カルチャーエッセイ

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野球部の東海

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  • 2021.03.25 11:39

 

 

  

写真  - :朝鮮日報                                                                                 2021  3  21

 

 

李承信の詩で書くカルチャーエッセイ

 

野球部の東海


朝刊にのったこの青年たちの写真を見て我に返った。
記事を読んでなおさらそうなった。

日本の京都国際高校は韓国系だという。

京都の同志社大学に通っていた間は、思ったよりも科目ごとの勉強が大変で、行きたい名所にも行けず、ほとんど教室と図書館と部屋を行き来するばかりだったので、大学でもない中高校に関心を持つこともなく、行ったこともなかった。
東京の韓国学校は知っているが、京都に韓国系の学校があるとは知らなかった。

1947年、京都朝鮮中学校として始まったこの学校は、学生数が70名に減るとアイデアを出し、1999年野球に特化して学校を立て直そうとした。最初の5試合は負け続けだった。それが2021年の今年、8試合を勝ち抜いて日本高校野球児たちの夢の舞台である‘甲子園’本選に進出し、新聞やテレビで大きな話題になった。



毎日新聞記事

 


運営難により事実上日韓連合学校転換し、毎年韓国と日本の文部科学省からの支援を受けているが、日本の支援の方が5億ウォン以上多いこともあって、日本国籍の学生の方が多い。男子学生は野球がしたくて、女子学生はKポップが好きでこの学校に来るのが大部分だという。

 

国際高校らしく韓国語、日本語、英語を中心に教えているが、韓国関連の教育がもっとも多く、修学旅行も韓国、個別体験研修も毎年45回韓国に送っている。朝鮮時代の通信使の歴史を教え、未来志向的に両国の学生を教えるというのだから、その話に心が暖かくなった。

幼いときに学ぶことはスポンジのように入力されるものだ。たとえ日本国籍に変わったとしても、学校の根と先祖の歴史を基本に学ぶというのだからなんとも心地よい。

 

ところで、私の胸をさらに打ったことがある。

学校でいつも歌う校歌を今度の甲子園本選の舞台でも歌うというのだ。出場学校の効果を競技中に放送で流すのだが、それが韓国語の校歌であるという。

 

東海を越え大和の地は偉大なわが祖先の昔の夢の場所という歌詞で始まり、4番には 力強く立て大韓の子孫という一節もある。

野球部員と応援団がこの歌をうたうことになる。

 

日本社会の一角では、この校歌東海という言葉が入っていることを問題にして、東の海と翻訳した日本語の校歌字幕をNHK等に提供したという。

しかし、この学校の野球部員たちは「そういったことは気にせず韓国語の校歌を堂々とうたいます」と言っている。

 

すぐ隣の国がなぜ同じ海をめぐってこんなにまで気をすり減らすことになったのだろうか。

こういったことを言い出せば一つや二つではすまない。

「振り返らずに未来志向的に行こう」というもの正しい言葉だが、抑圧された側にはそうしたものがひそかに湧きあがってくることも理解できる。

 

母の忌日ごとに、文学を中心に朗読会やスピーチをしたり、母の作品を絵画や音楽などの美術で表現した展示会や公演、舞踊などのマルチ文化行事を国内はもちろん国際的にも何度か行ってきた。そのたびに生きていたときにできたらどれほどよかたろうと後悔もするが、現実はそういうものだ。

 

そして何年か前、韓国、日本、フランスで水準級の画家たちと会い、四ヶ国語に翻訳された母の短歌をみせ、このうち気に入った短歌があれば、それを絵画や陶磁器、彫刻などで表現してほしいと依頼し、同じく母の短歌に曲をつけた楽曲の初演音楽会とともに展示会を開いたことがある。

 

そのとき、東京銀座で会った日本人画家が選んだ短歌東海だった

その短歌に霊感をえて、油絵を4作品も描いたのだ。

数百首の短歌の中で、それが一番心に触れたという。

 

ちょっと怪訝な思いだった。

たくさんの短歌を何ヶ国語に翻訳しながら、短く圧縮された一行詩に込められた母の魂に共感することはあったが東海という短歌は胸にじんと迫る母のその他の短歌にくらべ、平凡なものだったからだ。

 

母の死からずっと後になって気づいた。同じ海を異なって呼ばねばならないその心情を。成熟して理解度が深まったせいかもしれないが、なぜあの日本の画家がたくさんの短歌の中から東海を選んだのだろうか、それも4枚もの絵を描くほどに感激しながらそう考えた。

彼にとっては生涯日本海としてのみ知っていた海だったのに、その海の向こう側である韓国の歌人の短歌によって、互いに異なった名前で呼ぶようになったことを初めて知り、その焦燥感に共感したのだろう。

 

そうしたことをきっかけに、日本の帝国主義時代の韓国に生き、解放後の韓国に生きて逝った母とその時代に人々の心情と、同じ海が異なって呼ばれるようになった数奇な運命に対する疑問と焦燥感の深さを理解した。歌人には会ったこともないのに心で通じ合った芸術家が解釈した青い海の絵を思い浮かべる。心と心をつなぐ平和。

 

今度、京都へ行くときには、ぜひ京都国際高校に行ってみたい。そして機会があれば、海を隔て合った心と心のつながりを、素晴らしい青少年たちに伝えてあげたい。



 

    国に寄り海の名前も異なりて東海を此処では日本海と呼ぶ



                           다 같은 바다

                 나라에 따라 이름이 다르네

                 여기선 동해 저기서는 일본해라 부르고

 


                     For countries are different

                 The same sea has different names

                 Called East Sea here, Japan Sea there

 

                         戸妍

    

 

東海

 

   東海

 

 

東海 

 

   東海の虹

 


   https://youtu.be/m-l41lnc6dM 

 

 

 

 

 

 



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