カルチャーエッセイ

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落枾舍

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  • 2017.03.03 13:14

 


                                                                                                                    

  

 

  落 枾 舍

 

柿舎は俳人向井去来(1651-1704)の別荘として使われた草庵だ。彼は松尾芭蕉(1644 -1694)の蕉門十哲の一人だ。芭蕉は俳句の伝説的な名人だが、「西日本の俳句一人者は去来」と書いたことがある。芭蕉が称えた弟子去来の草庵、落柿舎(The cottage of the fallen persimmons)は嵐山にある。

 

嵐山は京都市内から電車で約20分の距離にあるが、嵐山を背に桂川が流れ、その川に渡月橋という長い橋がかけられている。渡月橋は月が渡る橋という意味で、夕暮れどきに山と川の上にかかる月を見上げると、まるで月がしずしずと川を渡っていくようで、自然と笑みがこぼれるそれっぽい名づけだ。

 

山と川にはさまれたたいそうな別荘地であり観光地でもある嵐山から、天竜寺という有名な寺刹に接する鬱蒼とした竹林を過ぎると野宮神社に出る。そこを過ぎて右側に行くと、庭にかつての天皇たちの短歌を刻んだ歌碑が立っており、そのすぐ前を横切る線路を渡ると、趣の異なるひっそりとした平原に出る。

 

嵐山全体に商店や飲食店がたくさんあり、観光客でひしめいているが、突然人影がまばらになり、安らいだ田舎の風景となるここがとても気に入った。嵯峨という村だ。そこに寺刹に上る二つの道があり、右に折れると左側に嵯峨天皇の皇女である有智子内親王の歌碑があり、そのすぐ横に落柿舎がある。

 

事前に何の知識もなく歩き、低い門をくぐって足を踏み入れる。頭上にある草庵の名が独特だ。文字通りにいえば「落ちた柿の建物」だ。

 

こじんまりとした草葺屋根が愛らしく、ひっそりとした佇まいはかつての俳人の書斎にふさわしい。この草庵に俳句の詩聖と呼ばれる松尾芭蕉が遠くから訪れて泊まり、弟子たちが集まって句会を催したという。

 

きちんと畳がしかれ、俳句と文字が書かれた屏風があり、放浪の旅に使ったものか笠が見える。開かれた引き戸の奥に庭園がわずかに見え、そこで摘んだ花が生けられた花瓶が見える。畳何枚かの一坪二坪のかわいらしい部屋だ。

 

俳人の小さな家の横にきれいな庭園が広がる。ツツジに牡丹、藤の木陰があり、よく手入れされた大小の木がある。昨年立ち寄ったのは夏だったが、今度は晩秋、ああ、柿の木に朱色の柿が空高く鈴なりになっているのが見える。

 

受け取ったパンフレットによれば、こういうことだ。

庭に40余本の柿の木を育てていた俳人去来は、ある秋の日、そのたくさんの柿を売る契約をした。しかし、まさにその日の夜に台風が襲い、明け方には柿が全て地に落ちてしまっていた。それを見た去来は大きな悟りを得て、そこを柿の落ちた家、落柿舎としたというのが、名前の由来だ。

 

繊細な俳人は落胆のその朝、果たして何を悟ったのか。上質のたくさんの柿を売り、大金を稼いで草葺屋根も修理し、越冬に備え来年の食い扶持も準備し、人生と仕事に取り組もうとした計画が、よりによってその日の夜、柿が全て落ちてしまい水泡に帰してしまったのだから、その心情はいかばかりだったろうか。

 

思いもしなかった困難に見舞われ、落胆と絶望で途方にくれて見る影もなかったろう。水も漏らさぬように計画を立てたとしても、人生は一寸先が闇だということを骨身にしみて悟ったのだろうか。

 

落柿舎への二度目の訪問となったその日も雨が降っていた。レインコートがなかったので、雨に濡れながらその濃い朱色の柿を見あげた。そして、俳人が鈴なりの柿を眺めたときの希望と、その明け方柿がすっかり落ち尽くしたときの悲惨な心情を思った。

 

俳人去来が柿の落ちた瞬間、悟りを得たという文章を読んだまさにその瞬間、私にも悟りが訪れた。全ては天の采配であるという悟りと、従順、謙遜であることを思い、折れた心をまっすぐに立たせようとした辛苦の時間、彼は全く考え及ばなかったであろう。300年後にこの嵯峨の村で柿が落ちたというストーリーに世界の人々が感動して訪ねて来るようになり世界で最も短い十七音節の詩である俳句を愛する人々巡礼の宿となる未来のことなど。嵯峨の落柿舎はこうして俳句のメッカMeccaとなった。

 

ほんとうに美しく涙ぐましい逆転のストーリーだ。困難もそれゆえの生きがいがある。

 

俳句の詩聖松尾芭蕉は、この弟子の家に1689年、1691年、1694年と三度泊まり、そこで有名な嵯峨日記をつけもした

 

偶然立ち寄った嵯峨の落柿舎。一晩で柿が地に落ちてしまった俳人の庭園と、その感激のどんでん返しのストーリーに私が力を得たように、人々もここで力を得て未来をかたく信じて踏み出すことができることを願う。

 

詩聖松尾芭蕉も向井去来も逝ってしまったが、彼らの感性とスピリットはこうして一行の詩となって今日も生きている。

 

                   

 

 

月かげに裾を染めたよ浦の秋

 

行秋や花にふくるゝ旅衣


                                                        向井去来俳句

 

 

 

秋風のふけども青し栗のいが

 

ぬれて行や人もおかしきあめの萩


                                                         松尾芭蕉の俳句

 

 

 

 

 

 

柿舎の入り口レセプション  -  京都 嵐山  2016  3

落柿舎書院  -  嵐山   2015  12

      落柿舎の愛らしい庭園  -  嵐山   2016  12   3

     庭園に鈴なりの  -   嵐山 落柿舎   2016   12

柿舎の額がかかった書院  -  嵐山  2016  3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









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