおもてなししかできず申し訳ない」 かつては将軍がこの食堂でステーキを食べる姿が羨望のまなざしで見られもしたが、将軍はつねにへりくだった態度で、私がこれまでに険しい人生をおくってこなかっただろうかと思いやる暖かい人間的な面をみせる。

 

懐かしい父のことをこんなにもよく知る方、この方がいなかったら韓国の今はないという英雄の手をにぎり、その肉声を目の前で聞いていることに、私はいつも感激する。

 

「また、おいでなさい」

 

将軍に会うと謙虚になり、いつも国を愛する心がわく。

 

 

壕の内座りいるままの屍を踏み越え踏み越え吾は出でゆく


                              孫戸妍の6 25 短歌

 

 

 


 

 


6 25朝鮮戦争 英雄 白善燁将軍  -  龍山戦争記念館 

 

 

 

 

 

 

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