眩しい五月だ。
雨や風の激しい日もあったが、大勢は早くも暖かさと新緑の眩しさが勝るようになった。
どこからか薄いピンク色の蕾をつけた一抱えのシャクヤクの花が届いた。数えてみると五十本、それをひとつひとつ取って適当な長さに切り、花瓶にさすだけでも一苦労だった。
送り主の名前がない。
私が優雅な香りのシャクヤクの花が好きなことをしゃべったのは誰だったろう。心当たりのある後輩がいたのでメールしてみたが、違うという。
誕生日ももうすぐだが、突然の長期入院で長い冬を過ごしたことへの慰労だろうか。
一月に出版予定だった新刊本が今日やっと出た。
送り主はそのことを知らないはずだが、私はその励ましとして受け取りたい。
難産だったからだ。
本を出すのには新しい生命を誕生させるのに等しい陣痛をともなうという。それだけ大変なことだという意味だろう。
子を産むと、二度とこんなことはできないと思いながらも、それを忘れてまた産むように、本を書き、作るたびごとに、忘れていたその苦痛がよみがえる。
本を企画し、著述するだけでなく、編集、写真撮影と配列、デザイン、最終印刷チェックまでのほとんど全過程をひとりでこなした。過酷な作業だった。
短くは京都に留学した2015年から帰国後に記録したものまでの三年間の話だが、初めて京都を訪れたときから数えれば50年間のストーリーでもある。ふとひらめいて文章のひとつを修正すると、写真の配列が全部こじれてしまうので、そのたびに組み替えなければならなかった。
晩学だけでも手に余るというのに、なぜまたこの作業を始めてしまったのかと嘆いても後の祭りだが、学んで気づいたことを知らせなければという思い、若者たちに生涯にわたる勉強というものを焼きつけてあげた思い、韓国人にとって京都とは何かを考える心、最も近い日本の歴史と内容を学ばなかった私たちが、いまやそれを知ってこれまでの気まずさから暖かい善隣関係へと再び戻ることを願う心、Historyを司る天を敬う心、私がのぞき見た京都の隠れた肌を見せたい気持ち、そうした初心をたぐりよせながら、残忍なほど長い陣痛のトンネルを耐え抜いた。
二度とこんな命を削るような苦行をするものかと固く誓ってはみるが、やわらかい赤ちゃんを初めて胸に抱いたときのように、できたての新刊本を手にしたときのときめきで、このあまりにつらかった陣痛もすぐに忘れられてしまうのではないかという気もする。