津 波
何ごともなけりと静まりかえる海われら再びここに生きるらむ
ニュースでのみ見た日本の東北地方に行きました。 直航便で青森空港へ降り、母の歌碑を先に訪ねました。 雪国らしく雪がたくさん降り積もったそこに、母が立っているように歌碑がありました。 母と眺めたその歌碑をしっとりとした雪の中で見つめ、歌碑越しに太平洋に沈む太陽を眺めました。
三沢で一泊し、翌朝早くに岩手県に向かいます。左側に太平洋をはさんで走る海岸沿いの景色は絶品です。白い雪に覆われた山と谷を過ぎ、走っても走ってもなお続く青い海を見下ろしました。この静かな海が少し前に数多くの人の命を奪ったあの海と同じ海なのだろうかと、言葉なく走り続けました。
ついに大きな被害を出した岩手県宮古市の田老に着きました。 世界で最も高い堤防が長く伸び、これもまた高い階段を上って堤防越しに海を見ました。 これだけ高ければ安全だろうと、人間が推し測って建てた高い堤防を波はやすやすと越えて、数多くの人命と家と建物を押し流して行きました。
雪の積もった長い堤防の道を歩いたため、足がかちかちに凍ってしまったかのようでしたが、一瞬にして逝ってしまった魂のことを思うと言葉がありませんでした。
依然として目がさめるような美しい色の海であり、たくさんの人々が頼りとしてきた自然であり、故郷でしたが、家も村も消え荒涼とした今、それは人々の胸の中にだけ残されています。
ピンク色の花びらをあしらったかわいい一両編成の電車に乗りましたが、いくらも行かずに線路が途絶えて止まってしまいます。
再び何時間かを走り、大きな被害を出した宮城県に向かいました。 ここには気仙沼という都市がありますが、そこは津波が揮発油のタンクを押しつぶし文字通り火の海となったところです。
数多くの家々の跡だけが残っています。誰かの人生と愛の巣だったところ。
残った住民たちが共同で集まるホールが設けられていますが、そこで‘李承信の詩朗誦会’を持ちました。当時、船が途絶えて孤立していた大島からも、30分船にゆられて来てくれた人もいました。共感し感激してくれました。岩手県一関の国立工業大学の学長は、私の本を見て大学の卒業祝辞にその詩を引用してくださいましたが、その彼も3時間もかけて駆けつけてくださり、当時の話を聞かせてくれました。
波に押し流されてきた巨大な500トン級の船が、都市の真っ只中に魂のある記念品として立っているのを雪の中で見上げました。
その深い傷跡を見ながら、ふとポーランドのアウシュビッツのことを思い出しました。今や数多くの人々が世界中からその歴史を見るために押し寄せるアウシュビッツのように、この凄惨な場所に今は外地人の姿は見えないとしても、いつかはたくさんの人々が凄まじい自然の力ととるに足りない人間の力を見て感じるために訪れるようになるだろうと思います。
消えし故郷いかに虚しく寂しきか忘れぬことのできぬ温もり
祝福のときが来る最も深い渓谷に最も高い山がある
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