カルチャーエッセイ

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将軍に捧げる手紙 4

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  • 2020.06.30 21:48

 

 

 

                                   将軍に捧げる手紙

 

 

625日、朝鮮戦争70周年記念日が近づき、生存する参戦兵士たち

のインタビューが新聞に載りました。中でも、カナダ出身の

ヴィンセント・コートニー氏(Vincent Courtenay 86)

インタビューが目につきます。

 

70年が経っても16歳のとき参戦した血なまぐさいあの恐怖の戦闘を 

忘れることができない。爆弾が爆発すると地球全体が揺れたようで、戦後数十年が経っても残酷そのものだった韓国の方を見向きもし

なかったと言います。

 

アメリカに暮らしていたころも、たまにそういう話を聞きました。

戦争体験のない私には、こうした話を聞くときしか戦争を知る

手がかりがありませんが、戦争体験を口にする人々が尊敬して

やまない一人の名将がいます。それが白善燁将軍です。

 

朝鮮戦争当時、米軍は「信じられる韓国軍パートナーは白善燁将軍

一人だけ」と言いました。多富洞の戦闘で大邱に進出しようとした

北朝鮮軍を退けたのをみた米軍が将軍の真価を知ったのです。

米軍全体によく知られた話です。

 

駐韓大使、米韓連合司令官、米8軍司令官などが新しく赴任して

くると、まず白善燁将軍を訪ね膝まづいて挨拶をし、心からの

尊敬を表します。

 

顯忠院への埋葬をめぐって、世の中があれこれあげつらうのを見ると

胸が痛みます。

 

白将軍は正月に白善燁100年の対話という3度にわたる新聞

インタビューを載せた後に入院しすでに6ケ月目です。新型コロナの

ため面会もできない将軍に私は手紙を書きました。アメリカから

帰国した娘さんが代読してくださりとても喜んでいたとのことです。

 

この春を通しての私の祈りと心情は、どうか将軍が朝鮮戦争70周年を

迎え、それを越えることができますようにというものでした。

 

625日、もうすぐその日です。 

私たちは戦争英雄白善燁将軍安らかに送って差し上げ

なければなりません。

 

 

 

 

  

                      朝鮮戦争英雄白善燁将軍 - 1950

 

 

 

 

まるで父のような愛する白善燁将軍

 

 

入院なされたと聞いて驚きましたが、心配する代わりに、将軍をこの世におくり、国を救わせ、常にすぐそばで見守ってくださっている神様にお祈りしました。

 

救国の戦争英雄とばかり思っていた将軍が、まさか私の父、李允模と平壌師範の同窓だとは知らず、13年前初めてお会いしたとき、多富洞戦闘のお話はもちろん、2年先輩の父のことも詳しく覚えておられ、ほんとうに驚きもし嬉しくもありました。

 

何度かご挨拶に伺ううちに、素晴らしいその精神力と卓越した愛国心に心から感動し、我知らず何度か文章にもして記録に残しました。三ヶ国語で世界に発信されたその文章を読んで、白将軍に感動感激したという数多くの読者の方々からの返信もいただきました。

 

昨年、東京で会ったNHKの幹部も、白善燁将軍にぜひよろしくお伝えくださいとのことでした。

 

父親似で父を慕う娘である私は、両親のことをよくご存じで、常に愛国心にあふれる将軍の「国が栄えなければならない」というお言葉と、「李允模先輩はさまざまな分野で卓越しており、優れた夫人と出会われた。その愛の結晶がまさに李先生です」と私を励ましてくださるそのお気持ちに感激し、手を握っても涙が出て、将軍がまるで生きている父のように思われて心が安らぎました。

 

常に正しい道を説かれ、戦後生まれで日本語もできない私が日本の同志社大学を最近卒業したことを、惜しみなく激励してくださったことも、大きな心の財産として大切にしています。

 

教育熱心だったお母さまが、幼い将軍を抱きかかえて江西から平壌までの遠い道を歩いて通い、卒業後に軍人学校に進むという息子のために、当時大金だった平壌師範の学費5百万ウォンを針仕事で返済したという献身的なお話に深く感動しました。また、国民すべてが戦争英雄としてのみ知っている将軍が、平壌師範の影響から口になされた次の言葉にも感激しました。

 

軍人として私が成功できたのは、軍事戦略に長けていたからではなかった。ヒューマニズム、人間に対しより真摯に、さらに深く理解しようとしたからだ。平壌師範時代にはほんとうにたくさん読書をし、新聞もよく読んだ。そして、どのように生きるべきか、どのように生きることが正しく生きることなのかを実にたくさん考えた。そうしながら世界を見る目が深まり、広がっていくのを感じた。大韓民国の未来の子孫たちも、そうした自覚と世界観を持ってくれることを願う

 

100歳のお年でも手元にはいつも本があり、勉強や研究を怠らないそのお姿には心から感銘せざるをえません。

 

‘東亜細亜の涯の国に生ひたちし吾 ひたすらに平和を祈る

 

母のこの短歌のように、東アジアの片隅のこの小さな国で同族同士の争いに先頭に立ったことをはじめ、節目節目で波乱万丈の途方もない人生を生きてこられた将軍。私たちは将軍の命がけの勇気と献身のおかげで、自由の国で平穏に暮らしてくることができました。

 

かつて金日成の執務室まで押し入った将軍は、金正恩に勝つ道は戦いしかないとおっしゃいました。今この国を襲う痛みは、さらによき道へ進むための陣痛であると信じ、将軍と父母の歩んでこられたこの道を歩き続けて行きますので、どうかご安心なさって、もう一度元気を取り戻してくださるよう心からお祈り申し上げます。

 

あの戦争からいつの間にか70年が過ぎました。あの戦争の一日一日、瞬間瞬間を細部にわたってはっきりと記憶しておられる将軍。

 

昨年の625(朝鮮戦争勃発の日)に将軍とたいへん有意義な時間を過ごした後、私も腰を痛めてしまい、いつでもお越しなさいと言ってくださったにもかかわらず、マッカーサー将軍と握手し、アイゼンハワー大統領に謁見する写真が飾られたあの戦争記念館内の事務所にお伺いすることもできませんでしたが、もうすぐ快復し将軍にお会いできる日を指折り数えて待っています。

 

どうかご自愛いただき、大韓民国と私たちをこれからもずっとそばで見守り続けてくださいますよう切にお祈り申し上げます。

 

 

孫戸妍・李承信 親子詩人の家

李承信

 

 

 

アメリカから帰国した長女が手紙を代読している  -  2020  4

 

 

 

 

 

 

 

  

 





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