カルチャーエッセイ

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ねねの道の人々

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  • 2020.02.24 17:14

 

    ねねの住処 ‘圓徳院’入口

 

 

  李承信ので書くカルチャーエッセイ 

 

 ‘ねねの道’の人々

 

 

祇園が古い町でありながら明洞のように商店も多い京都の代表的観光地だとすれば、そこから遠くない東山はどこか品位があり高級感のある雰囲気を醸し出すところだ。

 

そこに歴史の香りが沁みこんだ道がひとつあるねねの道。その道はいつも世界中から訪れる人々がひしめき合っている。魅力的な道だが、観光客がその道に押し寄せる理由は、何よりそこに大きな場所を占めている豊臣秀吉の菩提寺である高台寺のためだ。

 

高台寺は初めて日本を天下統一した豊臣秀吉の死後、その正室であったねね秀吉の菩提を弔うために建てた寺院だ。女性によるそのようなスケールの建築物は初めてのことだったので寧々は世界初の女性建築家などとも呼ばれるが、高台寺の西側の道路がその名にちなんでねねの道とされた

 

私がその道を知るようになったのは、そこにある旅館力弥を利用するようになってからのことだ。後年同志社大学に行くことになるなどとは想像もしなかった頃、京都を訪れてはその旅館に泊まるようになって10年以上が経つ。

 

ねねの道に沿ってある力弥の門をくぐると、迎えの間に女将さんが座っていた。日本の旅館がホテルよりも高いのは、二食付きの上に布団の上げ下げなどのサービスが充実しているためだ。

 

客室10部屋の力弥はそうしたサービスをやめ、きれいな畳の部屋を提供して一泊12,000円だった。とてもよいロケーションとどの部屋からも庭園を見ることができることを考えれば親切な価格だ。それを私には10,000円にしてくれたのは、もちろんよく利用したこともあるだろうが、日本で冬のソナタが人気絶頂だったころ、ヨン様の熱狂的なファンだったという女将さんのせいかもしれない。このヨン様の熱狂的なファンは後にイ・ビョンホンのファンになった。韓流が始まったころの話で私としては気分のいいことだった。その後なかなか部屋が取れなくなってしまい、同志社大学の近くにあるホテルを利用するようになったが、この女将さんと仲居さんたちとは親しくなった。

 

2011年、東日本を大震災が襲ったとき、津波の被害地域からは遥か遠い京都にも1年以上観光客が来ず、タクシーが道端に長い列をつくり、力弥旅館の客が私ひとりというときもあった。当時、NHKや朝日、産経新聞に私の短詩と記事が出て、読者の方々から他の詩も読みたいという問合せが殺到したというので、たくさんの方々の協力を得て日本語で本を2冊出したころのことだ。

 

ある日の夕方、力弥にもどると手紙が届いており、件の本を読んだ。お会いしたい。と書かれていた。ねねの道はお店がいくつもないが、案内のあった書店に行ってみると、京都関連の本が陳列されていた。村上さんという、いかにも教養のありそうなその女性は、私の本に感激したといって、高台寺で奉仕活動をしているので、機会があればそこで講演をしてほしいという。高台寺と圓徳院と美術館の入場券もいただいた。

 

村上さんとはこんなこともあった。帰国のためすぐに空港に向かわねばならないが、ハンドバッグの中に財布が見当たらない。隣のレストランでお昼を食べ、店にも2軒寄ったことを思い出し、行ってみたが見つからないのですっかり狼狽してしまった。村上さんに事情を話してソウルに帰ったところ、何日かして村上さんから小包が届いたので、あけてみるとなくした財布が入っていた。

 

日本に行くようになって50余年。何年か前東京で財布をなくしたときも、1時間後に派出所でキャッシュカードもそのまま戻ってきた。京都でも同じ体験をしたので、これはもう国民という国民がすべて正直でなければこうはいかないと思わずにいられなかったが、紛失物の届け出から受け取りはもちろん、それを送ってくれるまでの村上さんが尽くしてくれたその真心にも驚かざるをえない。

 

東山には洛匠という茶店もある。道端には街路樹を植えるなどして代を継いで町のために尽くしたある人物の碑石もあるが、その茶店の池には人の腕の倍はあるかと思われるような錦鯉が悠々と泳いでいて、時間が空きさえすればその茶店を訪ねた。ほんとうに美しくて錦鯉の王族のようだ。店の女主人は私をみると「韓国から作家先生が来た」といって、その店の名物であるわらび餅とお茶でもてなしてくれる。

 

高台寺の向いは、ねねがその晩年を過ごしたという圓徳院だ。高台寺にくらべ慎ましい造りだが、愛らしい建物だ。その周囲には圓徳院が賃貸ししている店舗がいくつかある。緑茶でつくる緑茶色のそばと緑茶アイスクリームがおいしい店があり、土産物屋のご主人はいつ行っても歓迎してくれる。筆やメモ紙や色紙を置いている一坪にもみたないような店にもよく寄る。その店の主人は石の印章に名前をきれいに刻む技をもつ有識者だ。ときどきソウルから持ってきた海苔とキムチをプレゼントする。

 

道端に止まっている人力車は古都の趣きを高める。人力車に乗るのもいいが、人が乗っているのを眺めているのも楽しい。人力車の俥夫は狭い路地の中の界隈で最も古いかき氷屋など、何百年の歴史のある場所をまわってはそこにまつわる話を聞かせてくれる。そうして顔見知りになった俥夫とはよく挨拶を交わす。

 

道の終わりには私が好きなレストラン The Sodoh がある。有名な日本画家の邸宅をリノベーションしたとても風情のあるイタリア料理の店で、1700坪の敷地をもち、庭園も味も特別でとても人気があるところだ。予約した人だけを案内する入口前で予約台帳をもった二人の従業員とも互いに挨拶を交わす。

 

こうして京都に行くたびごとに東山のねねの道を訪ね、そこにいる人々に会い、話を交わして20余年になる。400年前に高台寺を建て、圓德院に晩年を過ごしたねねの実物には当然会えないが、その遥か後裔の人々に会っているのだ。

 

ずっと昔、初めて東京へ行き、両親の同窓生と知人たちと知り合った。今は私の同窓生、大学関係者たち、教会の信徒、隣近所の人々、そしてねねの道の人々、京都市長にまでその交流が広がった。日本の人々には玄海灘を越えて日本語で発信している私のカルチャーエッセイでいつも様子を伝えている。

 

個人対個人の話ではあるが、考えてみれば彼らにとっては私が韓国であり、私にとっては彼らひとりひとりの心と姿勢と考えが日本なのだ。

 

 

 

 

 

 ねねの道 - 京都東山  2018  4  6 

  'ねねの道' 道の名を刻んだ石版

 

 

 力弥旅館の入り口 ねねの道 京都

  洛匠の庭園の池 – ねねの道 2019  4

  院 晩秋の枯山水  - ねねの道 京都 

  

   圓德院の中庭  - 京都 2017  12  3

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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