カルチャーエッセイ

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招待 - 東京

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  • 2013.08.28 12:17


                                                                                             2012   6   27

 

 

随筆、散文、翻訳集等、いくつかのジャンルの本を何年か書いてきましたが、日本語で書かれた歌人であり母でもある孫戸妍の歌集を韓国語に翻訳した三冊目の本を出した日を同じくして、私の処女詩集が出ました。母の一行詩である短歌を韓国語に翻訳したことも前例のないことでしたが、親子詩人の詩集が同じ日に同時に出たのも世界では珍しいことだったでしょう。

 

それが2008年のこと。母の三周忌記念式にて二冊の親子詩集を集まってくださった方々にお分けしました。母の生前には全く夢にも思えないことでした。

 

その後も大きな感動を受けるたびに詩が溢れ、毎年詩集を出しました。新聞には本人に確かめもせず、つねに母の才能を受け継いだと書かれました。一度、母の影響で詩を書き始めたのかという質問に対し、「母が朴キョンリ先生のように韓国語で書いていたならそういうこともあったかもしれないけれど、母は私の知らない日本語で書いており読めもしなかったので、詩を書き始めたことに影響があったとは言えないが、その雰囲気は影響があったかもしれない」と答えたところ、次の日の新聞には身も蓋もなく歌人である母の影響はなかったとだけ書かれました。

 

そのように毎年本を書き、今年日本の有名な出版社である飛鳥新社から出た本が、詩集としては五冊目の『君の心で花は咲く』です。常にあれこれと忙しく時間が足りないので、短詩に圧縮して書けば時間をもう少し短縮できるかなという気持ちもありました。母が生前、日本の新聞に出た記事のうち最も気に入っていた記事のタイトルは「孫戸妍の一行の詩は長編小説だ」でした。そのように三一文字の短な詩に長編小説のようなストーリーと人生を圧縮させることは容易なことではありません。しかも、私の母国語である韓国語で作られた詩篇を韓国と日本でそれぞれ異なる形態の日本語に移しかえる作業も至難の業でした。

 

その甲斐あって、日本ではたくさんの反響があり、韓国でも何人かの方々が感激して下さいました。その一人が前外交長官であられる韓スンジュ先生であり、先生はこの二冊の本の出版記念会を開こうと積極的に勧めてくださいました。

 

難しい韓日関係にあって民間次元ででも互いの心を結び合わせなければという優れた外交的着眼というべきでしょうが、私は母や父、又は他の優れた方々のために韓国や日本だけでなく、アメリカ、フランス等で様々な行事をしてきましたが、自分自身のための集まりを催したことはないのでお断りしました。

 

ですが、よくよく考えてみれば、私の真心に涙を流してくださった方、手帳に八十八首もの私の詩を書いて歩きながらも読んでいるという日本の読者、私の二冊の本をテーブルに並べ私を見つめて真剣に書評してくださった東京大学の総長、東日本の英霊に直接この詩集を捧げたいと言ってくださった方々に、むしろ私自身が大きな感動を得てきたのだということに気づかされました。

 

これを契機として、隣国との関係を心配する方々が集まり、互いの心をつなぐことができたら、そういう深さのある意味ある集まりであれば、切実に平和を念願する心で生涯詩を書いてきた母も喜んでくれはしないかと思い、ありもしない勇気を出して心を変えてみることにしました。

 

 

        死はむしろ

        母の心にいたる路

        心をたどる旅の始まり

 

 

        母逝きて

        初めてこぼれ出た真情(まこと)

        心通う道 一行の詩(うた) 

 

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