カルチャーエッセイ

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甘栗

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  • 2019.10.17 20:52

 

 

 

 

甘栗                                                                                                                      2019  9  26 

 

 

 李承信の で書くカルチャーエッセイ

 

 甘栗

 

 

甘栗。

ピカピカ、くりくりしていて、幼いころによく遊んだお手玉の小石のようにかわいらしく、愛らしい。

 

東京にもあるが、京都祇園の繁華街には軒をつらねる店と店の間から栗を焼く匂いがして足を止めさせる。甘い匂いだ。

 

名代あまぐり 甘栗の老舗林万昌堂書かれているので、聞いてみると150年近い歴史があるという。甘栗には私なりに美しい思い出があって足を止めた。

 

焼きたてがおいしいので、少量の600円のものを指差すと、そのときから大きな鉄の釜でぐるぐると焼き、秤ではかって慣れた手つきでかわいく丁寧に包んでくれる。

 

これはもともとは平壤だった。

40年前、父と東京の銀座を歩くと、焼き栗の屋台をよくみかけた。父はこれは平壤だと喜び、歩きながら一緒に食べた。韓国では焼き栗の皮を苦労して剥かねばならないが、この栗はぐっと力を入れると簡単に剥けるので不思議だった。平壤産だからか平壤栗といった。

 

私が生まれる前、(允模)は平壤から単身やってきた。最初のころは平壤にいた祖母がソウルまで訪ねてきた。新婚ほやほやの両親とともに允模という表札のかかった家の前で三人で写真も撮った。その写真はもうなくなってしまったが、私が似ているという白黒写真の中の祖母の姿は常に私の胸にある。

 

その後、38度線が父の祖母の間にしかれ、祖母は二度とソウルに来ることができなくなった。1983年に亡くなるまでの30年間、父から祖母を懐かしがったり、故郷に帰りたがったりする言葉を聞いたことはなかったが、今にして思えば、路上で平壤栗を買い、平壤冷麺を探していたこと自体が祖母を故郷を懐かしむ心ではなかったろうか。生きているときにそんな心の一片でも理解していたなら、これに勝る親孝行もなかったろうにと、悔やんでも悔やみきれない。

 

「これは平壤の栗ですか」東京の焼き栗屋台の主人にそう尋ねた父の明るい表情が懐かしく、祇園通りの甘栗屋の前を通るたびに、その袋を手にする。頭と胸の中にだけある、目には見えない記憶が実体化したとでもいうか。父が尋ねたように「これは平壤の栗ですか」と尋ねると、今は中国のものだとのこと。

 

騒々しい世の中にも秋がめぐってくる。焼き栗の季節がくるのだ。

アメリカではニューヨーク州立大学 New York State Univesityのあるニューヨーク州の北のオスウェゴOswegoの海のような五大湖の前にある家で2年を暮らし、息子もそこで生まれたが、道を歩いて焼き栗の匂いがすると、その家の大きな壁暖炉の焚き火で焼いて食べた栗のことも思い出される。

 

は寒い冬には最高のおやつだ。

そこにそのときどきの美しい愛の記憶があれば、人生も少しは美しく昇華することだろう。

 

 

父への思いが恨となり沁みこむ平壤、東京銀座の交差路にて

  

 

 

 

 

 

甘栗の老舗   -  祇園 林万昌堂

  

 

  

 

      

  

 


 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 


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