『なぜ京都なのか』1巻の出版は2018年のことです。
2011年に日韓両国で『花だけの春などあろうはずもなし』と『君の心で花は咲く』が出た後、スピーチ等でずいぶんたくさん日本を訪れましたが、日本についてあまりにも知らないことに良心が痛み、千年の古都である京都の同志社大学に勉強に行き、2016年に勉強を終えたので、その前後少なくとも4年以上書き継いできたものです。
考えてみれば、近いために何か知っているつもりで訪れた日本は異国であり、晩学の勉強も大変でしたが、数は多くてもわずかな日数ずつでしかない訪問では見ても感じられないものを、帰国後に書き綴ることは容易なことではありませんでした。
たくさんの人々が日本に行き、これからも行くはずですが、私がそうであったように表面をなでるにすぎず、日本の歴史を、あるいは少しだけ注意深くみればみえる日本の文化をみることができません。まして、そこに住む人々とその思いなど知りようがありません。
学び、少しでもわかったことを伝えねばという使命感で執筆にかかり、過去50年間における何日かを、そして最近勉強しに行った京都と日本をのぞき込み、私たちとの深い縁と関係を考えました。なぜ日本人が韓国の歌人である孫戸妍の歌碑を青森県の太平洋岸に高く建てたのか、その意味も感じるようになりました。
もう、日本に関してはこの本を出すことで、心の中の宿題をある程度果たすことができたと思っていました。しかし、世の中の趨勢や、人々が京都へ行くとき『なぜ京都なのか』を持ち歩いたり、行ってきては私にあれこれ問う姿をみて、そこに漏れたものがある、まだ十分でないという心が湧き上がってきました。
ですが、何よりも地理的にも、2千年の歴史的にも、血統的にも最も近い仲であるはずの私たちがそうできないことに心が重くなります。
2012年に始まった反日、嫌韓も、待てばよいという美徳も、ほとんど十年が経とうとしています。
愛の反対語は憎悪ではなく無関心であるという言葉は、ここにも該当し、互いの関心がほとんどゼロになってしまったことが惜しまれてなりません。
‘隣同士、隣国同士、人類が争うことのないように’と切実に願った母の願いは、完全に私の願いになりました。子孫たちにこのような状況を受け渡してはならないと思います。
コロナ19により世の中は非対面が日常になってしまいました。しかし、事故による私の非対面の時間はその何倍にもなり、その間も日韓関係が、両国国民の無関心がずっと気にかかり、とうとう文章ひとつひとつをまたぽつぽつと書くことになりました。
韓国とアメリカの文化が身についた私が、どうしたことか日本通として知られることになり、日本に関する本はもう十分だという思いを変えて、こうして『なぜ京都なのか2』を出版することになりました。
最初の『なぜ京都なのか』は同志社大学を卒業した後にも京都をよく訪れながら書きましたが、この『なぜ京都なのか2』は、京都には行けずに回想しながらコロナ感染が拡大する前に書かれました。しかし、最初の61篇のエッセイに続き、ここに収めた43篇のエッセイにも暖かな心を込めました。
どんなときでも希望を捨てはしません。
依然として世の中は善良であり、私たちの関係も、2千年も続いてきた至近距離の日韓関係も、再び美しくなることができるという信念を持ちます。
隣いて胸にも近き国なれと無窮花を愛でてさくらも愛でて
孫戸妍