新年は冬に迎えるからか、新しい味もあるが、よそよそしい感じもする。
ここしばらく外国にいたせいか、今年はうら寂しい気もする。
情報不足のせいか、個人の人生も国情も何かちょっと混乱しているようにみえる。
そこに知り合いの元老の方々の消息が追い討ちをかけ心がふさいでしまう。
日韓関係研究者である崔書勉先生は、昨年肺の手術を受けとてもご苦労され、回復に向かうかと思われたが思わしくなく、長年ご縁のあった国際的文筆家のピーター・ゲン先生とは外国での勉強から帰ってから電話が途絶えた。‘懐かしき金剛山’を作曲なさった崔永燮先生も病床にある。
何ヶ月か前、『「縮み」志向の日本人』の著者であり、韓国を代表する知性である李御寧先生が、 youtube で「若者は年老い、老人は死ぬ」と一声して闘病中であることを知らせたが、去る8日にはついに正式に新聞インタビューで癌であることを明かした。
闘病ではなく‘親病’だと言った。「癌になってみて今日一日が花のように美しいことがわかる」、「癌であることを知ってから人生がずっと濃密になった」、「私が残せる遺産は土地でも金でもなく考えだ」、新しい節目節目に奇抜な発想をあふれさせてきた方であり、昨年には「そうやって一緒に生きるのさ」と比較的明るいトーンで私に語ったが、悲しくてやりきれない。
90年代の初めに、長いアメリカ暮しを後にして、政府の招請により帰国したときには、これといった知り合いもなかった。そうこうするうち、世間が狭いせいか名のある方々と知り合い、たくさんのことを学び、心の支えとした。いつの間にか 90歳の声をきき、既に亡くなった方もいらっしゃり、こうした知らせが昨日も一昨日も聞こえてくるので切ない。
しかし、こうした方々の心構えや態度は依然として素晴らしい。87歳にして過去の人生を整理して先月結婚なさった方もいらっしゃる。
近くに事務所をおく、元外交部長官(外務大臣に相当)の孔魯明先生を年始の挨拶で訪ねた。お達者そうなのでまずは安心だ。外から見た国の状況が心配だというと、あいづちを打ちながらさらに前を見据える。「アメリカが防衛費の負担を2倍にしろというなら、そうすべきだ。韓国の国力をもってできないことではない。決めるタイミングの方がさらに重要だ」安保は生命だということだ。「最悪の日韓関係に備え、政府が徴用賠償基金を作るべきだ」、どんなイシューに対しても即答する。
アメリカは国務省の長官が大統領に劣らず全世界を縦横無尽に飛び回り力を発揮する。韓国は小さな国だが世界唯一の分断国家として、周りの強大国はもちろん、世界を相手に外交部の長官がもっと力を発揮しなければならない、彼を前にするとそう思わされた。
長い歴史を経て来られたこうした方々は、素晴らしい実績と経験という実力を備えながらも、依然として勉強や研究を続け国の未来を案じていることが特徴だが、よる年波に弱くなっていくことがやるせない。
どうしよう。もうしばらくは、いてくださらないと。
そう思いながら我に返る。
そうだ。人生は繋がってゆくのであり、今度は私が、私たちがそうした役割のバトンを受け継いで行かねばならないのだ。
そんなふうに悟らされる身のすくむ新年の初めだ。
こんなにも早く逝く人に情をかけるのではなかった