カルチャーエッセイ

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なぜ、京都なのか?

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  • 2017.11.09 23:41


   作家の言葉                                                                             2017 10 18

 

なぜ、京都なのか?

 

 

ああ、京都の千年を越える歴史とその面影の残る空間を思うとき、京都を一言で定義することは

不可能なことだ。千歳まで生きたわけでもない以上、それは象の足と鼻の一部を触ってみるのと

同じことだ。

 

それにもかかわらず、韓国と地理的にも、心的にもごく近くにあるこの都市の実存と意味とその

価値を今私は考えてみる。

 

ビザの取得も難しかった学生時代、国際青少年会議で東京に行き、官房長官をはじめとする当時

の日本政府関係者との交流の後、大阪にいる父の知人の幼い娘と電車で京都に行ったことがあ

る。京都の歴史や文化の知識がなかったころ、その市街地の長い道を歩いたことが京都に対する

私の最初の記憶だ。

 

その後長くアメリカに住み、歌人であった母の出版記念会と国際会議、講演等で日本を訪れると

きは主に東京だった。

 

2005年、日本の文部科学省の主管で母を称える日韓文学セミナーが京都であり、短い時間の出会

いだったにもかかわらず、大きな感銘を受けた。最初の京都訪問から35年が過ぎはしたが、何よ

り母の死を契機に大人になったせいか、周囲の事物が深みをもって近づいてきた。

 

その後も会議や講演等の機会があるごとに京都を訪れ、私を引き寄せるのは何なのかを考えなが

ら京都と向き合った。たくさん訪問したがいつも三、四日の短い時間だった。そこで出くわした

西洋人たちは別世界のようだ、童話の中のようだと惚れこんでいたが、同じ東洋圏から来た私に

は、かつて住んだことのある遠い世界のような、胸の奥の遥かな故郷のような感じだった。

 

短な滞在時間の中でも、御所とその向かいの同志社大学ではよく散歩をした。春の花のもと、話

しかけてきたある人に、こんなに美しいところで勉強できたらどんなにいいでしょうと話した

ら、入学申請書の受付所まで案内してくれた。それは偶然、はたまた奇縁だったのか、韓国とア

メリカを文化背景とする私が、恐れげもなく日本文化に飛び込むことになったのだ。それが老い

らく2015年から2016年の京都同志社大学での勉強だ。

 

70年前に同志社に通った尹東柱の詩に出てくるような、ほんとうに狭い六畳一間、少しは知って

いるつもりだった日本は全くの外国だった。拙い日本語でする勉強は手に余るばかりだった。い

つも家に帰りたく、ほんとうに淋しくつらい日々だった。しかし、私がこれまで通ったどの学校

でよりも夜を徹して邁進し、難解な20科目を通過してみると、これは必然だったと思えた。

 

あのとき、あそこで学び、悟り、知ったことを私ひとりのものとするのではなく、日本に行って

みたものの相変わらず日本を漠然としか知らない方たちに知らせる使命が私にはあると思った。

 

千百余年間日本の首都だった京都。そこは、すべての日本人の心の故郷であり、日本美の核心で

あり、ソフトパワーの威力を全世界に堂々と示しており、その妙な魅力は一度訪れた者を必ずま

た来ざるをえなくする。

 

承知のとおり、660年に百済が新羅と唐の連合軍によって滅ぼされると、百済から日本へ人が渡

り、飛鳥、奈良を経て京都に定着して都市を形成し、ついには国をなすにいたる。文字と学問、

紙と印刷技術、庭園と土木技術、仏教と仏教建築等、韓半島からたくさんの文化と文物が伝わ

り、移住した百済の王族、貴族、知性人たちは、その心を精神文化の花である一行詩の短歌に表

現するようになる。

 

そのときの短歌を集めた日本初の文学である万葉集研究の大家から聞いたそんな話を胸に秘め、

そうした事実を知らない彼らに機会があるたびに教え、京都に3000もあるという寺刹のうち名刹

といわれる寺を訪れるごとに、関係者に建てられた年を聞くと、1200年前です、1000年前です、

800年前ですというので、内心ほくそ笑みながら、そうであればこれは百済から来た職人と渡来人

が建てたものですと言うと、彼らはそんな事実は初めて聞くという。ああ、この人たちはそうし

た歴史を学んだこともないのだと思い、熱心にその背景を説明した。

 

