カルチャーエッセイ

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君 よ

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  • 2016.05.18 22:47

 

 

                                                               

 

                            君 よ

 

 

         君よ吾が愛の深さを試さむとかりそめに目を閉ぢたまひしや

 

 

日本の青森にある母、孫戸妍の歌碑に刻まれた短歌だ。

 

ある日、日本の経団連顧問を務めた方から母のもとへ一枚のファックスが舞い込んだ。日本に孫戸妍歌人の歌碑を建てたいという。母の伝記を書いた作家の北出明氏が日本経済新聞に書いたコラムを読み、感動して車に乗りながら短歌を覚えているという。

 

小柄な母は心配が先立った。誰かが自分に土地や石を売りつけようとしているようだと。

 

わたしが出会った日本人の中で最も英語が達者で明るい、その経団連顧問の糠沢氏は本気だった。母が1940年代に留学した東京であちこち当ってみたが、様々な規制があった。有力候補の一つは東京の中心に位置する皇居と帝国ホテルの間にある由緒ある日比谷公園だった。しかし管理の面でふさわしくなかった。

 

紆余曲折のすえ、糠沢氏が20余年間代表を務めた企業のある青森を候補地にとして思いついた。その企業の附田会長が有志となり、自身の所有する広い土地のうち、海の見えるよい場所を喜んで差し出してくださった。

 

1997 6月、こうして青森の太平洋を見晴らす場所に母、孫戸妍の歌碑が建てられた。韓国で生涯短歌を作り続けたが、その詩心は海を越えた日本で先に理解され、あれこれとしてくれることに母は申し訳ない気持ちだった。

 

青森は日本の本州最北端だ。たくさんの方々からどうして母の歌碑が青森に建てられているのかと尋ねられると、上のように答える。

 

青森は雪が何メートルにも積もり、日本で最も遅くまでスキーを楽しむことができ、遅咲きの春の花が咲き、短歌文学館もあるところだ。

 

秋田県秋田市で、わたしの詩に日本の作曲家が曲をつけた音楽会が開かれることになり、その秋田県のすぐ上に隣接するのが青森県なので、まずは歌碑を見てから電車で秋田に行こうと考えた。京都から青森まで国内線飛行機で行き、電車とバスで秋田にくだって行事に参加し、また京都に戻ってくるのだが、往復の飛行機代はソウルから往復するより高かった。日本人が国内旅行をあまりしない理由でもある。

 

母の体のように歌碑は依然としてそこにたっていた。歌碑が建てられてからは毎年行事が催され、母とともにわたしも参加していたが、今度の訪問は4年前の2月にKBSのチームとともに訪れて以来のことだ。

 

母とならんで立った記憶で胸がいっぱいになる。歌碑のすぐ後ろには、100年後に開けることになっている、母の大切な原稿と遺品、父の遺品とを収めた二つのカプセルが埋めてある。母とともにシクラメンを活けた花瓶をおいて歌碑をながめ、母がソウルからもってきて植えた十本の木槿のまわりを歩き、眼前に広がる海を見た。

 

母とともに数百年の老舗温泉につかり、いつかは天皇陛下だけがお泊りになるという築600年の旧家に泊りもした。母の友人や弟子たちと一緒だったこともある。そうした折々に、少女のように興奮し頬を赤く染めて歌碑の前にある文化センターの舞台で慎ましやかに挨拶するチマチョゴリの母の上品な姿が今なお目に鮮やかだ。

 

母もいつかはわたしのそばからいなくなるなどとは考えもしなかった頃だ。京都の同志社大学でいつも眺めた、韓人会が建てた尹東柱、鄭芝溶詩人の70センチほどの小さな詩碑にくらべ、母の歌碑は2メートルを遥かに超える日本の有志たちによって建てられた素晴らしいものだが、もう二度と母とともに眺めることができないことがただ虚しい。

 

歌碑に刻まれた愛の短歌は、父の急逝に筆を持てなくなった母が、何年かの空白を経て再び短歌を詠んだ第四 無窮花に収められた愛の短歌のひとつであり、日本列島の琴線に触れたという短歌でもある。韓国にはそれまで母の心は知られることはなく、日本でも試作半世紀にしてやっと知られるようになった。

 

父の死を束の間のたわむれかと詠んだように、母もまた母に向かう娘のこの愛の深さを試そうとしてその姿を見せないのではあるまいか。「わたしがこうして逝ってしまえば、この子は母恋しさに泣くだろうか、泣きはしないだろうか」とそっと薄目で見ているのではなかろうか。

 

韓国の新聞の旅行広告に青森行きの案内がある。韓国人が青森へ行くだろうかといつか気になって電話で問い合わせたところ、人気商品だという。とても清浄な地域で空気と水がよく、奥入瀬渓谷、湖、流れ落ちる滝を眺めながらの露天温泉があり、日本一のりんごの名産地であり、静かにヒーリングするにはもってこいの場所だけに、それも頷ける。

 

そこにある韓国人の歌碑のことを知っているかと問うと、知らないという。

 

ソウルからわたしと同行した何チームかの人々は、青森の自然に感動するが、その同じ人々が日本人が韓国歌人の詩魂を称え歌碑を建てたことに感動する姿もわたしは見た。

 

その前に立つたくさんの韓国人たちの胸が深い感動に濡れる日が必ず来るだろう。

 

 

 

外国の土に慣じみて歌碑よ建てふたつの国を繋ぐ掛橋

 

                                                       孫戸妍

 

 

 

 

 

  

歌碑の向いにある文化センターのロビーの上にかかっている歌人の肖像と日韓両国語からなる平和の短歌

文化センターの壁にある李承信の一行詩とその由来

 

   母の歌碑越しに見える太平洋  -  2015  9  26

  

 

 

 

 

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李承信  詩人、エッセイスト、孫戸妍短歌研究所理事長

梨花女子大学校英文科、ワシントンジョージタウン及びニューヨークシラクス大学院卒業

京都同志社大学在学中

放送委員会国際協力委員、サムスン映像事業団及び第一企画製作顧問

 

著書 - 癒しと悟りの旅路、息をとめて、沖縄に染まる

花だけの春などあろうはずもなし、君の心で花は咲く、等

 

 

 

 

 

                                                  

 

  



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