カルチャーエッセイ

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とらやの羊羹

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  • 2020.02.20 17:56

 

 


   とらや入口                                                                          2020  2 19

 

  

李承信ので書くカルチャーエッセイ

 

とらやの羊羹

 

 

孫戸妍プロジェクトと母が生涯をかけて献身してきた日韓関係の仕事を政府と学会がしてくれることを願っていたが、母の急逝によりやむをえず私がそのバトンを引き継ぐこととなった。そこでことあるごとに嘆きたくなることがひとつある。


日本の帝国主義時代に日本の大学、大学院を卒業した両親が、幼い私になぜ英語だけでなく日本語も勉強しなさいと言わなかったのだろう。ソウルの大学を卒業した後、留学してアメリカに長く暮らした私にとって、日本語は必ずしも必要なものではなかった。


弁理士会会長だった父の日本の同級生や顧客たちが家に来ると、日本語で会話をするのを耳にしたが特に関心もなく、食後に父が「娘が歌をうたいます」といえば、幼い私はいわれるままにギターで弾き語りをした。


平壤師範の卒業者は学校で2年間教えなければならないという債務があったので、満州で棒ネクタイを結んで音楽を教えていた父は、日常生活の中でも歌やピアノが上手だったが、余興は私の役目だった。

 

大人になって考えれば考えるほど、あのとき日本語を学んでいたらすぐに熟達して今の仕事にも役立ったのにと思う。

 

しかし、今にして思えば、今もしっかり記憶している当時の韓国人がよく口にしていたいくつかの単語は日本語だった。タライ、オデン、ヨウカン…そうだ、そこには確かにヨウカンもあった。身の回りで聞いたそれらの言葉は、テヤ(대야、たらいの韓国語)、オムク(어묵、おでんの韓国語)、ヤンゲン(양갱、羊羹の韓国語)よりも私には耳慣れたものだ。


初めて東京で泊まったホテルに羊羹が展示されていて、白い布に太い筆書きの‘とらや’という文字と赤い印判が押されており、目についた。父は東京出張の折りによく買ってきた。


後で知ったことだが、とらやは帝国ホテルだけでなく、銀座、六本木ヒルズ、ミッドタウンなどの最高級商業施設にのみ入っていた。1520年に京都で始まったとらやは、1869年の東京遷都にともない東京に移り、過去500年間、皇室に羊羹や生菓子を納めてきた有名な老舗だ。


京都で勉強していたとき、同志社大学の近所、古の王宮である御所の向いにある横長のとらや京都一条店の前を通り過ぎながら、東京のとらやを懐かしんだものだった。そのときは京都が創業の地だとは知らなかった。


皇室との取引による売上などたかが知れたものだろうが、それにより認識される‘最最高級’ブランドとしての価値ははかり知れないものがあるだろう。とらやといえば皇室を思い出すはずだからだ。


売上も売上だが、とらやがその高級イメージを維持するための努力もまたすごい。1980年にはパリ店をオープンさせ、TORAYA CAFÉ では餡や寒天などの東洋的素材を、アイスクリームやプリンのような西洋的なものと調和させた製品を開発した。こうした歴史も同業種においては初めてのことで、それだけでもすごいことだが、展示されている‘虎屋文庫’をみて驚いた。伝統菓子と関連のある書籍や資料が集められている。


‘伝統とは革新の連続だ’

老舗企業がよく引用するこの素晴らしいモットーを最初に作り出したのも17代目を数えるとらやだ。


皇室の話が出たので、初めてする話をそっとしてみよう。


2011年3月、東日本を巨大な津波が襲い、連日のすさまじい人命被害を見て母のことを思った。日本人が愛した歌人である母が、力のこもった一行の短歌でこの状況を慰めるなら、きっと励ましになるはずなのに、もっと心が近づくだろうにと。すると日本からの電話で誰かが「李先生がやってみては」というのだった。しかし、それが不可能なことはわかっていたので笑ってごまかすしかなかった。


ところが、ニュースは1、2度で終わらず、連日連夜やむことがなく、われ知らず1つ2つと書き留めた短詩が気がつくと何日かの間に250首にもなっていた。朝日新聞や産経新聞に親子詩人の紹介とともに、そのうちの8首が引用されると、新聞社には残りの短詩もみたいという電話が連日きたという。


ほんとうに困難な作業だったが、そのようにしてソウルと東京で短歌と現代詩の二つの形態で二冊の本を出したところ、2012年、然るべき経路をたどりたどってこの本が天皇陛下の手にも渡ったという知らせを日本大使と日本文化院長とから聞いた。随時天皇に拝する宮内庁の最高位職の手から天皇陛下に渡されたらしいと、極めて注意深くそう教えてくれた。3年ほど静かにしていれば、後々人々の知るところとなるだろうとも。


天皇陛下は羊羹だけでなく洋服などさまざまなものに御用達があり、贈り物も届けられるだろうが、本は受け取らないという。詩に関心が深く本を愛する平成天皇皇后両陛下は、出版物があまりに多いので、読みたい本は自ら買って読まれると聞いた。


皇室とは、1998年母が皇室の‘歌会始め’に短歌名人として招請されたとき、母とともに宮廷内に入ったという小さな縁がある。何よりもすさまじい津波で何万人という人々が一度に死んでしまった悲しみにくれる日本に、隣国である韓国の真摯な心を伝えたいと願った心が、日本国民の代表である天皇陛下に届いたことに張り合いを感じた。


東日本大震災の当時、アメリカが最もたくさんの寄付金を出し、二番目はフランスだったが、こうした暖かい心を表現してくれた韓国の方がよりありがたいと言ってくれた日本人もいた。文学を愛する国民らしい言葉だ。


「三重苦の大惨事にあえぐ日本に、礼と品位を尽くして慰労する者が韓国から出ないものかと気にやんでいたやさきに、我らが李承信詩人がその役を成し遂げてくれた」たくさんの方々からいただいた反応のうち、チェ・ジョンホ先生からの手紙の一節だ。


日韓関係の現状を考えると暗澹とした気持ちになるが、あのときのことを思えば、隣国との関係はまたよくなるはずだという信念が私にはある。


とらやはそのイメージ管理に加え収益創出もものすごいが、そのような収益は出せないとしても、葛藤なしに互いに手をとり合って進んでいくことができればという一途な思いを今も抱き続けている。


 

 

 


 

 とらやの象徴は虎で、文具や器などさまざまな製品が作られている


 


 


 

 

                                       洋の東西を調和させたとらやの手作り菓子


 


 

                                            とらやパリ店と、同店の羊羹とお菓子

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








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