2019 4 16
李承信の詩で書くカルチャーエッセイ
柳宗悦の“民藝”
東京で行ってみたいところの一つが柳宗悦の‘日本民藝館’だった。
私が柳宗悦(1889~1961)を知り、本格的に接っするようになったのは2013年。きっかけは、近くで食事をし何の期待もせずに入った德壽宮現代美術館での柳宗悦の収集品展示会だった。彼の話は何度か聞いたことがあるが、収集品を通してその美の芳香をかいだのは初めてのことだ。
新鮮な驚きだった。集められた収集品は白磁や青磁のような高価な陶器類ではなく、当時誰も振り向きもしなかった庶民の日常の中にある陶器、器、櫛、糸巻きといった類の用品だった。隙があって完璧ではないが、愛らしくて思わず笑みがこぼれた。先駆けていった藝術家の眼識の高さが感じられた。
さらに驚くべきことは、そうしたものに藝術性を見出しながら、それを作り出した国と民族にも限りない敬愛の情を持つことになった事実だ。
‘民藝’という言葉も概念もなかった時代にその理論を打ち立て、自身が住んでいる地域で使われている日常的なものの価値を通し、明日の創造を導く試みを行った。陶器はもちろん、笠、履物、チマチョゴリ、山の稜線にいたるまで、‘朝鮮の線’に感嘆した彼は「朝鮮の美に沁みこんだ悲しみ」を感じ、それを‘悲哀の美’と名づけ世界に知らしめた。
韓民族の文化が消えてしまうことを憂い、私たちに代わって美術館の建立を決心しもした。そうすることが朝鮮の藝術から受けた恩恵と義理に報いる道だと考えた。
美術館を建てようとした目的は、単に工藝品を展示するためではなく、彼の言葉にあるように、朝鮮民族美術館が消え去ろうとしている民族藝術の持続と新しい復活への直接的な原動力となることを願ってのことだった。
彼の心が私のどこかに残っており、その後 NHK TVで彼の物語を興味深く見もしたが、ついに東京大学近くにある‘日本民藝館’を見られることになった。
名もない職人たちが作った日用品を通して出会う新しい美の概念を広く普及させるために、彼は‘民藝’という言葉を考え出し、1936年東京に‘日本民藝館’を建て‘美の生活化’を志向する民藝運動の本拠地とし、展覧会や収集研究や執筆等の多様な活動を展開することになる。
それは尋常でない古さの二階建ての邸宅だった。彼の眼識によって選ばれた様々な日常品が、上下階に展示されている。日本の品物の中で朝鮮のものは目立った。私たちにとってはあまりにありふれていて捨ててしまったものたちが、彼の目には美しく見えて収集された。それは客観的にみても卓越して一貫した選択だったので、世界中の人々から愛されている。私たちは捨ててしまったが、世界の人々は柳宗悦が集めたものを見るために東京へ来て感動している。
帰国後に、ソウルの景福宮にある国立古宮博物館で王族とその日常の家具と陶器をながめながら、柳宗悦が選んだ日常のものたちが、どれほどほほえましく人間的で、心暖まるものであるかを今さらのように感じさせられた。
世の中を美しく見ることのできる細心な目と心があったからこそ、それを見てとらえることができたはずだが、そうであれば、そのような審美眼はどこからきたものだろうかと考えさせられる。大学院で‘文化藝術人文学’を教え、文化と藝術さらには文学は、そうしたきめ細かい眼識を絶えず育て続けなければならないと、ことあるごとに強調してきた私としてはなおさらだ。
民藝館の作品に説明を省いていることも気にいった。作品の鑑賞は知識ではなく、なにものにも縛られることのない自由な目と心で見ることが重要だという柳の考えのためだ。
同じ一生にしても、柳宗悦のように暖かい眼識で人生を眺めることができたなら、さらに、その目に見えるものを作り出した職人精神とその民族、ひいては国までを愛し、研究と著述を通してその理論を展開し広めるという創造的発想の人生をおくれたなら、それこそが、手垢のついた長寿の願いを越える、真に人生を長く生きる方法ではなかろうかと思わされる。
収集家といえば大事業家であることが相場だが、ソウルで初めての柳宗悦の展示を見たとき、収集以外に彼がどんな仕事をしたのかが気になった。しかし‘日本民藝館’でたくさんの本に囲まれ研究三昧にふけっている彼の写真をながめ、それがどれほど無知な考えだったかを思い知らされた。
民藝館の向いには柳宗悦が設計し、息が果てるまで生活の拠点とし有形文化財となった彼の私邸と書斎があるが、中に入れるのは月に4回だけなので、次の機会にまわすことにした。
東京という大都市には見るべきものがあまりに多く、何度行ったとしてもなかなか‘日本民藝館’に足が向かうことはないかもしれない。しかし、韓民族の民藝の価値をいち早く見抜いた先覚者のミュージアムにはぜひとも行ってみることをお勧めする。心が暖かくなるからだ。
柳宗悦‘日本民藝館’の上下階 - 東京 2019 4 2
こんなにも研究に没頭しているのに、私は彼の収集以外の仕事が気になった 柳宗悦 1889 - 1961 = 東京
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