カルチャーエッセイ

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三代三ヶ国語で心響かす

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  • 2020.01.22 21:39

 

 

最近、

三ヶ国語で発信している李承信のカルチャーエッセイで幼い孫娘の話を書いたところ、

たくさんの方から「てっきり未婚だとばかり思っていたのに、息子さんがいるんですか?というメッセージをいただきました^^

 

息子のことを少し書こうかと思いましたが、折りよく何年か前の新聞記事がありました

 

おむつを替えていたのがつい昨日のことのようなのに、本当に時の流れは早いものです

 

 

 

 朝鮮日報                                                    2010  5 19 

 

 

祖母が日本語で書いた短歌を、母は韓国語に、孫は英語に翻訳

 

愛と平和の短歌、三代三ヶ国語で心響かす

 

 

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16日、結婚式をげたアンドル・ジョン国際弁護士が、李承信詩人とともに短歌歌人として

有名な孫戸妍女史を回想している。李承信氏は孫戸妍の短歌を韓国語に、ジョン弁護士は

英語に翻訳した

 

 

 

漢江を見おろすソウルウォーカーヒルホテルの芝生で、現在東京とニューヨークで活動中の国際弁護士アンドル・ジョン氏の結婚式が開かれた。式の終盤、美しい韓服を着たジョン氏の母であり詩人の李承信氏がマイクを手にした。

 

「生涯短歌を書き続けてきた新郎アンドルの祖母は、30年前、海のように大きいアメリカの五大湖であるオンタリオ湖畔で生まれた赤ん坊を見、その美しい瞬間を短歌にしました。また、亡くなる瞬間まで初孫のアンドルを胸に留めて祈祷しました」。祝い客の手には胸深くに刻まれた一行の愛の詩という副題がつけられた新郎の祖母の短歌集ラブレター Love Letterが渡された。短歌とは韓国が日本に伝えた三十一音節の定型詩だ。

 

ジョン氏の祖母は、韓国の情緒をこめた短歌2000首を残し、日本でも短歌の大家呼ばれる孫戸妍歌人だ。歌人は東京留学時代から短歌を始め、2003年に逝去するまで、7冊の歌集を出した。孫歌人の短歌玄海灘をつなぐ短歌の雲の橋日本列島を泣かせる無窮花の歌と呼ばれている。国境を越えた愛と平和の詩として評価され、日韓両国で文化賞を受賞している。

 

2005年、靑瓦臺で開かれた日韓首脳会談では、小泉純一郎首相が演説中に孫戸妍の短歌切実な望みが一つ吾れにあり諍いのなき國と國なれを詠み、歌人の平和精神について語りもした。歌人は1998年、天皇陛下が主宰する歌会始めの儀に陪聴人資格で招請され、チマチョゴリを着て天皇皇后の短歌を陪聴した。

 

もう一冊の本が祝い客の手に渡された。孫戸妍 詩と絵 Son Hoyun Poems & Picturesだ。

 

孫戸妍女史が日本語で書いた短歌を、娘の李承信氏が韓国語に、孫のジョン弁護士が英語に翻訳し、李承信氏が編集した‘三代詩集’だ。世界中の名な画家たちが歌人の短歌をテーマにして描いた絵を添えた三ヶ国語の短詩が胸を切なくさせる。

 

  절실한 소원이

  나에게 하나있지

  다툼없는 나라와 나라가 되어라  

 

 切実な望みが一つ吾れにあり諍いのなき國と國なれ

 

  There is one dire yearning

  That I hold dear

  One country and another without any conflict

 

 

孫戸妍女史の短歌ゆく水に人生學び獨り佇つ過ぎ來たる日を水に流してを、娘の李氏は文の趣きを生かして흐르는 강물에 인생을 배우고 서있네, 지나온 날들 물에 흘려 버리며と韓国語に訳し、ジョン氏はStanding at a riiver pondering, I float my past days away on the water'と英語に訳した

 

李氏は「母の短歌を韓国語に訳し一冊の本に編集しながら、愛と平和を切実に願った母を常に近くに感じることができた」、「母が詩にこめた思いを反芻し、移しおえるのに3年半かかった。昨日出版された詩集の Love Letter 100冊に、夜を徹して祈る思いでサインした」と語った。

 

アンドル・ジョン氏は、名門私立校であるフィリップスアカデミーアンドーバーに通い、十代の思春期に疾風怒濤の時期過ごしたが、アメリカのボストンカレッジで心理学を専攻し、ワシントンのジョージタウン大学のロースクールを経て、国際弁護士の夢を叶えた。

 

彼は「心が荒んでいたころ、ソウルの祖母がボストンに送ってくれた手紙と葉書を読んで、再起する力を得ました」「自分という存在ははたして何なのかを考えていました。そのとき祖母一番いてってくれましたった。初孫を深く愛した歌人の祖母は、亡くなるその瞬間までアンドルの名を呼び続けたという。

 

ジョン氏は、「幼いころの私にとって、祖母はおいしいものとお小遣いをくれる‘ただのおばあさん’でしたが、短歌を一行一行英語に訳しながら、祖母の心の奥深くに一歩ずつ近づくことができた」と語った。一行の短歌が三代の心をこうして繋ぎ合わせている。

 

   シン・スヨン記者 syshin@chosun.com   

 

  

 

 

 

 

 

 

 







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