カルチャーエッセイ

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Caroline Kennedy - 韓米日 詩の心

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  • 2016.11.24 19:19


 

                                                                                                                                                      2016  11  9

 

韓米日 詩の心

 

 

19631122日は今も記憶に鮮明だ。彗星のように現れた40代のアメリカ大統領、ジョン

F・ケネディがダラスで暗殺されたのだ。世界は驚愕した。まだ世界のことなど遠くの

出来事だった幼い私にも、全世界が彼をどれほど愛していたかが伝わってきた。

 

Ask not what country can do for you, ask what you can do for your country.

力強いその声が今も聞こえてくる。人類の月着陸成就、キューバ事態後のソ連の恐怖に震

える西ベルリンで、「私は今日ベルリン市民だ」と自由世界の市民であることを叫んだ彼。

一夜にしてアメリカのロマンスが消え行くように見える今、新しい時代、新しい世界を熱

情で切り開いた50余年前の彼のニューフロンティアリーダーシップが懐かしい。

 

1975年、ボストンに初めて行ったとき、ケネディーが育った二階建ての家を訪問し、部屋

ごとに説明を聞き、兄弟たちの討論の場だった食卓を見た。ボストン市長の娘だった母ロ

ーズ・ケネディの公的意識を育てた子女教育の自叙伝を、線を引きながら読んだこともあ

る。

 

20余年のアメリカ生活、道の名前、橋の名前、街の名前はもちろん、故国行き飛行機に乗

ろうとすればそこは彼の名がつけられた空港だったし、ワシントンのジョージタウン大学

の隣には若きケネディ上院議員が住んだ赤レンガの家があり、その大学に通っていたとき

私が住んでいた部屋の真向かいはケネディセンターだった。

 

ジャクリーン・ケネディはどうだろうか。知性と優雅さを宿したその姿に、アメリカ人を

見下していたドゴール大統領とフランス国民が惚れ、どんな王族や芸能人も真似のできな

い気品と魅力で世界中から愛された。後半生は Jewish の伴侶者と添い遂げたが、ニュー

ヨークのセントラルパークの向かいにある彼女の住んだ 12 bedroom のアパート建物を通

り過ぎるたびに、私はそんなことを思い出した。

 

さまざまはストーリーがあるが、私が彼女を尊敬するのは、晩年までニューヨークの Doubleday 出版社でエディターとしてマイケル・ジャクソン自叙伝等の本を編集し

いたという事実だ。天を突くばかりの富と権力、名誉と人気を得ながらも、苦難の日々

を後にして出版社の小さな部屋に出勤しほんとうに自身が好きな仕事をしていた彼女の

姿を想像すると、胸にじんとくるものを覚える。

 

そんなことを思い出しながら、私は先日そのような二人を両親にもつキャロライン・ケネディに会った。長い付き合いの友人に対するようだった。ホワイトハウスで大統領である父の執務中にその机の下で遊んでいた幼いキャロラインの写真を思い出し、おもわず「あなたが子どものころ」と言いかけると、すかさず「 I know 」と微笑みうなずいた。無理もない。耳にたこができるほど聞いてきた言葉のはずだ。

 

駐日アメリカ大使であるキャロライン・ケネディーは、公職経験がないにもかかわらず、日本の首脳はもちろん日本国民にとても人気がある。彼女がソウルを訪れた理由は、彼女が日本大使として赴く以前から、ニューヨークで教育奉仕団体である Dream Yard とともに行っていた詩の朗読大会が、大使として東京赴任後に日本の学生も参加する国際行事に発展し、今回それに豊山高の学生たちまでが参加し韓国で催されることになったためだ。彼女と旧知の豊山グループの柳津会長がスポンサーを務めた。

 

ちょうど、ワシントンで25年前に出会った友人、Dale Kreisher が駐日アメリカ大使館の文化担当官として随行してきた。このプロジェクトは能力のあるケネディー大使がもともとニューヨークのときから企画したものだと耳打ちした。

 

アメリカと日本の詩人代表が集まり、私とともに3カ国代表として、同じ三カ国から集まった50余名の学生たちの詩を審査した。アメリカの詩人 Parneshia Jones は数多くの受賞に輝き、日本の詩人暁方ミセイも21歳という最年少でありながら、日本の主要な賞を受賞しているベテランだ。ノーベル賞級の彼女たちの経歴には驚かされる。それでも自分にはアメリカでの20余年と最近の日本への留学、そして韓国という3カ国を合わせた強みがあると思った。考えてみれば韓米日の3カ国は私が生きてきた人生そのものだ。

 

審査後、「日本の35年間にわたる韓国に対する残忍な植民地統治により、韓国に偉大な短歌歌人が誕生した。私の母、孫戸妍歌人だ」で始まるスピーチで、親子の代表作をいくつか三ヶ国語で詠み、そこに引き継がれてきたスピリットについて話した。

 

ケネディ大使は「日本に来てアメリカの強力な同盟である日韓関係を見るととても残念で、これまでしてきた日米の詩の大会を韓国ですることになった。Sunshine (私のパスポートでの英語名)が歌人である母のスピリットを引き継ぎ、韓米日の関係をとりもってきたことに大きな感銘を受けた。そのようにこの大会が互いに心をつなぐのに寄与できることを願う」という要旨のことを話した。

 

アメリカの詩人 Parneshia Jones の本の履歴を見ると、キャロライン・ケネディーが編集した本がある。母であるジャクリーンが編集の仕事をしたように、彼女も編集に携わってきたことを知り、いまさらのように嬉しかった。韓国で出版された孫戸妍歌人の歌集4冊は私が編集したものだ。

 

初めての出会いだったが、私たちには共通点がいくつかある。今はなき母の志を受け継ぎ、編集そして本を作ることを、その精神を隣国につなぐ道具としている点だ。

 

キャロラインとともに私の幼い日のことを思い出しながら、彼女がケネディ家のボスとして公職を果たすために、日本だけでなく韓国まで幅を広げ、詩文学により互いの品位を高めて融合させようとすることに感動した夜であり、3カ国の青少年たちの詩心を鼓舞する心温まる夜だった。

 

 

幼くして胸に刻まれた詩心は生涯を貫く。 

 

 

 

 

 

 

韓米日の三詩人審査委員 - IPEP Korea ソウル   2016  11  6


 

 アメリカの詩人 Parneshia Jones - IPEP Korea ソウル


 

Nice meeting you, Caroline !   左は旧友の Dale Kreisher

 Speech  -  IPEP  Korea  ソウル 

 

  親子詩集 にサインする。真ん中は長嶺日本大使 -  2016  11  6  ソウル 

IPEP 詩大会を終えて。左は柳津會長  - 2016 11  6  ソウル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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