最近『百済と韓日関係の未来』というテーマの国際シンポジウムがあり、スピーチのため東京に行った。どこへ行こうとホテルの名前にはこだわらない方だが、東京だけは帝国ホテル Imperal Hotel でなければだめだ。父とともに過ごした思い出のためだ。
帝国ホテルは皇居のすぐそばにあり、皇居を見おろすことができ、数多くの国王や国家元首が宿泊し、今上天皇唯一の内親王が結婚式を挙げるほど長い歴史と伝統がある。フランス料理を現地で学び研究してきた歴史は120年を超える。客室も1,000室を超え、ホテルの後方から出るときらびやかな銀座が始まる。
ビザがとりにくかった時代に、私は日韓青少年国際会議に参席するために初めて東京へ行った。韓国の“発明の日”を制定し、特許・商標等の知的財産権の先駆者にして開拓者であった父は、当時講演のために日本へよく行った。父が講演のためソウルと東京を往復する間、私は帝国ホテルに滞在することになったのだった。ひとり取り残された私は、文明の新しさに目覚めはじめた。西洋文化をいち早く取り入れた日本は、文化と芸術のさまざまな分野における歴史が長かった。
壁の一面を巨大な壁画が覆う美しいロビーで、今なお忘れられない印象的な出会いがあった。共産主義といえばぶるぶると震えていた時代、エレベーターで金日成のバッジをつけた北朝鮮から来た人に声をかけられて驚いたこともあった。ロビーでのティーカップを前にしての父との情感あふれる対話はもちろん、建物の隅々に二十歳のころの思い出が尽きない場所だ。
何度か私ひとりをホテルに残したまま、ソウルと日本を行き来していた父は、それから間もなく、ほんとうに私を残したままこの世を去ってしまった。空が黄色くなってしまったようだった。
さまざまな国際会議や世界の音楽会を父とともにした記憶があるが、特に東京の帝国ホテル正門に足を踏み入れると、穏やかな父の顔が見える。心地よく通る声で私に語りかけた父のあらゆる言葉が遺言となって耳に響く。そのたびに私はまわりを見回し父に向かって涙ぐみつつ微笑みかけてみる。今度もまた優しい父の姿が見え、声が聞こえてきた。
会議に参席し、すべきことをし、旅程が終わりにさしかかったころ、ホテルの巨大なロビーの一角にある“TALES OF TWO CITIES"という展示が目にとまった。チャールズ・ディケンズの小説と同じ題名。東京とパリの“二都物語”だ。
1887年に帝国ホテルが建てられた東京と、当時パリに建てられたエッフェル塔と、そこで開かれた万国博覧会、そしてフランス画家たちの印象派画風が真っ盛りにあったパリ。二つの都の歴史と文化と芸術を巡る物語が、古のホテルの写真と模型や、マッカーサー将軍の部屋、当時話題をふりました新婚旅行中だったマリリン・モンロー、エバ・ガードナー、チャーリー・チャップリン、ヘレン・ケラーなど、そこの常連だった世界の名士たちのエピソードで綴られ、絵画や当時のメニューまで見やすく展示れていた。
“伝統は次をひらめく”という詩的なコピーがあり、ホテル創立120周年記念としてフランスのオルセー Orsay 美術館の絵画展示会が東京国立新美術館で開かれているというので、一も二もなく駆けつけた。
東京大学生産技術研究所移転跡地に建てられた国立新美術館は、六本木ミッドタウンの近くだが、建物はもとより150点の展示内容は素晴らしいの一言に尽きた。よそる器も大事だが、やはりソフトウェアが核心だ。特にファン・ゴッホの“The Starry Night(星降る夜)”と、ポール・ゴーギャンの“Tahitian Woman(タヒチの女)”はキャンバスからはみ出し生きて動いているように呼吸していた。
アメリカに住んでいた頃、ワシントンとニューヨークで昔これらの絵を観たが、当のオルセー美術館には何度足を運んでも見られなかった、とても貴重な作品だ。
ゴッホは生前その作品をパンと交換しただけで、まともに絵を売ることも周囲から認められることもなかった。恨めしい世の中に聴くものもない自身の耳を切り、精神病院で絵を描きもした。
長い間、誰もまともに評価しようとしなかった彼に100年後の人々は熱狂し、遅ればせながら息をひそめてその絵の前に列をなしている。だとすれば、彼は少なくとも100年を時代に先駆け、愚鈍なる後世の人々は、彼の心情を理解するのに100年かかったわけだ。
その輝く不朽の絵画と、悲惨な環境に耐え抜き、描き続けた彼の魂をまざまざと見たが、100年前のその魂と自らの心で交流している日本の観覧客の顔もまじまじと見た。
Paul Gauguin, Tahitian Women on the Beach - 1891
Vincent Van Gogh, The Starry Night - 1889
人生の苦痛としての傷を芸術にまで昇華させた、その深さと高さ、そして繊細の極地。真っ暗な空にまたたく星たちが港の海に照らされ燦爛とした場面。そして、タヒチの原初的な平和を、原住民の美しい原色で描写しきったゴーギャンの精神は、本や葉書にプリントされたものとは自ずと次元が異なる。
孤独にさいなまれながらも黙々とキャンパスと向き合ったはずのゴッホとゴーギャン。その凄まじい孤独に立ち向かい、苦悩と苦痛を耐え抜き、今こうして彼等と向き合う私と後代の人類に慰めと霊感を与える、絵よりも美しい人間。胸を揺さぶる感動を伝える、誰もが予見しえなかった芸術家の時を経た勝利を、その果てしなき忍耐を思うと涙が出た。
もちろん、絵に値段をつけるならゴッホは歴史上誰よりも裕福な金持ちだろう。しかし、その孤独で険しい人生を死してなお乗り越えようとする、彼の分身であるその絵の前で、どうして「この作品はいくらだろう」などと浅ましいことを考えられるだろうか。
人類歴史の続く限り永遠に共にある芸術家との、情愛に満ちた出会いの瞬間であり、尊い時間だった。
東京における我が幼き日の‘思い出の故郷’にして、身にしみて懐かしい父と共に過ごした帝国ホテルの2階、夜を明かし研究に研究を重ねてきたシェフたちの100年を越える歴史を宿すフレンチレストランでは、フランスオルセー展示館の絵画をテーマとした料理の芸術が繰り広げられている。
‘二都物語’に展示されている、120年前のシェフの緻密なメニューと苦心の跡がうかがえる美しい日記帳も注目に値する。
時を越えて見える
父の微笑み
東京帝国ホテルのロビーに立つと
向き合う絵は
百年を先駆けたゴッホの魂
星は輝くのに