2015 12 19
詩人の庭園
こは今まさに晩秋、熟し切った秋そのものだ。
わたしの住んでいるところから電車で十分余り。一乗寺で降りると昔の集落の姿がそのまま残っており、狭い路地を入ると由緒のある十幾つかの寺院と伝説の侍宮本武蔵がその下で決闘をしたという一本の松の木が現れる。そこに詩仙堂、‘詩人の庭園’がある。
何年か前、偶然その名前に接したとき、胸が高鳴った。日本庭園は寺院や神社、天皇陛下と大名のものがほとんどなのに‘詩人の庭園’とは。尋ね尋ねて辿り着いたその庭園は私を失望させなかった。
竹造りの簡素な門をおして入り、竹の塀ぞいに続く石の階段をのぼると、畳の部屋が現れる。そこに入って息をこらして静かに座ると、畳の間に続く縁側が見え、襖もなく開かれた前庭を一目で見渡すことができる。こじんまりしたこの庭園になんともいえず心惹かれるのは、そこにこめられた精誠、その深い功が感じられるから。
五月の庭園は群生するつつじの花のため格別だといい、藤の花が垂れる真夏の新緑も爽やかだというが、この秋深いオレンジ色の紅葉も奥ゆかしい趣をそえる。
この庭園を直接造った石川丈山 1583~1672は、十六歳にして既に徳川家康の側に仕える有名な武将だった。徳川家康が将軍となり大坂夏の陣に参加して赫々たる功をあげながらも浪人となるも、病弱の母のため再び士官した。母の死去とともに広島から京都に上り、五十九歳にしてここに‘詩人の庭園’を建てた。
一芸に秀でる者は多芸に通ずの諺の通り、武術だけでなく詩と学問にも卓越した才を示した丈山は、景観建築家としても優れ、丘の傾斜をうまく活用して変化と細心の調和をもたせた庭園は平安で美しい。二階には月をながめる小さな部屋もある。月を眺める部屋とはなんと詩的なことか。
漢詩を敬慕し中国歴代詩人から三十六人を選んで三十六詩仙とし、その詩と肖像画を描かせ堂内の壁にかけた。そのため詩仙堂と呼ばれるようになった。こんなにも美しい庭園を造った詩人が敬慕した詩であれば、その内容を知りたかったが、昔のものでもあり、美しくも流れるような書体も文字を読むことができないのが残念だった。
部屋の入り口にはイギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃がいつかここを訪れたときの写真がかけられている。京都の数多くの名刹をさしおき、他に比べて小さくもあるこの‘詩人の庭園’をチャールズ皇太子が訪ねたのはなぜだろうか。誰かの勧めがあったのか、自ら古の東洋詩人の香りに触れたかったのかはわからないが、東洋の静かな庭園に一枚の写真によって西洋の香り一滴がしみ込んでいるのが新鮮だった。私たちは彼の現在を知っているが、彼らが彼ら自身の未来のことなど全く知らなかった若き王子と皇太子妃時代の姿をここでそっと垣間見ることになる。
奥の襖の向いには白い砂をしいた前庭が広がり、白い砂に箒ではいた線が美しい模様を描いている。脱いだ靴をまたはいて白い砂を過ぎて何歩か下ってゆくと、小さな滝が浅い池に落ちているのが見える。その滝の音と竹の水桶に落ちる水の音とが、市内であるにもかかわらず深い山寺に来ているような静かな雰囲気を引き立てる。
一六四一年に造られたこの詩人の庭園は、石川丈山が三十年以上手入れしながら、詩をつくり隷書と監視の大家となり、輝かしい侍としての人生を後にして、九十歳まで当代最高の文筆家や芸術家を招いて静かに暮らしたところだ。
四百年後にも詩人の詩心と気は彼の造った庭園に留まっているのだろうか。胸の奥深くに隠された詩的感興を呼び覚ますのにふさわしい愛すべき空間だ。
この庭園だけは私だけの知る秘密の空間であってほしい。
詩でつくられた庭園で
古の静寂をきく
胸の奥深くで生まれるのをまっている
太古の美しさ