紅葉の季節のある夜。豊臣秀吉の菩提のある高台寺の建物と、名勝よりも名勝らしい真っ赤な紅

葉を映す池の絶景に感嘆するフランス人夫婦に、あなたたちが感嘆している京都の文化はコリア

が千年前に伝えたものだと教え、三年坂をのぼったところで並んで石の階段に座っていたイギリ

スの若い女性が、感極まって夢のようだといったときも、長い年月を経たこの両脇の家と、ここ

からもう少しのぼれば見える絶壁の上に建てられ、あなたが再び感動するはずの釘を一つも使わ

ない建築である清水寺も、古代の百済人が建てたものだと教えてあげた。先進国からきた人々が

口をあけて感嘆するのを見て、がまんしきれずにそうせざるをえなかった。

 

ずっと三四日間の滞在だけで京都を訪れていたなら、私はその説教を今もしていただろう。千年

を悠々と流れてきた歴史に囲まれ、私ができることはそれだけだった。

 

しかし、よくよく眺めてみると、それが全てではないことがわかるようになった。百済だけでな

く、早くに韓半島を渡っていった私たちの先祖とその後孫が建て、作り、教えたことは事実だ

が、その歴史と伝統を受け継ぎ、研究し、新しいもののために壊すこともせず、粘り強く維持

し、日本固有の文化として昇華させてきた、その大いなる成就と努力の前には頭を下げるほかは

なく、これ以上先祖の話は切り出さないことにした。

 

しかし同時に、玄界灘を越えてこのような偉大な文化を成したのが、私たちの血を分けた祖先で

あり、そのDNAが私たちの中にあるのだという悟りに戦慄し、私は大きな自負心を持つように

なった。

 

早くからヨーロッパ文化に接しながら、われ等がご先祖様は一体何をしていたのかと肩身の狭い

思いをしたこともある。しかし、そうした文化を成したヨーロッパ人たちが京都の古代建築と庭

園と芸術に感動し、私たちが伝えた短詩にはまり短詩ブームを呼び起こしているのをみると、千

年前の私たちの先祖が今更ながら誇らしい。

 

そうだ。私たちはそういう祖先をもったのだ。自信と自負心を持ち、嘆くばかりでなく今からで

もその遺伝子を引き出し努力して、よりよい世の中を作り私たちの後裔に伝えていかなければな

らない。

 

京都を歩くと、韓国語がたくさん聞こえる。あ~美しいと話すのはもちろんだが、日本がこんな

にもきれいで親切で正直で、徹底的に几帳面に相手を配慮する国だとは知らなかったという。韓

国で聞いた話とは違う。

 

両国の関係は二千年を超えて善隣だった。苦難の時代は文禄・慶長の役と近代になってからの36

年間の帝国主義日本による強占期だった。ある人は日本は大国なのだから謝罪して徳を示さねば

ならないという。謝る謝らないは日本の役割だ。私たちは私たちのすべきことをすればよい。京

都の長い歴史を思うと、私は私たちが兄であり大国であるという思いを拭うことができない。兄

としての広い心で抱擁し、共なる祖先をもつ隣国として、互いに手を取り合って未来に進まなけ

ればならない。

 

より多くの韓国人に京都を見てほしいと思う。失ったかつての故郷を感じるはずであり、千年

前、その都市と文化を作ることに献身した百済、高句麗、新羅、高麗、伽耶のわれ等が先祖たち

の霊と魂を感じるはずである。それによって改めて今後の日韓関係を考えることになるだろう。

 

“なぜ京都なのか?”大げさなタイトルをたてたが、同志社大学での授業、そこに詩碑の建つ

東柱と鄭芝溶のスピリット、私が出会った素晴らしい春の花と別世界のような紅葉の世界、でき

れば隠しておきたい京都の名所、感動を与えてくれた人、それに東京、青森、秋田、白川郷、気

仙沼を加え、詩人のアングルから見た穏やかな物語を紡ぐ。

 

これからは日本をもう少し知って、過去二千年の‘より高次元’の善隣関係を回復することを

願ってやまない。

 

 

                                  東亞の果てに生きる吾 ただひたすらに平和祈リつ

 

 

                                       孫戸妍

  

 

 

                                                                                          孫戸妍・李承信親子詩人の家

                                                                               李承信

  

                                                    

 







 

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