カルチャーエッセイ

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靈感

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  • 2018.04.04 00:35

 

 

 

                                                                                                                                    2018  3  19

 

 

李承信ので書くカルチャーエッセイ

 

 

 

霊 感

 

 

9週間、病院にいました。

ちょっとした怪我に医療事故から炎症が生じ、その治療をしています。

寒い冬をへて今にいたるまで消毒は厄介この上なく、何よりあまりに突然のことに惨憺たる心境です。

 

入院することになるとも知らず、何の準備もなしに病院に行って診療を受け、できることは抗生剤注射をうつことと祈祷だけという病室で、唯一のエンターテインメントは、アメリカでテレビ放送学を勉強したときバカの箱(idiot box)だと学んだテレビだけです。

 

患者服を着て、壁かけテレビで平昌オリンピックをちょっと見ました。

イ・サンファ選手のレースは見れませんでしたが、銀メダルをとったイ・サンファ選手と日本の小平奈緒のストーリーが感動的だという言葉を、テレビと文字メッセージを通して何度も見ました。

 

0.3秒差で負けたイ・サンファ選手が太極旗をあげてリンクを回ると、金メダルをとった小平選手が日章旗をあげたまま近づき、泣き出しそうな彼女に「よくやったね」「 I respect you」と語りかけ、もたれかかる彼女を抱いたままリンクを一周した姿に、たくさんの人々が感動しました。メダルの色が分れれば、相手と手を取り合う程度のことはあるかもしれませんが、自身の金メダルを味わう時間も一切なしに、ともにそのように心で受け答えしながら慰め合い、励まし合うことなどありえないことだからかもしれません。

 

私は二人が一緒にリンクを回ったことよりも、既に競技を終えた小平選手が、イ・サンファ選手のレース前に、歓呼する日本の観衆の前に出て、イ選手のレースを妨害しないように、揶揄をせず静かにしてほしいと口に指をあてたことの方に感動しました。

 

しかし、思えばそれは目新しいことではありません。

日本で見聞きすることや、私が知っている知人の態度や言行に、相手をおもいやり、褒めたり激励したり慰めたり、相手の立場になって考える姿を何度も見ているからです。彼らが小平選手の立場にあれば、小平選手がしたようにしたかもしれません。

 

二人の選手の競技を見たという日本からのメールや電話もありました。実力はイ・サンファ選手がずっと上、小平選手は古武術を少し取り入れたのと運がよかったとのことでした。

実際に私が見て感動したのは、男子フィギュアスケートの羽生結弦です

 

日本で彼は英雄です。メダルをとる前からそうです。2011年に東日本大震災で被災し、16歳の彼が通っていた仙台のスケートリンクは使い物にならず、家も壊れて電気もガスも通じない状況で、沖縄にいる親戚の家を頼りもしました。沖縄は常夏の島なのでウィンタースポーツなどできなかったでしょう。

 

その後故郷に復帰してからは、アイスショーを催し、集めた基金を津波被害者に送る等、国家的危機に際して、困難な人々とともにあり続けたことが日本人を感動させました。そして、19歳でソチオリンピックで金メダルをとると、平昌オリンピックでは本番何ヶ月か前に足首を負傷したまま臨み、競技では倒れそうになりながらも2連覇をなしとげました。

 

日本で見た彼からは、インタビューのときごとに、年齢らしくない深さと成熟が醸し出されます。

 

UN世界孤児の日が制定され、その日にうたう歌の歌詞を作詞してほしいと頼まれたのは3年前でしたが、これまで日本での勉強とその記録の本を作ることにかまけて、ずっと後回しにしてきました。いいえ、孤児に対する実感が沸かなかったからでしょう。

 

ところが、羽生選手2度も倒れかかるのを堪えて繰り広げた、成熟した次元の高い芸術に、幼い頃からたくさんの困難を乗り越えて立ち上がってきた勇敢なその姿が重なり、突然襲いかかってきた晴天の霹靂のような苦痛に大人になったにもかかわらず、そばで父が、母が私の手を握ってくれたならと思っている自分の姿に、ああ、私が孤児なのだということを切実に感じ、その瞬間‘孤児の詩’の霊感が降りてきました。

 

 

 

                             母の声が聞こえる

                            そばにいるよと

                            泣くなよと

                            立ち上がれ

 

                                     わたしたちはみな孤児

 

 

 

 

 

病室で慟哭し無念さからのさか恨みもしましたが、普段はあまり見ないテレビから思いもよらずにこうして始まる詩の霊感を授かり、123番まで書きとめ、これに満足した相手方からニューヨークへの招請がありました。

   

 

 

 

 

 

 

 Brian Orser

 

   平昌での優勝後に

    

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 


 





 

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