美空ひばりの‘川の流れのように’ 幼いころ、父が歌っていた日本の歌がいくつかある。その一つが‘この道’という歌だ。日本の古典の有名な短歌であり、わたしの十八番でもある。 この道はいつか来た道 ああ そうだよ あかしやの花が咲いてる 平壤師範学校に通っていた父は、校内オーケストラの指揮もし、首席バイオリニストとして世界的な音楽家になるのが夢だったが、貧しい家庭の長男だったため日本帝国主義時代の満州新京の法科大学への進学を選んだ。 ソウルに戻ってからは商工部の官吏、その後は弁理士会の会長を務めたが、家では古びたピアノを弾いていつも歌をうたっていた。カゴパ(行きたい)やパウィコゲ(岩の峠)などの歌曲とともに、いくつかの日本の歌曲をうたうのだが、意味も全然知らないそれらの歌は幼いわたしの頭に入力された。初期教育が無視できない理由でもある。 わたしは二十歳のとき、国際青少年会議のため東京に行くことになるが、そのときテレビで知った当時の流行歌のいくつかが、やはり意味もわからないままに入力された。それが当時のわたしの日本語の水準だ。 日本帝国主義時代に韓国語を家の外で使うと捕まり、終戦後には生まれたときから身についた日本語で文章を書くと非難された両親は、そのせいかわたしに日本語を勉強しろとは言わなかったが、歌の歌詞をいくつか覚えたのが日本語の実力の全てだったことを思うと、今振り返っても、あのときもっとたくさんの歌を覚えておけば、それがそのまま勉強になったものをと思わずにいられない。 今度の日本留学に際して、当然テレビやさまざまな媒体を通して、日本の最新歌謡に接するだろうと思っていたが、そういう時間もろくになく、全ての試験を終えて卒業してからやっと、歌詞が気に入った歌を五つほど宿題のようにして覚えた。 そのうちの一つが美空ひばりの‘川の流れのように’だ。 美空ひばりは歌はもちろん、演劇、ドラマ、映画をあまねく渉猟したそれこそ万能タレントで、素晴らしい美人とはいえないが、外面の美しさというものが内面から溢れ出す機運、態度、考え方、霊的なたたずまいであるとすれば、わたしが目にした彼女の芸術に捧げた献身的な態度、しぐさ、表情、自信感、それら全ての調和は、まさにグローバル級で実に美しく魅力的だ。 韓国系であるにもかかわらず韓国では公演できなかったが、ヨーロッパ公演は素晴らしかった。数多くのヒット曲の中でも最後に‘川の流れのように’をうたうときには、世界最大の販売数を誇る曲で、最高の歌手の人生をたとえた歌というメントがついた。 イ・ミジャとパティ・キムを合わせたようだという韓国人の評もある。 下のリンクで、彼女が9歳でデビューしてから43年間に残した1400曲のうち最後の歌、自身の人生を川の流れにたとえてうたい、感動を与える‘川の流れのように’を聴くことができる。 画面右の‘愛燦燦’は、これも今度わたしが覚えた歌で、美空ひばりが見事に歌い上げているが、作詞作曲者した男性が直接うたっているものにも地味な味わいがある。人生を観照する歌詞のよい曲なので、合わせて聴けば日本人の趣向を知ることができる。 ‘川の流れのように’を聴くと、美空ひばりの波乱万丈だった短い人生が思い出され、人間誰しもに共通する生のいとなみに思いをはせることになる。 ‘この道’をうたった父の歌声が、昨日のことのように重なり聴こえてくるようだ。 川の流れのように 知らず知らず 步いて來た 細く長いこの道
振り返れば 遙か遠く 故鄕が見える でこぼこ道や 曲がりくねった道 地圖さえない それもまた 人生 ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて ああ 川の流れのように とめどなく空が黃昏に 染まるだけ
生きることは 旅すること 終りのない この道
愛する人 そばに連れて 夢探しながら雨に降られてぬかるんだ道でも
いつかは また 晴れる日が來るから
ああ 川の流れのように おだやかに この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように 移りゆく季節 雪どけを待ちながら ああ 川の流れのように おだやかにこの身を まかせていたい
ああ 川の流れのように いつまでも靑いせせらぎを 聞きながら
https://www.youtube.com/watch?v=d_Ns_B23LT0 -------------------------------------------------- 李承信 詩人、エッセイスト、孫戸妍短歌研究所理事長 梨花女子大学校英文科、ワシントンジョージタウン及びニューヨークシラクス大学院卒業 京都同志社大学卒業 放送委員会国際協力委員、サムスン映像事業団及び第一企画製作顧問 著書 - 癒しと悟りの旅路、息をとめて、沖縄に染まる 花だけの春などあろうはずもなし、君の心で花は咲く、等 |