カルチャーエッセイ

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ネパールのビール

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  • 2015.09.07 23:05

 

 

                                                                                                                                  2015    6   1

                                  

 ネパールのビール

 

同志社大学の読解時間に読んだエッセイがある。

 

日本の雑誌‘文芸春秋’に載った‘最近一番泣いた話’というタイトルのもとに書かれた‘ネパールのビール’。作家の吉田直哉は‘日本の素顔’等でNHKのドキュメンタリーとドラマに先駆者的な役割を果たし、‘私のなかのテレビ’等多数の著書もある。

 

そのエッセイを部分部分はしょって紹介してみる。

 

 

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四年も前のことだから、正確には最近のことではないのだが、私にはきのうのことのように感じられる。

 

ある年の夏、私は撮影のためにネパールのドラカというところに十日ほど滞在していた。海技千五百メートルで、電気、水道、ガスのような現代文明はいっさいないところだ。

 

人工四千五百人で、自動車はもちろん道路もないという自分たちの生活が、世界的な水準に及ばないことを彼らはよく知っている。旅人の目には人類の理想郷のように見える美しい風景のなかで、なぜにこれほどまで過酷な暮らしがあるのかと思う。

 

若者たち、特に子どもたちが、村を出て電気や自動車のあるところへ行きたいと願うのも無理のないことで、私たちにしても、車なしに重装備で登山しなければならなかった。

 

十五人もポーターを雇って機材や食糧を運んだのだが、余分な荷物は減らさなければならず、まっさきに諦めなければならなかったのがビールである。なにより重く、アルコールとしてなら、ウィスキーのほうが効率的だ。

 

大汗をかいて一日の撮影が終わったとき、眼の前に清冽な小川が流れているのを見て思わず「ああ、ここに冷えたビールの一杯があったら」と言ってしまった。その言葉を通訳を通して聞いたチェトリという村の少年が眼を輝かして言った。

 

「ビールがほしいなら、ぼくが持ってきてあげる」

 

「……どこから]と聞くと、大人の足でここから二時間ほどのチャリコットだと言う。

 

「暗くなるまでに戻ってこれるよ」

 

-----チャリコットは、私たちが車を捨ててポーターを雇った峠の拠点である。トラックの来る最終地点なので、むろんビールはある。峠の茶屋の棚に何本かびんが並んでいるのを、来るときに眼の隅でみた。

 

でも、チャリコットまでは大人の脚でも一時間半はかかるのである。

「遠いじゃないか」

 

「だいじょぶ。まっ暗にならないうちに帰ってくる」

 

八時ごろ、彼は五本のビールをもって現れ、私たちは拍手で彼を迎えた。

 

翌日、撮影現場の見物にやってきたチェトリ君が「きょうはビールは要らないのか。きょうは土曜でもう学校はないし、あしたは休みだからたくさん買ってきてあげる」と言うので、前夜のあの冷えたビールの味がよみがえり、1ダースぶん以上ビールが買えるお金を渡した。ところが夜になってもなんの音沙汰ない。

 

事故ではないだろうか、と村人に相談すると、「そんな大金をあずけたのなら、逃げたのだ」と口をそろえて言う。

 

十五歳になるチェトリ君は、一つ山を越えたところにあるもっと小さな村からこの村へ来て、下宿して学校に通っている。彼の下宿を撮影して話をきいたので、厳しい事情はよく知っている。わら作りの寝具だけがある狭い土間で、チェトリ君はダミアとジラという香辛料をトウガラシと混ぜて石の間にはさんですり、野菜といっしょに煮て一種のカレーにしたものを飯にかけて食べ、小さな石油ランプ一つの暗い部屋でベッドの上に腹ばいになって勉強している。

 

そのチェトリが、帰ってこないのである。土日が過ぎて月曜日になっても音沙汰がない。学校へ行って先生に相談したら、先生までが「心配することはない。事故なんかじゃない。それだけの金を持ったのだから、逃げたのだろう」と言うのである。

 

歯ぎしりするほど後悔した。ついうっかりネパールの子どもにとっては信じられない大金を渡してしまった。あんないい子の一生を狂わしてしまったのだ。

 

でも、やはり事故ではなかろうかと思う。

 

いても立ってもいられないままの三日目に宿舎の戸を誰かが烈しくノックした。さては最悪の凶報か、と戸をあけるとそこにチェトリ君が立っていた。

 

泥まみれだった。チャリコットには三本しかビールがなかったので、山を四つも越した別の峠まで行ったという。

 

合計十本買ったのだけど、ころんで三本割ってしまった、とべそをかきながらその破片をぜんぶ出してみせ、そして釣銭を出した。

 

彼の肩を抱いて、私は泣いた。あんなに泣いたことはない。そしてあんなに深く、いろいろ反省したこともない。

 

 

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四年前、巨大な津波が日本を襲い、人と町が飲み込まれてしまったとき、歌人であった母を慕ってくれた日本の読者の方々のことが思い出され、私も何か力になりたいと短詩を二百五十首ほどつくったことがある。その詩が日韓両国の新聞に同時に掲載され話題となったとき、何人かの韓国人から、なぜ日本をそんなに慰めるようなことをするのか、トルコやインドネシアに地震がおきたときにはなぜそうしないのかと言われた。日本だからこうするのだとは言葉に出せなかった。今度のネパールの大地震のニュースを京都で見て、そのときのことが思い出された。

 

ネパールにはまだ行ったことがない私は、ネパールといえばエベレスト山しか思い浮かばないが、このエッセイを読んで私は泣いた。夜通しわからない単語を探し、たどたどしくとも読み進めながら、こんなにも純朴で正直な心が生きている国に行ってみたくなった。そして、このエッセイを書いた作者に感謝したくなった。

 

読者の心を泣かせ、その心を一瞬にして変えることができるのが文学の力というものだ。

 

 

 

                                                        

 

          산 아래 마을   -  Nepal            

   Himalaya,  그 聖山 이 보이는  마을 


 

 

 

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이승신 시인, 에세이스트, 손호연단가연구소   저서 -거꾸로 도는 시계, 치유와 깨우침

의 여정에서, 숨을 멈추고, 오키나와에 물들다, 그대의 마음 있어 꽃은 피고 外

 

 

 

 
 

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