カルチャーエッセイ

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高台寺

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  • 2013.08.28 12:15


                                                                                               2012    5    1 
 

    高台寺 

 


         桜が咲いていれば

         見られなかった

              花びらの敷きつめられた道

              どの瞬間にも美しさがある

 

  

既に新緑の季節ですが、四月に見た京都の桜の印象があまりに強く、なにか一言せずにはいられない気持ちです。

 

桜といえば済州島がその起源の地とも言われていますが、いまや韓国全土どこにでもたくさんあり見慣れたものになっています。弼雲洞のわが家の前にも、この四月に市が二本の桜の若木をぎくしゃくと植えました。

 

ワシントンに長く住み、かの有名なジェファーソンメモリアル前のポトマック河畔の日本から寄贈された六千余本の桜を毎春人波の中で眺めもし、桜並木で有名なわたしの住んでいた町ベデスダでは押し寄せる数多くの人々を警察が統制しもしました。

 

それから後のある春の日、京都に行くことになりました。

 

京都をはじめ、奈良、飛鳥、大阪などの地が、一四〇〇年前に滅んだ百済から百済人たちが海を越えてたどり着いた地だからでしょうか、どことなく親しみがあります。日本の由緒ある千年の都として付近には宮廷や寺が二千個もあるといいます。

 

京都で桜を見たのですが、その調和は言葉では語りつくせぬほど美しいものでした。飛行機で一時間二十分しかかからないことが、長い冬が終わり春になればぜひ見にいかなければという気持ちをかきたてました。

 

しかし、思いは思いに過ぎず、日常を大根を切り分けるように整理することは容易でない上に、わずか何日間しかない見ごろにタイミングを合わせることはなおさら難しいことでした。

 

いつも五分咲きだったり、散った後だったりですが、今回わたしが講演のために訪れたのは四月十四日。散り初めるその姿も美しいものでした。

 

数多い京都の名所からいくつかを推薦したいのですが、もし一ヶ所を選ぶとすれば、わたしが泊まった旅館の前にある‘高台寺’というところです。‘ねねの道’という道にあり、豊臣秀吉の死後、その正室であった北政所が建立し、十七年間秀吉の菩提を弔い、自らもその生を終えた所で、庭園芸術の極致に達する京都においても、本当に美しい庭園です。

 

初めて訪れたときのことを忘れることができません。夜の照明に照らされた境内に入ると、静かな夜の中、数多くの人々が床に膝をついて座り、たった一本の桜の木を眺めているのでした。人々はもう何時間もそこに座っているようでした。伸びた一本の桜も、風のそよぎも、人々の端麗な姿もすべてが神秘的でした。

 

今春、久しぶりに再び眺めるその一本の桜の木

 

それを創造した手と整える手の調和は、依然として芸術の極致であると思わされました。そこに、我が先祖の息遣いが聞こえるようないくつかの慎ましやかな建物と庭園の調和、そして酷寒の長い冬を経てついに燦爛とした光と向き合う深い人間の視線までが合わさるとしたら、これをどんな語彙をもって表現できるでしょうか。

  

皆さまが見ごろどきを見逃すことのないようにと、‘高台寺’のお話をさせていただきました。

  

 

         一人見るには惜しく

         後にするにはなおさら惜しい京都

         後にするには本当に惜しい

 

         この世

 

 

 

 


 


 

 

 

 


 



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