李承信は、「京都に行けば朝鮮半島から海を越えていった祖先の手が感じられる」とし、「自身の文化として昇華させた日本人の努力にも頭がさがる」と語った。 写真 – キム・ギョンビン記者
発端は日本の古都京都だった。十数年前、私は京都を2泊3日で訪問する機会があった。そのとき受けた印象はあまりに強烈だった。それで‘2005年5月京都の思い出’というコラムも書いた。
一ヶ月前に運命のように私の手元に舞いこんだ一冊の本が、かすみかけていた京都の思い出を呼び起こしてくれた。
なぜ京都なのか?
李承信は最近、京都の同志社大学での晩学で古典文学を学び、そのとき体験した京都を『なぜ京都なのか?』という本にまとめた。それを読んであちこち聞きまわって連絡先をつきとめ、インタビューの約束をとりつけた。割り当てられたロッカールームを使ったあとさえ残らないようきれいにかたづけていったロシアワールドカップのサッカー日本代表チームと、日本が負けたにもかかわらずゴミ袋まで持参してまわりをきれいに掃除して去った日本応援団が、世界のメディアで話題になっていたころだ。
Q 日本代表チームとその応援団に世界の言論の賛辞が降り注いでいます。
A 「それを見て驚いていることにもっと驚かされます。日本人のそのような行動は今にはじまったことではありません。ニュースのネタにならないのです。日本のどこにいってもゴミはおろかホコリひとつ落ちていません。1年中そのように生きているのが日本人です。」
Q 見た目はきれいでも、いざ中に入るとそうでもないという話も聞きます。
A 「本音と建前のお話のようですが、少なくとも私が知っている限りそのようなことはありません。家の中もきれいにして住んでいます。たとえ表と裏があったとしても、見た目に清潔で、表向きは親切で丁寧な態度をとることが悪いことであるとはいえません。」
李承信は大学生のとき、国際青少年会議に参加するため日本を始めて訪問して以来、100回以上日本に行っている。2015年から1年半は、日本の古典文学を勉強するために長期滞在しもした。
Q 日本のサッカー代表チームに賛辞ばかりがあったわけではありません。グループステージでの最後の競技で終了を前に10余分間ボールを回す‘お散歩サッカー’で批判をたくさん浴びました。
A 「監督の立場としては16強への進出がもっと重要だったのでしょう。そのために監督は批判されてもボールを回す選択をしたのであり、選手たちはそれに従ったのです。他の国の監督でも似たような選択をしないでしょうか。」
Q 訪問者としての京都に対する印象を‘胸の奥の遥かな故郷のような感じ’とおっしゃっていますが、いざ住んでみていかがでしたか。
A 「世界の人々が感嘆する京都の古色蒼然とした建築物と遺跡地をみるたびに、朝鮮半島から海を渡っていった私たちの祖先たちの手を感じます。何日間かの訪問だけだったら今もそれが全部だったでしょう。京都で過ごしてみてそれが全てではないことに気づきました。朝鮮半島から渡っていった私たちの祖先とその後裔たちがつくり、教えたことは事実ですが、それを保存し、新しいもののために古いものを壊すことなく粘り強く命脈を保ちつつ、自らの文化として昇華させてきた日本人の見事なほどの成就と努力、その精神に頭を下げざるをえませんでした。」
Q つまり、韓国ほどに日本も素晴らしいということですか.
A 「玄海灘を越えてこのような偉大な文化を成した祖先のDNAが、私たちの中にあるという気づきは、戦慄であり自負心です。吏読と鄕札からなる私たちの鄕歌と俗謡に由来する短詩が日本で短歌として発展し、日本人がこんなにも大切に思う文化遺産となり、フランス、イギリス、アメリカのような先進国では、学校でそれを教えてもいます。私がぜひともいいたいのは、祖先のそうしたDNAを私たちは持っているので、その気にさえなれば、日本以上にうまくやれるということです。」
Q 根っこはずいぶん重なっていますが、今韓国と日本はかなり異なっています。
A 「たとえば、韓国人はありがとうという言葉を一度だけ口にしますが、日本人は相手がもうやめてくださいというまで五回でも六回でもお辞儀します。いとこもまたいとこも会わずにいれば遠ざかるように、歳月が流れる中で互いに遠ざかり変わってしまったのでしょう。しかし、歴史を知っている日本人は自身の根に韓国があるということを認めています。」
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