カルチャーエッセイ

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千年の苔

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  • 2019.12.15 17:07


真冬の苔庭 – 京都                                                  2019 12 12 

 

 

李承信ので書くカルチャーエッセイ

 

千年の苔

 

 

ここはスティーブ・ジョブズが静かに鑑賞していった場所だという。

 

日本の人たちから京都では必ず行くようにと何度も勧められた唯一の場所が、この苔寺だったが、予約の仕方が短期滞在の旅行者には容易でなく、しかも手書きの手紙を送ってしばらく待たねばならないので、何の期待もしなかった。

 

境内一面を覆う苔の美しさから苔寺と呼ばれているが、本来は千二百年の歴史をもつ西芳寺だ。奈良時代に開山する前は聖徳太子の別荘があったと言われている。兵乱による荒廃の後、有名な作庭家である夢窓國師禅寺として再興したという。

 

京都の見どころというべき数多くの名所や庭園の入場料は、普通六百円から高くても千円としても、一日に何ヶ所か回ればそれでも負担になるが、この苔の庭園は往復はがきを送ってもしばらく待たねばならない上、一日に一回だけ拝観できるチームに選ばれなければならず、入場料もなんと三千円もする。旅行地であれこれ買いものをすれば、思いもよらずお金が出てしますものだが、三千円のチケットは旅行客には大金だ。

 

結論からいえば、それにもかかわらず、その独特な美しさにはそれだけの価値があった。

 

拝観希望の手書きの往復はがきには古語を使わねばならないともいう。21世紀デジタル時代に千年前のスタイルを固守しているとは、日本人は先端を行きながらも同時に伝統をしっかりと守っている。21世紀に理解しがたい姿だが、それだけに魅力があり、西洋人が惚れこむだけのことはある。

 

入場時間である3時少し前に到着すると、大門の横にユネスコ世界遺産という大きな掲示板が私を迎えた。大門は閉ざされているので、その横にある白い花の木を庭園の奥に望める小さな門をくぐると、驚いたことに12月に粉雪のように白く花を咲かせた桜の木があった。葉が枯れ落ちた紅葉の中を歩いてゆくと、長く伸びた桜の枝が芝生の上にそよぎ、広々とした芝生のような厚い黄緑のベルベットの苔が目に入ってくる。まだやっと入口を入ったに過ぎないのに、他では決してお目にかかれない、真冬の別世界が広がるその新鮮な雰囲気を感知する。

 

選ばれた百名が高雅な雰囲気に合わせて案内のとおりに、おとなしく靴を脱ぎ大きな本堂に入り、座卓の前に静かに座る。若い僧侶が苔寺の歴史と背景を語り、聖なる雰囲気を造成すると、威厳のある住職がどこからかそっと現れ、礼をすると長々と経典を唱え出した。

 

幼いころ私を教育した祖母が早朝に唱えていた発音と似ている。インドからやってきて6世紀に韓国を通して日本に入った仏教は、それぞれに根をおろしながらも、その発音が似ていることを感じるが、聞き取れもしない私は小さな座卓を前にして、前後左右のいろいろな国から来た人々とくっつくようにして座り、久しぶりに祖母の思い出にひたった。

 

二十歳のころ、その必要もないのに流行中だったダイエットをしようと食べ物を減らすと、よく食べないとだめだといって気をもみ、大学を卒業すると二階の私の部屋に熱心に通って、このお婿さんは家柄がとてもよくとやり始めるので、それが煩わしくて拒みもした。 可愛がってくれているのだとは思っても面倒くさくもあった。

 

小学校を卒業するころ訪ねてきて、私の手をひきながら中学の登録手続に行った。自分の同級生たちはみな寡婦になってしまった。朝鮮戦争当時、男たちがお前の祖父のように拉致されたり、戦場に狩り出されてそうなったんだからと言いながら、私を京畿ではなく梨花の受付の列に立たせた。なにはともあれ、こうして祖母は私をキリスト教学校に入れてくれた。

 

そのうち長い金剛経も終わると、各自目の前にある座卓の上で墨をすらせた。筆で紙に自身の出身国と名前、生年月日、そして願い事を書けば、それを祈ってくれるという。京都は大都市ではないが、早くから韓国から仏教を受け入れた。今や大小のお寺を全て合わせると三千軒にもなるという。そのうちのいくつかは世界各国から観光客が訪れる名所だが、筆と墨を与えて宗教に参加させる試みは初めて見た。1時間ほどのかなり長い時間だった。あきれるほど素晴らしい庭園だけを見せられるよりも、核心に迫れるようだ。

 

少し考えた後、明け方午前四時ごとに経をあげていた仏教徒だった祖母のおかげでクリスチャンになった私は信仰、願い、愛という聖書の句を心をこめて墨書した。

 

再び靴をはいて案内についていくと、期待していた苔の庭園が本格的に広がるところに出る。さすがに壮観だ。120種類もの苔というが、十二月も中旬というのにこんなにもみずみずしい黄緑色に光っているのだから、本当に見ごろという五、六月にはどれほど鮮やかに光っていることだろう。真ん中に池があるが、その池は島をうまく配して日本人が重視する心の字に象られている。

 

苔の間を何センチかの幅で細く長く水が流れ、大きな木の間々を一万坪以上繰り広げられるビロードよりも厚い苔の芝生のあちこち赤い実がみえる。高低のある道を登ってゆくと、これまでとは全く異なる姿の枯山水があらわれ、まだ葉が散っていない楓の木も風情よく立っている。

 

中国からの観光客が声もなく感嘆している姿が目に入る。哲学的で東洋美学を敬慕しながら早くに世を去ったスティーブ・ジョブズもきっとここに感動したに違いない。

 

最初の大門のある入口近くにある地面まで伸びた枝垂桜を見るのであれば三月の末がよく、 その横に長く並んだ何本かの楓の中を歩こうとすれば十一月にも来なければならず、苔の光が最も美しいという六月にもまたあの面倒な往復はがきの申し込みをまたしなければならないだろうか。

 

何よりも金剛経を唱えていたときに思い出した、既に三十年も前に逝った祖母のことを、ここでまた思い出したい。幼いころ可愛がってもらいながらも孝行はできなかった祖母。アメリカにいたため二十余年も離れ離れで暮らし、ソウルに帰国する直前に逝ってしまった祖母のことを思いつつ、緑色の別世界の庭園の中を孫娘が歩をすすめる。




                     ‘おばあさん、ごめんなさい’
                    ただただそう許しを乞いたい
                    やっと目覚めた初孫娘
                   ‘おばあさんの心があのときはわからなかった
                    ずっとそばにいてくれるものだとばかり思ってた’

                    千年の都市
                    千年の庭園

                     苔寺

                  

 


 




 

   

 

 

 

 

 

 

  







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