カルチャーエッセイ

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隣国

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  • 2019.08.05 16:24

 

 

 

戸妍の‘切実な願い~                                                                          2019  7 17 

 

 

 

 李承信ので書くカルチャーエッセイ

 

 

日本が隣国であることを認めるべき

 

  

 

日韓関係がこんなことになるまで、たくさんの専門家や日本通の外交官たちが苦言を呈さなかったわけではない。予告されていなかったわけでもない。

 

実際はアメリカ通なのになぜか日本通にもなってしまった私も、なんらかの足しになればと言葉や文章をつづりました。韓国の安保や対北朝鮮関係を試みる際、ジャパンパッシングは絶対にいけないと再三語ってきました。

 

本格的に心配しはじめたのは昨年の冬です。

アメリカと韓国でたくさんのテレビ番組を制作してきた私は、そのせいもあってテレビはあまり見ませんが、昨年入院したとき、病室には娯楽といえば唯一壁かけのテレビがあるだけだったのでそれを見ました。ちょうど冬季オリンピックの最中でした。

 

開会式では韓国の大統領をたくさん映していましたが、すぐ後ろのキム・ヨンナム、キム・ヨジョン(北朝鮮関係者)を振り返って気を遣うのに忙しく、やや離れて一人で座っている安部首相に握手するわけでもなく、視線を送るわけでもないのを見て心配になりました。実際にはどうだったか知りませんが、画面に映されたものから判断するとそうでした。

 

一国の主人としての権威をもつ彼もまた人間であり、これを残念に思わないことはないだろうと感じました。機会があるごとに「私の知る日本人は小さなことに気を遣ってあげるとその恩を忘れない。南北関係に熱を上げるにしても、アメリカ、中国だけでなく日本も必ず一緒でなければならない」と語りました。 

 

何年か前、サムスンが世界1位になるや、ある重役が「ソニーがサムスンにはとてもついていけないと言った」といばっているのを見たときも心配でした。当時から日本でベンチマーキングしてきましたが、望みさえすれば反撃しえる彼らの底力を知らずにいたからです。電子産業が世界の最先端となり、韓国がそれを学んだことで日本が下り坂になりましたが、決して表には出さずとも、日本が臥薪嘗胆の思いでいることがその空気から感じとられもしました。

 

それゆえに来るべきものが来たと思いました。この渦巻きの中で沈着に心を落ち着かせて考えてみます。

 

より大局的な見方ができない日本には息がつまる思いです。

侵略などしたこともない善良な民族に、1592年の文禄の役、それに続く慶長の役で襲いかかりました。東洋の平和をなすといって1894年に清国と朝鮮で戦い、朝鮮を飲み込もうとしているとして1905年にはロシアとも戦い、勝っては乙巳保護条約を通し、ついに韓国を併合しました。

 

そうして35年間、この国を占領し言語と意識を抹殺しようとしました。人に絶対迷惑をかけないという民族が、迷惑をかけました。ところで、彼らが憤慨しているのは何に対してでしょう。たかだか強制徴用賠償判決や慰安婦合意の破棄のためでしょうか。

 

解放(終戦)後に生まれた私は日本の歴史も日本についても学んだことがなく、最近日本の大学で少し勉強しました。2千年続いてきた両国の歴史と深い縁に驚きました。問題があるとすれば、それは両国が互いの歴史をあまりに知らないということです。

 

日本が愛する韓国歌人である母の日常は物静かなものでした。生前、帝国主義日本の占領期の苦痛や苦難に対する恨みなどは聞いたことがありませんでした。

 

ところで、1999年に東京の母校の百周年に招かれてした特別講演の原稿の中に、こんな文章を見つけました。「講演が終わるとソウルでともに小学校を卒業した日本の同級生たちが近づいてきて、昔の過ちを謝るために来たといって、丁寧にお辞儀をした。私を差別した彼女たちに対する数十年前の意識が雪解け水のように流れさり、これまでの民族対立にもぱっと窓を開け放ったような瞬間だった」 

 

母は赦す人でした。そんな人の心にもこんなしこりがずっとあり続けていた事実と、きちんと謝罪され、それを受け入れたなら、心は解き放たれるものなのだということを今さらながら気づかされました。

 

 

 ‘隣いて胸にも近き国なれと無窮花を愛でてさくらも愛でて’


   

それにもかかわらず、歌人は両国が近しい存在でいてくれたらという心を、このように表しました。

 

韓国語では‘보다듬고’と訳した日本語の愛でてという言葉には、抱く、見逃す、我慢する、抱擁する、赦す、嫌いなものでも抱き寄せる、愛するというさまざまな意味が含まれています。

 

この言葉を選んだ母の深い心情を私はようやく理解することができます。占領期に受けた差別と傷、国内の教育でもハングルを学べなかった痛みは大きいですが、‘愛でる’心をもって不和を止めようと、私にははにかみやにしか見えない母が瞬間的に決断する勇気を出したものだと思います。

 

そうです。

結局は心、結局は決断です。心を強く持たなければなりません。

この凄まじい津波が過ぎ去ったとしても、この先またこのような津波がないという保証はありません。だから政府はもちろん、国民各自がそのような心を持つことを決断しなければなりません。

 

ますます狭くなった世界、日本が共に未来を生きるべき、まさにその隣人であることを今や認めなければならないときなのです。

  

 

 

 

 

 

 

 



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