カルチャーエッセイ

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果物お婆さん

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  • 2022.01.11 10:32

  


 7年前に書こうとして果たせなかった一文を、いま追慕の念とともに捧げます。             

2021 12 30  

 

                           果物お婆さん

 

 

心を通わせ合ったお婆さんが逝ってしまった。 

果物お婆さんだ。

ソウルという大都市の百貨店、その中の食料品コーナーと現代式スーパーマーケットができてからというもの、南大門市場などいくつかを除き在来の市場は消えてしまった。

景福宮西側の西村にも二つの市場があったが、愛らしかった錦川橋市場は何年か前に飲み屋横丁となり、通仁市場ひとつだけが残った。都市の真ん中にそれが残っていることも不思議だ。

市場は見るべきものが多く新鮮でいつ訪れてもおもしろいところだ。‘庶民たちの美術館’という言葉もある。地方や海外でも市場に行けばどんなにおもしろいだろう。

ソウルにすら碌なスーパーがなかった時代にアメリカに行き、買い物をしようと入ったスーパーの規模はすごかった。しかし、その中をさ迷い歩き必要なものをいくつか買いこんでレジに並んで計算すれば終わり。そこには情感の生じる余地はなかった。

故郷に帰ってくると、Old Village には巨大なスーパーマーケットはなかったが、
歩いて百余メートルの通仁市場はそのままだったのでありがたかった。市場特有の生気、躍動感、店ごとに一言二言情のこもった言葉がやりとりされ、昔のものがそれなりに残っており懐かしがった感性を満たすことができた。

何度か書いたことがあるが、通仁市場は靑瓦臺(大統領府)に近く、民族行事のころには民心視察の名目で大統領がぶらりと現れもし、ときに外賓が訪れもするが、いつかはアメリカ国務長官の John Kelly が靑瓦臺での会談の後でわざわざここを訪れた。ちょうどその場に居合わせた私は一緒にトッポギを食べながら、昔通ったアメリカの大学の話をしたりした。その後、そのとき食べた油トッポギが噂となり、コロナの直前までは外国から観光客がたくさん訪れもした。

私がよく行く果物屋が市場の入り口近くにある。果物屋は他にも多いが位置がちょうどいいからだ。あれこれ手に取り、手に提げて歩くと少しだけ買ったつもりでも重かった。けれど家に着いてその荷をほどくといつも暖かい気持ちになった。

ある日、ひととおり果物を選ぶとほんとうに重くなった。そこで「すいません。これ配達してくれないかしら。住所は~」と言うと、果物屋のお婆さんとその隣の野菜屋のおばさんやらお婆さんやらが寄ってきて、「あらまあ、あのお家? どうして弁護士さんの奥さんここ何年か姿を見せないの」というではないか。「ああ、母は三年前に亡くなりました」というと果物屋のお婆さんが驚いて、「あらまあ、四十年のお得意さんの中でもあんな方はいなかったのに。いつも‘今日はどうですか’と声をかけてくれてねえ、‘ひまひま’なんていうと、引き返してきて果物をいくつか買ってくれるの。三万六千ウォンですといえば普通ならみんなもっと安くしてよとかいうのに、いつもあと何個か余分に買ってくれて。世の中にあんな方はいないわ」と話した。そのころ私たち兄弟はアメリカに留学中で家で果物を食べるものもいなかった。

母が亡くなってようやく大人になった私は、母の本を翻訳し、世界に出てさまざまな行事と講演をして、その愛と平和の精神を知らせることに没頭した。

何日か後の11月22日は母の忌日であり、毎年たくさんの方々を‘詩人の家’に招待し、母の短歌をテーマとした文学、音楽、美術、映像、料理などからなるマルチアート行事開いている。お婆さんにその行事の説明をして「集まった人たちに今のお話をしてもらえるとありがたいんですが」と言うと、「ええ、それはもう。もちろん」と言ってくれた。

実はすでに挨拶する人は決まっていたので、そうしたくてもできない状態だったが、私はお婆さんのその言葉に感動した。そして思った。私が逝く番になったとき、私のことを日常生活の中で見ていた誰かから、こうした言葉を聞くことができるだろうかと。

その後、私はひとつでも多く母の思い出を拾えはしないかとほぼ毎日通仁市場に行き、話を聞いた。母が歩行器に頼って市場にやってきた話、母がお婆さんの身の上を尋ねた話など、母の痕跡がひとつでもわかると慰められた。

一度ひと月あまり姿を見かけないことがあり気になっていたが、聞くと小さな暖炉のそばで栗をむいているとき、ふくらはぎに火傷をおい、手術を受けてひと月以上入院していたそうだ。そればかりか、店を手伝っていた息子だけでなく、私は会ったことがないがもうひとりの息子も先におくることになったという。

露台の後ろの空間をのぞくと暗くてよく見えないが、鍋ひとつで食事をしている様子なので、市場に行くたびにそのまま食べられる蒸し餃子、餅、キムパプなどを差し入れた。豆腐、たまご、牛乳、魚なども見かければ差し入れた。お婆さんはそのたびに激しく遠慮したが、私にしてみれば母にはもう何もしてあげられないことが残念でしかたなかったせいだ。ごはんをしっかり食べて、市場の中でもいいからあちこちと歩きなさいと小言をいったりもした。しばらくぶりに市場に顔を見せるときには「見かけなかったので心配したよ」と言ってくれた。

市場では他にも何人かの商人と知り合ったが、心通わせたそのお婆さんが逝ってしまった。隣の野菜売りのお婆さんによれば、果物屋のお婆さんが一日も休まずに毎日仕事に出てきたのは息子を先におくったせいだという。市場の中にも曰くはあるのだ。

昨年、今年と身近な人を何人か失った。そこに名前を聞くこともなかったが果物と言葉を交わし合ったお婆さんも逝ってしまい虚しさがつのる。

漠々とした一年の終りに、数十年間そこにあり続けた果物屋が店を閉めてしまったことも侘しく、人生なんてしょせんそんなものと思いもするが、今頃はあんなにも会いたがっていた息子たちとついに再会をはたし、あるいは私の母にも会うことがあれば、その娘との二十年におよぶ付き合いの話もしているかもしれないとも思い、できるだけよい方によい方にと考えてみる。

市場を訪れるたびに、入り口の最初にで嬉しそうに迎えてくれたあの顔を思い出すだろう。

 

 

 

限りなき懐かしさの母と交感し

私とも心通わせたお婆さんを天におくり


凍えるような年末の市場を出る

 

 

  

 

 

通仁市場の入り口1号果物屋のお婆さん  -  2014  2  25


 

  

 

 

 

 

 

 


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