二条城の枝垂桜 2014 4 19
ああ、さくら
日本への訪問はいつもなら三四日程度ですが、今度は東京、奈良、吉野山の京都にじっくりと二週間かけて滞在しました。
アメリカから故国韓国、韓国からアメリカへの訪問には数十年来15時間もかかるのに、都市によってはわずか1、2時間の短い距離です。
まだ学生だった1970年に国際青少年会議のため初めて東京に行くことになり、日本語は一言もわからず、地球の果てに行くかのように緊張していた時代がありました。その後44年、何度か日本を訪れましたが、1年365日のうち、わずか何日しかない桜の絶頂時に日本を訪れたことはなく、いつも早すぎるか、少し散り始めた頃、そうでなければほとんど散った後のことでした。
ソウルでは四月中旬過ぎから韓国の桜が咲きますが、汝矣島ではなく延禧洞の裏山と景福宮、そして青瓦臺の間にある桜を見ます。何年か前には我が家のすぐ前の道に、きれいだとは言えませんが、市が数十本の桜の木を植え、今では桜祭りが開かれるようになりました。
その日だけ夏が来たかのように暑かった日の翌日早朝、東京に行くその日に家の前の桜が一斉に咲いているではありませんか。昨日まで寒い冬のようだったのに、こんなことは初めてだったのでとても驚きもし、例年より20日も早く、東京と同じ時期に咲いてしまってこちらの桜を見れないことが残念でもありました。
羽田に降りるとじとじとと雨が降っていました。空港まで迎えに来てくれた方に、桜が満開の時期に来たのは初めてなので、千鳥ヶ淵に行ってみたいと言いました。
母の新しい歌集を作るため、親筆の文章と講演、遺稿作をここ何年か研究していますが、その中に東京の千鳥ヶ淵の桜の話が出てきます。私は見たことがありませんでした。それが皇居の周辺であることを知り、何度か歩いてみましたが、いつもぎりぎりの日程に追われて桜を見ることは叶いませんでした。
東京に到着するや否や、ファンミーティングと昼食、そして鎌倉近くの横須賀まで移動して夕食とファンミーティングがありました。花より団子のたとえのごとく、一日中食べ物と対談でした。
翌日から三日間、千鳥ヶ淵の桜を友人たちと、あるいは一人で、昼と夜何度か行って見ました。都心の真っただ中、皇居をめぐるお堀の両脇を2kmに渡り、薄桃色の桜が薄緑色の川に向かって滝のように流れ落ちていました。風がふけば三日ともたずに散ってしまうこの花を見るために、昼といわず夜といわずたくさんの人々が押し寄せてきます。神秘なるピンクの世界の中です。どう表現したらいいのかわからないせいなのか、それが日本人の特徴なのか、皆が列をなして静かに神様の新しい作品を鑑賞しています。
堂々とした木の幹は優に2、3百年の歴史を感じさせ、灰色の長い冬の後に迎えた生命の咲き出しとその上に降りそそぐ太陽の光をあびた姿に、いまさらながら生きていることの感激を感じている人々の表情を見つめました。1940年代の留学生だった少女時代の母が見上げたその花を、実に70年後にこうして私が見上げています。
もったいない、もったいない
亡くなる前のある春の日、セブランス病院の病室で詩的とはほど遠い患者服にセーターを羽織らせて外に連れ出し、延禧洞の桜の花園を一緒に歩きながら、風に舞って体中に絡まりつく白い桜の花びらに、静かに繰り返しそう語りかけていた母の音声が詩として聞こえてきます。
さくら花病棟の外吹雪かえばしきりに眼をひくその果てなさに
花あらし病む身取り巻き吹雪かえば哀れ哀れと悲鳴をあげる
咲くことも叶わずに散ってしまった、セウォル号の学生の犠牲者たちが哀れで哀れで涙が滲んでやみません。
お堀の両脇に2km、絶頂を迎えて咲く東京の千鳥ヶ淵の桜
あのボートに乗れば美しさをさらに感じられるだろうか ~ 待機時間6時間 夜景、ライトアップされた枝垂桜
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