カルチャーエッセイ

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アドリブ

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  • 2017.08.17 22:55

 

 

 

 

              

 アドリブ

 

日本語アドリブとはいったい何のことだろうと思った。看板にごはんや アドリブと書いてある。しばらく考えこんで ad lib のことだとわかった。ad lib は即興的に語る、即興的にするという意味だ。決められたメニューなしに即席で料理を作り出すという意味に違いない。

 

留学していた同志社大学の西門を出て北に何分か歩くと、その右側にあるとても小さな食堂の名前だ。学期が始まる前、部屋を探しにソウルから来て何日間か滞在したときに出会った留学生がここに案内してくれた。

 

テーブル席は二つほど、カウンターも四席ほどしかない。それすら客でいっぱいになることはないが、即席で作り出す料理を与えられるままに食べるので、メニューで悩むことはない。

 

日本には一汁三菜という言葉がある。汁一品に菜三品からなる膳立てという意味だ。ところで、アドリブは五品出てくる。汁と魚とおかずの種類は変るが、色合いもよく味もいい。何より心安らかで田舎の家で食べるごはんのようだ。800円は安すぎる。

 

大学まで歩いていける通りに部屋を借りていったんソウルに戻り、学期の始まる前に再び来てみると、外国人居住者登録証作り、大学入学のための健康診断と健康保険証作り等、思いもよらない行政手続きを解決しなければならなかった。その後学期が始まると、借りた部屋に必需品を毎日買い整えていくのも一仕事だったが、勉強以外には全く何も手を出せないほどカリキュラムの密度が濃かった。

 

一日三食を解決しなければならないが、ちょうど部屋が伝統市場のすぐ前なので、野菜、果物、魚などを売る食べ物屋が多く、大きなスーパーマーケットも2つもあり、いい食材を安く手に入れることができた。魚の刺身は新鮮で、販売品なのにその場でしぼったようにフレッシュな豆乳もおいしい。

 

パンと果物、豆乳とヨーグルトを携えて朝9時からの授業に間に合うように840分ごろ早足で大学にむかう。いつもは90分の授業を二コマ終えて昼食をとるが、10時半の授業がないときには良心館の新しい建物の1階にある行列のできるベーカリーに並んで焼きたてパンとスープを食べる。昼食はキャンパス内のあちこちで食べられるが、主に良心館の大きな階段を下りたところにある数百人は収容できそうな学生食堂に行く。シンプルで健康的なメニューを好みで選び、カウンターにのせて重さをはかり会計する方式だが、比較的安く食べることができる。

 

大学のごはんは白米なので、私は市場で玄米と雑穀を買い、玄米ご飯を炊いて一人分を大学に持っていく。オムライスを食べさせるところもあって、おいしいのでよく行く。私が大学構内の食堂で毎日食べるのは、時間の節約が大きな理由だが、それに劣らず毎日宿題と試験のため紙と向き合うことが多いからだ。日本語もおぼつかないのに課題が多く、日本語を教えてくれる学生アルバイトを求めようとしたが、うまくいかなかった。アルバイトする学生は多くても、教えてくれる学生は見当たらなかった。

 

ある日、大学の食堂に座ってお昼を食べ、そばにいた日本の学生に理解できないことを尋ねると、親切に教えてくれた。それからほとんど毎日世話になった。そのように毎日キャンパスで昼食を、ときには夕食も食べながら一生懸命勉強した。ずいぶん昔にもそんなことがあり、私はどこでも一生懸命勉強したが、いつまたこんな機会があるかわからないと思い、必死で勉強した。ようやく物心がついたのだ。

 

いつしかアドリブでおいしいご飯を食べていたことを忘れてしまっていた。キャンパスの外に出ることがなかったためだ。二つの学期を履修し終えて、久しぶりに西門を出て散歩がてら少し歩くとアドリブの看板が見えた。ああ、そうだ、アドリブ。この独特な名前を忘れていた。嬉しくなって店に入ると顔馴染みの夫婦が笑って迎えてくれた。

 

妻の大野廣美さんがせっせと料理を作り、夫の大野薫さんが主にサービングする。ずっと昔は薫さんがコーヒーが好きで音楽喫茶をしていたが、その後食堂になってもう42年もたつという。喫茶店時代のおもかげか壁にはビートルズの写真がかかっている。

 

二人の姿はとても心を落ち着かせ、礼儀正しいありふれた日本人というよりは、地味な韓国人というに近い。韓国人観光客が日本で好きなものが温泉と食べ物だという。平壤出身の父のおかげで私たち家族はずっと辛くなく薄口だったので、日本の淡白な食べ物は口に合う。

 

みそ汁に焼き魚一切れ、きゅうりの漬物に野菜のおかず二つほどがきれいにのせられたお膳を受け取ると、我が家に帰ってきたように安らぐ。もっと早く気がつくべきだったのにと思う。おいしいとおいしいというと廣美さんは喜び、「韓国の食べものってどんなふうなのかしらね」と言うので、一度ぜひ韓国に来てください。おいしいものがたくさんありますよと言うと、一日しか休めないから外国旅行なんて夢のまた夢とでも言いたそうに遠くを見つめる表情をした。 

 

外国暮らしは淋しい。しかもこの年になっての留学生活は大変で淋しいことこの上ない。 だからだろうか、同志社で勉強していた間、店のすみに何かの包みがちょっと見え、完璧ではないとしても我が家のように暖かいこのアドリブになぜもっと頼ろうとしなかったのだろうかと、そのことが惜しまれ、帰国するまで何度か足を運んだ。

 

私がご飯をおいしく食べている間、大野ご夫妻は故郷の風景のようにいつもそこに暖かく立っている。 

 

 

                        一汁三菜

                     ‘アドリブ’の端正なお膳を受けとると

                       故郷のことを思い出す

 

                       亡き母を思い出す

                       二度と味わえない手料理の味

 

 

 

 

  47年をともにするアドリブの大野ご夫妻  –  京都 同志社大学そば   2016  3

 

 



おみそ汁、焼き魚一切れと野菜の淡白でシンプルなお膳  – アドリブ   2016  3

 毎日メニューが変る端正なお膳  -   京都 アドリブ   2016  3

 

 

 

             

                      

 

 

 

 

 

 

 

 



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