カルチャーエッセイ

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平壤冷麺

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  • 2019.09.16 15:25

 

 

                                                                                                                         2019  9 1   

 

 

 

  李承信の で書くカルチャーエッセイ

 


平壤冷麺

 


今、あなたが二本の足である程度歩き回れるのなら、それはほんとうに感謝すべきことだ。

普段、西村界隈を歩き、家の後ろの仁王山や北漢山に登り、海の向こうでもよく歩き回っていた日常を当然のことと考えていた自分を、今身に沁みて後悔し反省している。

 

昨年怪我をした際の長期入院のせいだろうか、それとも不摂生のゆえか、振り返ると数十年間自分がいつも三十歳であるかのように生きてきたことに失笑がもれる。天がこんなにもはっきりとしたサインを送ってくれなければ気づけなかったことが嘆かわしい。

 

耐え難いこともあり、無理をしてきたせいもあって、夏の間腰を痛めて身動きすらできずにいる。尋常の苦労ではない。

 

毎日の食事。退院して家で一日三食をとるのも一苦労だ。

なすすべもなく家にとじこもっていたところに客があって、近くで冷麺でも食べましょうということになり、ちょっと支えてほしいというと、説明しても事情が飲み込めなかったのか、その客は「いやどうせ食べるなら又来屋でしょう。近所の冷麺なんて」と言う。

 

仕方なく、這うようにしてクルマに乗った。

それにしても又来屋とは。狭い路地の入口を通ると昔のままの姿が現れた。

これまで冷麺は近所の咸興冷麺ですませていたので、又来屋は実に20余年ぶりだ。

 

食堂の入口で客を迎える耳の遠い老人は、もう60年近くこの仕事をしているという。古い壁の一角にある1946年開業という文字に歴史が感じられる。4時という普通なら客もそれほどいないはずの時間にもかかわらず、30分古い椅子に座って待たされた。

 

私が日本語を知らなかった頃、「ここはマタクルヤ、又来る屋(お店)だ」といっていた父のことを思い出しながら冷麺をかこんだ。

一口食べて驚いた。ソバ粉をつかった麺が期待以上の味だったからだ。

 

平壤出身の父が逝って36年が経つから、もうだいぶ昔のことだ。確かに又来屋に来た思い出はあるが、平壤冷麺の話をおいしそうに話す父のことは思い出しても、特別おいしいとは思わなかった。しかし、この夏まともに冷麺を食べたことがなかったせいか、本当においしいのか、その味に感嘆した。14千ウォンは当然と思われた。

 

父によれば、晩秋に収穫したソバ粉でつくった麺を、真冬の凍えるような日にぽかぽかの床暖房の上で氷を浮かべたトンチミ(大根の水キムチ)で食べる冷麺ほどほどおいしいものはないとのことだった。父の話に出てくる冷麺はどれほどおいしいだろうかと思ったことをはっきり記憶している。

 

父が話す姿がどれほど明るく輝いて美しかったことか。貧乏で平壤師範時代には3里の道を毎日歩いて通ったという話と重なって思い出されるが、父からは貧乏くささというものがまったく感じられず不思議だった。

 

父の話はいつもおもしろかった。

平壤と満州の話、中国の話、1950年代の焼け野原の大韓民国初代特許庁長としてワシントンのアメリカ特許庁 Patent Office 2年間(1957年、58?)勉強した話など、話の種は尽きることなく、どのような話もおもしろおかしくしてしまうので、私たちは父のことがとても好きだった。思えばそれが私のかけがえのない財産だ。

 

そんなことを思いながら味わう又来屋の冷麺は腰があっておいしく、平壤が自慢する冷麺ははたしてこれよりおいしいだろうか、いつになったら平壤で冷麺を食べられるようになるのだろうかと、そんなことも思った。

 

ソウルの又来屋は久しぶりだったが、考えてみればニューヨークとワシントンの又来屋にはよく行っていた。70年代から90年代にかけて、マンハッタンの真ん中にある又来屋は高級食堂であり、価格もソウルよりずっと高く、特別な日に行くところであり、焼肉好きな日本人の姿がたくさん見られた。

 

ワシントンの又来屋も広々とした空間が常に混んでいて、焼肉が好きなオバマ元大統領が座った場所に座らせてもらったこともある。昨年11月の私のワシントンでの文学講演の一つは、場所が又来屋のホールだったので、どうしてここでと尋ねたところ、講演の後で食事をするのに便利だからということだった。

 

30年ぶりのようなこの夏、残暑も厳しいが秋の匂いもしはじめている。

67 8月の全てのスケジュールを仕方なくキャンセルしたが、そろそろ起き上がって新しい秋を迎えたいと思う。

 

 

大変だったこの夏,昔の思い出をともにしたソウルの又来屋の冷麺の味が記憶に刻まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 









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