カルチャーエッセイ

본문

祇 園 祭

  • 비추천 0
  • 추천 0
  • 2017.09.10 23:17

 


 

 

 

京都の祇園祭                                                                                     2015  7  17

  

 祇 園 祭

  

日本は祭りの国だ。

一都一道二府四十三県でたくさんの祭りが繰り広げられる。

 

そのたくさんの祭りの元祖が京都の祇園祭だ。

毎朝授業があるが、祇園祭は一年に一度の大祝祭で、日本全国の祭りの元祖なのだから、絶対行ってみたほうがいいと周りに勧められ、模範生の私はしばらく躊躇ったが、討論の時間をさぼって同志社大学の建物と連結している地下鉄に乗り、京都市内に出た。

 

ちょうど異例的に大きな台風が連日押し寄せていた。台風が激しければ中止になりえる、当日の朝五時に決行か中止かを知らせると時々刻々伝えていた。実際に中止になっていたら、祇園祭の歴史上135年ぶりのことだったが、幸い祭は台風の中でも決行された。

 

激しい雨が降っていた。雨がよく降る京都だが、その朝の雨足はとくに強かった。

祇園祭は京都三大祭の一つで、全国各地はもちろん世界各国からも参加者が押し寄せる。実際に山車の上に登ったり、下で太い綱で山車を牽いている人々には西洋の顔が目立った。 大きな声で始まりが告げられ、音楽と演奏、山車引き、曲がり角で高くて重い山車の方向を一心同体となって一瞬で変えてみせる技術等、たくさんの練習の跡がうかがえ、これが台風で中止になっていたら、どれほど虚しく失望しただろうかと思わされた。

 

7月一杯祭りで京都市内は混み合う。昨夜たいそうな前夜祭が祇園であったが、毎年同じ717日が祭りの核心だ。祇園に位置する深い朱色の八坂神社を起点として、市の中心部を23台の派手な装いの重々しい山車がゆっくりと練り歩く。沿道にあふれた観光客の数はすさまじいが、雨が激しいためか昨年ほどではないという。

 

869年の京都は大変な状態だった。伝染病が広まり数多くの死者が出た。恨みを抱いて死んだ怨霊が徘徊して人を苦しめると信じ、伝染病も怨霊の復讐だと考えた。そうした社会的な不安を鎮めるため、神に祇園御霊祭を捧げた。

 

それが祇園祭の起源だ。最初はその年(869)だけだったが、970年以降は毎年夏に行われている。

一般的に日本の祭りは、農村や漁村で春や秋に行われる豊作や大漁への感謝を捧げるものだった。しかし、祇園祭は京都という当時の首都で始められた独特な夏祭りだ。

 

この祭りはその形態においても全く新しいものだった山車呼ばれる巨大な車を作り、その高い屋根の上には槍のような武器を載せ、人ものぼって手で動かす。重いものになると12トンにもなるという。屋根にのぼった者は特異な音楽を演奏しながら町全体を練り歩く。太鼓や各種の笛が奏でる魂をゆさぶるリズムとメロディーで怨霊を追い払うという発想だ。そのため祇園祭というと人々はその独特な音楽を連想する。

 

つまり、千年以上も昔、京都の人々が家族と親戚を失った悲しみを癒し、美しい祭りに昇華させるのが祇園祭だ。恐れから生れたこの夏祭りは、日本各地の数多くの祭りに影響を与えることになる。

 

耐え難い不安と恐れを徒に嘆くだけではなく、美しい芸術に昇華し世界的な祝祭に作り上げたことに私は深く感動した。これまで数多くの人々が祇園祭に感動しては立ち上がり、自身と共同体を率いていったことだろう。

 

私たちも振り返ってみれば国を揺るがす不安な事件がどれほどたくさんあったことだろう。遠くは酷烈な日本帝国主義による植民地時代があり、同族相争う朝鮮戦争があり、近くはセウォル号とMERS事態があった。国と全民族の命を揺るがす痛みを心に秘めてしまうのではなく、美しい芸術に昇華させ、国境を越え人類が共感し分かち合い慰め合う、そんな祝祭に作り上げることができたらどんなに素晴らしいことだろう。どしゃ降りのこの日、京都の世界的な祭りを眺めながら、私はそう願った。

 


 

祇園祭が始まる祇園の八坂神社  -  京都   2015  7  17


 大勢が手で引く20余メートルの山車  –  京都


 世界各国の人々が日本の衣装を着て山車を牽く  -  京都  2015  7  17

雨の祇園祭   -   京都四条烏丸   2015  7  17

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




추천 0 비추천 0

트위터 페이스북 미투데이 다음요즘 싸이공감 네이트온 쪽지 구글 북마크 네이버 북마크

댓글목록


회원로그인
회원가입     아이디/비번 찾기