カルチャーエッセイ

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何必館

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  • 2020.05.05 18:41

 

 

 

    何必館の室内庭園                                                                      2019  10  22

 

 

 

ギャラリーガーデン 何必館

 

 

京都の繁華街、祇園の大通りは2キロほど続くが、その両脇をたくさんの人々が往来する。特色があり、興味深い店ばかりが並んでおり、初めて訪れる人には時間の経つのも忘れさせる長い長い道だ。


その道にお似合いとはいえないが、私のように美術館とギャラリーが好きなものの目をひくところが一箇所ある。


たくさんの店の間で、狭い入口の窓に写真をはりつけ展示している。その名は何必館。名前もそうだが、個人ギャラリーに千円(11000ウォン)の入場料をとるのもおかしく、入ってみるとこじんまりした空間で、まずエレベーターで5階まで上がり、そこから下りてくるという見せ方も特異だった。


5階に上がると新鮮な光景が広がった。一面を占める二三坪余りの庭園が目にさわやかだ。厚い芝生に二つの黒い石が嵌めこまれており、すらりとした楓の木が丸く穿たれたガラス天井にのび、陽を浴びて立っている。

 

展示写真を見たが、有名な広告で見た世界的な作品のオリジナル写真作品は、ここの所蔵であるという。


以来、祇園の大通りを歩き疲れて休みたくなると、千円を出してそのギャラリーガーデンに立ち寄り、ベンチに座ってあの庭園をじっと眺めるようになった。建物の由来も知ろうともせずに、緑色の芝生と木を眺め続けた。


そうするうちに、その建物の真価を本格的に知ることになる日がついに訪れた。

ある日、その建物の前を通ると日本の近代三大画家の展示ポスターが貼られていた。椿の花びらを描いた大きな陶磁器に見覚えがあり、入ってみた。陶磁器の作家は北大路魯山人だ。


遠い西洋の印象派の画家たちが好きで、昔勉強したことがあるが、お隣の国の画家についてはよく知らなかった。壁に貼られた説明をみると、昭和時代に活躍した画家たちだ。数多くの詩文を残した画家山口薫(1907~1968)の一行詩が絵とともにかけられている。‘詩魂の画家’。美術批評でそう呼ばれていた。


その評論もとても優れた文章だが、それを書いたのが美術評論家にして随筆家であり、芸術品蒐集家としても有名な‘梶川芳友’、この人こそ何必館を建てた人物だ。 


ギャラリーとばかり思っていた空間は、有名な‘京都現代美術館’だった。日本美術を代表する村上華岳、山口薫、北大路魯山人という近代画家たちの作品を中心に近現代の絵画、陶芸、本、写真を幅広く所蔵しており、1981年の祇園での開館以来、世界の作品を企画・研究・展示している。


何必館が志向する理念は、既成の絵画の枠を越えた自由な魂をもった画家、村上華岳の精神と通じている。村上は近代日本美術を代表する画家だ。美しさを内包した彼の描線には彼の感性と無限な精神力がうかがえる。「絵画の制作は密室での祈り」だという。 


何必館、京都現代美術館を建てた梶川芳友が、彼の膨大なコレクションの中心となる三人の画家を描写した評のうち、北大路魯山人に言及したものが印象的なのでここに引用する。


私の好きな言葉に「坐辺師友」というのがある。

魯山人の世界を見事にとらえた言葉である。自分の周辺の生活空間、自分の身辺にあるものこそが、おのれの師であり友である、という意である。

魯山人自身、自らの眼を鍛えるために、優れた美術品を常に身辺に置き、使いこなすことで、先人の工夫を必死に学んでいたのである。

魯山人にとっては、自由にその心を学びとることが、最上の芸術修行の方法であったのだろう。

日常の暮らしの中で何を身辺に置くかが、生活観を確立するうえで、非常に重要な要素となる。優れたものに囲まれ生活していると、自ずとその心を学びとることができる。言い換えれば、身の周りの環境によって人はつくられる、ということなのである。


魯山人の器には、日常生活で無造作に、人の心の中に食い入ってくる不思議な力がある。‘つばき鉢’は魯山人の陶芸作品のうち最も大きな作品で直径が40cmにもなり、えもいわれぬ気品がある作品として評価されている。


本来「美」というものは、ただ観念としてではなく生活の中で具体化されてこそ意味がある。普段の生活の中で「使いこなす」ことでより生き生きとした美しさを見せるのである。


魯山人の人間を判断する時の基準は、美に対する眼識の有無にあった。それは魯山人の絶対的な価値観であり、その思想は生涯貫かれていた。

「この世の中を少しでも美しくしていきたい。私の仕事はそのささやかな表れである」魯山人の言葉である。

魯山人は生涯を賭けて、高い眼識を持った人間との出会いを求めつづけていたのである。

魯山人の毒ともいえる強烈な批評精神、それは現代の創造が、単に行儀のよい優等生に堕した根源を指摘し、力強い生命を取り戻す鍵となるのではないだろうか。



人は定説にしばられる。それでは自由を失ってしまう。‘何’はどうして、なぜというときの何、‘必’はかならず、きっと、という意味。学問でも、芸術でも、どうして定説だけを押し頂いていられようか。定説を「何ぞ、必ずしも」と疑う自由な精神を持ち続けたいという願いから何必館と名づけたのだそうだ。


美への貢献、そのためにつけられた名前だろう。美術と緑の庭園の一本の楓の木、茶室まで備わった‘日本らしさ’を通した美、その美を梶川芳友の建てたささやかながら品位のある京都の何必館に見る。


 

 

 

 

画家村上華岳、山口薫、北大路魯山人

 

  空の見えるギャラリー内部の小さな室内庭園  -  京都 2019  4  5

 

 

 

楓の木の上に見える空

 

二三坪の庭園に備えられた竹細工の排水口カバー

 

  ギャラリの端にある四坪ほどの茶室

 


  

何必館の彫刻コレクション

 

 

西洋画家 山口薫

 

画家、陶芸家北大路魯山人

 

 

 

 

                                    詩魂の画家 山口薫の西洋画

 

 

              

 

 

 

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李承信   詩人  エッセイスト  TV放送人  孫戸妍短歌研究所理事長 
梨花女子大学英文科、ワシントンジョージタウン & ニューヨークシラキュス大学院

京都同志社大学

 

Voice of America WDC 韓國放送委員会国際協力委員、サムスン映像事業団 & 第一企画製作顧問 歷任
 
著書 - 癒しと悟りの旅路、息をとめて、沖縄に染まる
Love Letter, 花だけの春などあろうはずもなし、あなたの心で花は咲く 等


 

 

 

 

 

 

 

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