カルチャーエッセイ

본문

三浦綾子の男

  • 비추천 0
  • 추천 0
  • 2017.06.05 14:58

 

 


                                                                                   

 

 三浦綾子

 

昨年、世界に配信した“李承信の詩で書くカルチャーエッセイ”のうち、最も反応が多かったのが‘三浦綾子の文学館訪問記’だったので驚きました。韓国で60~70年代に旋風を巻き起こした日本の作家でしたが、そのブームも40~50年前のことで、1999年の逝去からも既に18年になるからです。
 
中学生のころに読んだ彼女の文章が印象に残っており、誰かが北海道の彼女の故郷を訪ねると聞くと羨ましがりもしました。遅ればせながら2016年に訪れることができたわけですが、実に本を読んでから50年ぶりのことです。
 
10余年前、作家であり彼女の夫である三浦光世氏にソウルで会ったことがあったので、文学館で彼の姿を探したのですが、彼すらも亡くなったと聞きとても残念でした。三浦光世は絶対に結婚はしないと心に決めていた人ですが、結核で体を起こすこともできない三浦綾子に出会い、三日しか生きられなくてもいいから結婚したいと考えを改め、プロポーズしました。便器を横におき、ギプスで縛られ、いつ死んでもおかしくない女性にプロポーズするとは驚くべきことです。
 
13年間背を起こせない綾子に代わって筆をとり、自分たちの雑貨店だけがうまくいくことに気がひけるので、早い時間に店を閉じて他の雑貨店にも客が回るようするかたわら、綾子には朝日新聞の新春文芸に応募する小説を書かせて見事に受賞する等、綾子に対する彼の献身は言葉では言い表すことができない境地です。
 
北海道旭川の文学館で二冊の本を買いましたが、そのうちの一冊が『ごめんなさいといえる』です。三浦綾子の自伝エッセイで、‘短歌と私’という章が目を引きます。

入院していたころの綾子には前川正という婚約者がいました。クリスチャンとして伝道もしていましたが、短歌も作る彼が綾子に短歌を勧め、綾子が書いたものから選んでは雑誌社に送り入選させもしました。
 
その前川が肺結核で世を去ると、彼と瓜二つの三浦光世が現れるのですが、光世が綾子を深く愛するようになった契機が、綾子が亡き婚約者を偲んで書いた挽歌一首のためだったと言います。


妻の如く思ふと吾を抱きくれし君よ 君よ還り来よ天の国より

 

愛する人の過去の男ともなれば嫉妬して当り前なのに、過去の愛にむせびつつ書いた短歌一首に惚れこみ結婚を決意するところに、常人には持ちえない彼の懐の深い愛を知ることができます。
 
その後、三浦綾子は夫にも短歌を勧め、夫婦短歌集『共に歩めば』を出すことになります。彼らが毎日文章を書いた大きな机に私も座ってみました。彼らは求道者のように毎日机に向かい合って座り、祈祷で文章を書き始め、祈祷で一日を終えたといいます。

 

三浦綾子の感動の作品群は、その横で支える三浦光世の献身なくしてはありえないものであり、光世の純粋な心と献身は作品以上の感動をこの世にもたらしました。そのような純粋さと利他的な精神ゆえに、三浦光世という名前までもが美しいものとして文学史に末永く残ることになったのです。
 
世界的な作品の裏には常にこのような感動のストーリーがあり、心を濡らし自分もまたそのように純粋でありたいと思わせます。
 
私は実にもう一人の最上の外助の功の人を知っています。私の父、李允模博士です。
 
母は生まれたのが日本帝国主義時代で、韓国の小学校、女子中学校では日本語が母国語でした。韓国語を使うとつかまるという時代で、東京留学を契機に短歌を学び作り始めます。その後、解放(日本の敗戦)が訪れ、母国語を変えなければなりませんでした。幼い頃から身につけた言語で書いた詩を一度に変えることが容易なはずはありません。
 
内容は祖国への愛と韓国人の情緒ですが、五七五七七の音律が絡みついて離れません。真の愛国者であればこれを捨てるべきだろうかと、半世紀以上夜も昼もなく悩み続けましたが、死ぬまで詩作の手を休めることがなかったのは、生涯その横で母を励まし献身した父の外助があったがゆえです。
 
三浦綾子の本の‘短歌と私’という章には、自身と元婚約者が作った短歌と夫である三浦光世が作った短歌が、その背景の話とともに出てきます。小説よりももっと小説らしい興味津々にして聖なる物語です。
 
いつだったか「無窮花の短歌を私のエッセイに引用してもいいか」と母に手紙を送ってきた三浦綾子と歌人の母のことを思い、文学館を去りがたい瞬間がありました。


                     夜半に帰りて衣服も更へず寝る吾を この頃父母は咎めずなりぬ


                                                                         三浦綾子の初入選作

 

降る雪が雨に霰に変る街を歩みぬ 今日より君は婚約者

 

                                                                              三浦綾子の短歌

 

平和とは永劫の希望かと思ふ時 風見矢が方向を転じたり

 

                                                                                前川正の短歌

 

君を想ふ夕べかなしくて袖に来し 白き蛾を鉢の菊に移しぬ

 

                                                                             三浦綾子の短歌 

 


三浦光世のこの短歌には説明が必要だ。愛する綾子の病の重さに胸が詰まり、袖で涙を拭こうとしたら、ちょうど袖元に蛾が飛んできたので、手でつまんで横にあった鉢の菊に移したという情景を圧縮した短歌だ。このように一行の短歌は小説よりも長く含蓄に富むため、これを外国語に翻訳するのは、もう20年も試みてはいるが不可能なことだ。

 

日本の新聞に出た、‘歌人孫戸妍の短歌には長編小説が入っている’という評を母はとても喜んだ。

 

 

 

 

 

   三浦光世が代筆したものを三浦綾子が修正している。 

 

                                           夫婦が一緒に祈祷して文章を書いた机  –  北海道旭川  2016  8  18

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







추천 0 비추천 0

트위터 페이스북 미투데이 다음요즘 싸이공감 네이트온 쪽지 구글 북마크 네이버 북마크

댓글목록


회원로그인
회원가입     아이디/비번 찾기