カルチャーエッセイ

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雪国

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  • 2015.03.28 00:22

 

 

 

 

 

                                                                                                                                                    2015   3  17

 

 

雪   國

 

 

韓国大使の一行が越後湯沢を訪れた話を聞き、ちょうど十年前の光景が映画のワンシーンのように私の前をよぎりました。

 

母が突然世を去って十余年。

幼くして外祖母に育てられたのが十年、大学卒業後にアメリカに留学して留まること二十余年、指折り数えてみれば実際に母とともに過ごしたのは何年にもなりません。

 

生きているときにはそれが当然のごとく思い、いなくなってみればあまりに名残惜しく、もったいなくて、その晩年に一緒に翻訳した母の短歌を引き継ぎ、よくわかりもしないのに自分なりに母の足跡を辿ろうと、韓国と日本のあちこちを訪ね歩きました。その一つが越後湯沢、川端康成の雪国の舞台です。

 

母と直接関連があるわけではありませんが、日本初のノーベル文学賞受賞者であり、雪国を読んだこともあり、東京に行ったついでに汽車に乗り、その小説の有名な書き出し「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」を全身で感じながら駅に降りました。

 

昼食を食べそこねた午後、駅前に手打ちうどんと書かれた暖簾がはためいていました。小さな店内に入ると厨房がちらっと覗け、壁にある人の背丈よりもはるかに高い雪の壁を横切って歩く女性の絵が目に飛び込んできました。

 

翌年に歌人であった母の忌日に合わせて世界的な画家たちの絵の展示会を企画中だったため、東京で名のある画家とも会い、湯沢にはただ大文豪川端康成の足跡を辿りに来ただけでしたが、最初の一歩を踏み出して出会ったの雪国らしい湯沢の雪の絵でした。

 

うどんも期待以上においしく、この絵の画家の住まいを尋ねようと主人を探すと、厨房の奥にちらっと見えたうどんをこねていた男性が出てきて、その絵の画家は九十歳を越える女性で、今ではもう絵を描いていないと、すまなそうに言いました。

 

それでも何とか会えないだろうかとお願いしました。実際に会うことさえできれば母の短歌をテーマにして絵を描いてほしいと説得することはできると考えていました。断った方々でも一行の母の短歌に実際に接すると、それをテーマに新たな芸術を創作したくなる例をたくさん見てきたからです。

 

代わりに彼が近くの画廊を紹介してくれたので、タクシーに乗って秋の草原を越え、花の絵の展示会を見て、たくさんの絵葉書を買いましたが、あの雪の絵が目に焼き付いて離れません。

 

うどん屋の主人にちょうど持っていた私が作った母の歌集を手渡し、この短歌をテーマに絵を描いてくれる世界水準級の画家を探していると説明してから、川端康成が滞在して雪国書いたという高半旅館に向いました。

 

一泊した後、歩いて駅前に行く途中でノーベル賞作家の記念館を見学し、駅前の例のうどん屋でまた足が止まりました。

 

結局、その老画家には会えませんでしたが、店のうどんの味は一級品でした。うどん屋の小さなホールからは厨房の中がよく見えませんが、私が入っていくと、うどんをこねていた主人がとても喜びながら出てきて、丁寧にお辞儀しながら、あの短歌集を夜通し読み、感動と感激に言葉がみつからないと言うのでした。

 

東京で会った人々も一様にそのように感激してくれましたが、終日うどんを作り疲れたその手で夜遅くまで、ページをめくってくれたかと思うと、店の主人のその手と心の姿勢に私も感激しました。

 

主人が揮毫用の白い四角の色紙と筆を素早く取り出して、韓国からスキー客が来るので、韓国語と日本語で短歌をひとつ書いてくれれば、壁に貼って見せてあげたいと言うので、ちょうどそのころ、ソウルの日韓首脳会談で二人の首脳が詠んだ孫戸妍の平和の短歌を書きました。

 

切実な望みが一つ吾れにあり諍いのなき国と国なれ

 

するととても恥ずかしそうに、もう一つだけ何か書いてもらうわけにはいかないかと言うので、ちょうど店のこじんまりした庭に椿の花が咲いていたので、母が椿の花を詠んだ短歌から一つを書きました。

 

  ‘昨夜風に数多のつぼみ散らばれり椿の花と呼ばれもせずに

 

おいしくいただいたうどんのお金をとろうとせず、プレゼントまでいただき、私が駅に入って完全に見えなくなるまで、心を込めて手を振り続けてくれました。

 

雪国の話が出ると、そのときのことが思い出されます。過去十年余り日本にスピーチや朗誦、講演などのため数えきれないほど行きましたが、そこを再び訪ねる機会はありませんでした。

 

崔秉孝先生と韓国の前職大使を務めた方々から、スキーに苗場に行くついでに、私がなにげなく話した湯沢に立ち寄ったところ、件のうどんをこねるその男性の感激につられ、自分たちも感激してしまったという話を聞かされ、私までぐっときてしまいました。このような感動の連鎖こそは、互いに長く目をそらし続ける両国の首脳が出会うよりも遥かに感動的な心の輪であり、私たちの心を和ませるとても嬉しい報せなのです。

 

そうです。

今や二人の首脳にことあるごとに変れというのではなく、私たちが変わらなければなりません。私たちひとりひとりが韓国であり、私たちの心を全て合わせたものが私たちの品格なのです。国境を越えて繰り広げられるこのような両国国民の心の交流は、これまで凍りついてしまった私たちの関係をついには溶かしてしまうことでしょう。

 

また、湯沢に行きたいものです。

 

 

 

                 辛い歴史を忘れられないとしても 心の澱を降ろし成熟した平和を祈る

 

                                                                                                     李

 

 

 

 

 

 

越後湯沢の雪国の絵  -  2015 2 25


崔秉孝大使と湯沢のうどん屋シェフオーナー 玉田氏 2015  2 25


2005年秋に渡した名刺と手紙、世界の画家たちが描いた‘孫戸妍詩画集’ -   2015  2  25

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

 

 

 






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