7月5日、『花だけの春などあろうはずもなし』の出版記念ブックコンサートがありました。
わたしは母と父、そして他の方々のための行事なら韓国と日本、アメリカ、フランスで数多く開催してきましたが、わたし自身のためのものは今回が初めてです。
昨年、人類の誰もが例外でありえない大災難が隣国を襲いました。村が消え、原発事故等のいろいろなことがありましたが、わたしは何よりも愛する人を失い心で泣いている方々のことがかわいそうで涙しました。
朝の顔それが最後になろうとは悶える君に添う吾が心
そして、突然この世を去った父を満20年間慕いながら、心の奥底で泣いていた母のことが思い出されました。
君よ吾が愛の深さを試さむとかりそめに目を閉ぢたまひしや
韓国で生涯短歌を作り続けた母が、その晩年日本でよく知られるようになったのも、この血を吐くような愛の短歌一行のゆえでした。
そのため母が生きていたら力強い一行の短歌でこの人々を慰めたはずなのに、と心切なさにお祈りをすると、250余首の短詩がわたしに授けられ、それを書きとめました。
その一部が日本と韓国の新聞に同時に掲載され、日本からは残りの短詩も見せてほしいという声がありました。そして翻訳をはじめ六ヶ月目に韓国のソチョン出版社から、そして日本の飛鳥新社から二つの言語による詩集が出ることになったのです。
わたしの母国語である韓国語で授けられた詩を全く異なる二つの形式の日本語に翻訳するのは、世界にも前例のない難しいことでした。韓国には短歌歌人は一人もおらず、いたとしても一行詩を三十一文字で外国の心に移すということは不可能なことだからです。
しかし、難しいのはそれだけではありませんでした。
評を寄せてくださることになっていた高名な方々の何人かが、韓日関係の微妙さにより今回だけは勘弁してほしいと言い、また、ある方からは「なぜインドネシアの地震の時には書かず、日本の地震には書いたのか」と言われました。
わたしは心で思いました。
日本だからこそ書いたのだと。
最も近い位置で常に共に生きてゆかねばならない国であり、1400余年前国が滅び全滅を免れるために日本に渡った百済民族の後裔はいまや日本の人口の1/5を越えるともいいます。そして日帝時代に生まれ、生涯韓国で短歌を書いた母の詩心を先駆けて理解し、津波が襲った青森の太平洋岸に読者たちが1997年に歌碑を建ててくださる等、数多くの縁があるからだと。
互いの心を結び合わせるためにこのような集いが必要だと勧めてくださった韓スンジュ先生、武藤正敏大使、エマニュエル・パストリッチ教授の韓国語、日本語、英語による素晴らしいご挨拶、演劇俳優ソン・スク氏と玉岡よしこ教授の詩の朗読と、名唱キム・ソヒ先生のお嬢様であるパク・ユンチョ氏が唱曲した歌は、その詩心の深さ以上を表現した感激の芸術でした。
大統領選挙の季節、同じ時間にソン・ハッキュウ氏の出版記念会等があり混雑する中、イ・ホング元総理等、数多くの文化人と隣国との関係を深く憂う方々にお集まりいただきました。
高級文化で隣人と深く出会う心に胸がひりつく瞬間にとても去りがたく、茶菓子のテーブルをぐるりと囲み、ともに生きてゆかねばならない隣人との行く末について談笑し合わざるをえませんでした。
これが韓国と日本、そしてアメリカをはじめ世界の人々全てが互いを深く考え合う契機となり、互いに学び合い、互いに結束し、尊重し合いながら、この時代が抱えている難題を解決していくことでしょう。
そうしてわたしたちは、わたしたちの後裔に、よりよい関係の世界を残していくのです。
日本人を慰労する李承信詩人
‘日本は永遠なる隣人’
中央日報 2012. 7. 4
両国で詩集同時出版 出版記念ブックコンサート
李承信 詩人
「日本の方々のためだけに書いたものではありません。日本は永遠に隣人として共に生きるべき国です。人類の普遍的な共感を込めました」
詩人、李承信が昨年の東日本大震災直後、悲嘆に暮れる人々を慰労する詩を発表した心境をこう顧みた。
彼女の詩は地震発生から約二週間で中央日報と朝日新聞に同時に掲載された。特に日本での反響が大きかった。これを契機に当時書き溜めた詩、約200編を収めた詩集が両国で相次いで出版された。
『君の心で花は咲く』(日本)と『花だけの春などあろうはずもなし』(韓国)だ。
李承信詩人が出版記念ブックコンサートを開く。
“李承信の一行詩の力”というタイトルで、 5日午後2時30分、ソウル太平路のプレスセンター外信記者クラブで開かれる。韓昇州元外務部長官、エマニュエル・パストリッチ文学教授、武藤正敏駐韓日本大使が挨拶をする予定だ。演劇俳優ソン・スク氏と玉岡よしこ教授の詩の朗読、国楽人パク・ユンチョ氏の舞台も設けられる。
続いて、ク・ジョンモ 江原大学教授の司会で、日本人の増渕啓一(韓日文化交流連合会会長)、アメリカ人のパストリッチ教授、韓国人の李承信詩人が韓日の善隣友好関係の行くべき方向について語り合う予定だ。
李承信詩人の詩は特に日本語では短歌( 5・7・5・7・7の31音節からなる一行詩)形式をとっている。母である孫戸妍1923~2003が韓国唯一の短歌歌人として半世紀を越えて詩作活動をしてきた形式だ。
「ほんとうに悲しかったです。村が、仕事場が、何より愛する人が、家族が瞬く間に消えてしまったのですから。死んだ母のことが思い出されました。母がいたら力強い一行の詩で彼らを慰労したはずなのに、と」
母を思って書いた詩が、両国交流に新しい架け橋となった。李承信詩人は「この詩集を通し、民間交流の新しい契機としようとする方々により、今度のブックコンサートをすることになった」と語った。
花だけの春などあろうはずもなし
春の来たらぬ冬もまたなし
イ・フナム記者 hoonam@joongang.co.kr